第二千三百二十三話 北方戦線(六)
時を遡る。
ウルクナクト号の甲板から、セツナは眼下を見下ろしていた。
セツナが目的とするのは、ラーゼン=ウルクナクトの確保とそのついでのニアフェロウの奪還だ。ラーゼン=ウルクナクトがエスク=ソーマであろうとなかろうと、まずは確保し、話を聞く必要があると考えていた。光の刃を発生させる柄だけ召喚武装は、どう考えてもエスクの愛用したソードケインであり、たとえラーゼンがエスク本人でなくとも、なんらかの関わりがあるものと思えたからだ。
もっとも、実際にはなんの関わりもなく、ただ拾っただけのものかもしれない。
だとしても、ソードケインを拾った場所を知っておく必要はある。エスクが生きていて、その付近を彷徨っている可能性は皆無ではない。
もちろん、一番可能性が高いのは、いわずもがな、ラーゼンがエスク本人の偽名だということだ。
それを確かめるため、セツナはニアフェロウ奪還作戦に参加することとなり、方舟は、セツナたちを乗せて、ニアフェロウに向かっていた。
同時に、ニアズーキの東帝国への攻撃も開始する予定であり、それにはファリアたちが向かう手筈になっている。セツナと、剣武卿シャルロット=モルガーナ率いる戦闘部隊を地上に下ろした後、ウルクナクト号は、迅速にニアズーキに向かうのだ。ニアダールに関しては、ニアフェロウ、ニアズーキ奪還後、余裕をもって戦力を差し向ければいいという考えだった。ニアダールにおける戦力比は、西帝国の方が多く、余程のことがない限り、負けることはないからだ。
まずは、ニアフェロウ、ニアズーキを奪還することに全力を注げばいい。
そして、その際、セツナは、ラーゼン=ウルクナクトと接触し、彼の正体を暴くつもりだった。
そのために彼は、ニアフェロウの西側一帯に展開した軍勢を遙か上空より見下ろし、その防御寄りの布陣に用いられる兵数に舌を巻いた。やはり、三大勢力の一角として名を馳せた大帝国の動員兵力というのは、たとえその領土が半分以下に落ちようとも、小国家群の国々とは比べるべくもない。たかだか都市ひとつの防衛に一万ほどの兵数を割くことができるなど、小国家群の国々には、考えられないことだ。
ガンディアの最盛期でも、それだけの戦力を動かすのは重大事だったし、戦争でも起きない限りはそれほどの戦力が動くようなことはなかった。もちろん、現在、西帝国と東帝国は戦争状態にあり、東帝国がこれまでの膠着状態を脱するべく、いままでにないくらいの力を入れていることはわかっている。
しかし、東帝国の広大な領土を護るための戦力も必要であり、防衛戦力を残してなお、この局面に総勢五万程度の戦力を動員できているのだから、どうあがいても圧倒的としかいえなかった。
ひとつの局面に動員する兵数の規模が違うのだ。
それだけ戦場の規模も大きく、小競り合い程度でさえ多数の負傷者が出るとのことだが、そんな小競り合いを一年以上も続けながら、互いに膨大なまでの余力を残しているという。
(総勢四十万程度だったか)
セツナが胸中でつぶやいたのは、西帝国軍の総兵力だ。西帝国軍が現在動員しうる陸軍の総兵力が四十万ほどであり、東帝国も同程度の将兵を保有しているとのことだ。西も東も、旧帝国時代に比べると、それぞれ四分の一程度の領土しかない。にもかかわらず、動員しうる兵力は、最盛期のガンディアとさえ比較にならなかった。正面からぶつかれば、一溜まりもなく蹴散らされる程度の兵力差がある。
そんなふたつの新帝国が正面からぶつかり合わないのは、割に合わないからだ。互いに旧帝国の正当後継者を名乗っている以上、両国の国土臣民はいずれもが自分のものである、と主張している。兵も民も家も土地も金も資源もなにもかも、それぞれの皇帝の所有物であると宣言しているのだ。そして、そのために互いの領土に軍を進めては小競り合いを繰り返しているのだが、互いに決定的な行動に出ることはできないでいた。
両帝国が南ザイオン大陸の支配者の座を争い、全力でぶつかり合えば、それは凄まじい大戦となる。そうなれば、小競り合いどころでは済まない数の戦死者が出るだろうし、負傷者の数も膨大となる。それだけではない。市民も戦争に巻き込まれ、傷つき、血を流し、あるいは命を落とすこともあるだろう。秩序は乱れ、民心も荒れ狂えば、戦争どころではなくなる。ましてや、南大陸の統一を目的とする大戦争ならば、終わりも見えず、混沌を極めることとなりかねない。
故に、西帝国も東帝国も互いの国境線における小競り合い以上のことをできずにいた。その均衡を打ち破ったのが噂の武装召喚師ラーゼン=ウルクナクトだ。
ラーゼン=ウルクナクトの投じた一石は、波紋となって両帝国の領土内に広がり、両国の民心をざわめかせ、将兵たちを奮い立たせるか、あるいは恐れ戦かせた。
東帝国が四都市を制圧できたのは、ラーゼン=ウルクナクトひとりの手柄ではないとはいえ、最初に均衡を破り、東帝国を勢いづけたのはラーゼンなのだ。そのラーゼンを打ち破ることができれば、東帝国軍将兵は意気消沈し、戦意喪失さえするのではないか。
そんな狙いが、シャルロット=モルガーナにはあったのだ。
だから、彼女はみずからニアフェロウ攻撃に参加し、ラーゼン=ウルクナクトを釘付けにした上で撃破するつもりだったという。
シャルロットの実力は、一度対戦したミリュウのお墨付きだが、彼女がラーゼン=ウルクナクトに勝てるかどうかの保証はできない。なぜならば、ラーゼン=ウルクナクトは、これまでの北方戦線において何人もの武装召喚師を撃退しており、エスク=ソーマ本人であれば、二年前の彼以上に強くなっていることが明らかだからだ。
そのため、セツナがみずからラーゼン=ウルクナクトに当たることになったのは、シャルロットのためにも良い選択に違いなかった。剣武卿は、西帝国において皇帝の側近という重要な立場の人物だ。ラーゼン=ウルクナクトに負けるだけならばまだしも、殺されるようなことがあってはならない。
その点、セツナは違う。
たとえセツナが殺されたとしても、西帝国にはなんの痛手もない。
などと、ゆっくりと降下する方舟の上から見下ろしているときだった。眼下、敵陣の最前線にて光が瞬き、つぎの瞬間、物凄まじい速度で伸長してくるものがあったのだ。一条の光線の如きそれを目の当たりにしたときには、セツナは甲板から飛び降りている。高空の方舟に迫り来る光の帯には、見覚えがあった。
それは、召喚武装ソードケインの光の刃。
セツナは、黒き矛の切っ先から照射した“破壊光線”で光の刃を吹き飛ばすと、中空でメイルオブドーターの翅を広げ、急加速とともに地上に降り立った。
前方、およそ一万の軍勢が迎撃態勢を取る中、刀身なき剣の柄を手にした男がひとり、彼の遙か前方に立っていた。
ラーゼン=ウルクナクト。
情報通り、全身鎧を纏い、重厚な兜で顔面を隠した長身の男は、黒い外套を風に靡かせていた。
その容姿外見からは素顔もわからなければ正体も不明だ。エスク=ソーマであるという確信などあろうはずもないのだが、セツナは、その鎧の内側から発散される気配に不思議なほどの懐かしさを覚え、心が震えるのを認めた。
彼は、そこにいる。
そこにいて、セツナと敵対している。
その鎧の内側から発せられる気配は、狂おしいほどの殺意に満ち溢れ、まばゆいほどの敵意があった。
いや、実際、輝いていたのだ。
彼の、剣が。