第二千三百二十話 北方戦線(三)
ラーゼン=ウルクナクトは、その夜、何度目かの寝返りを打とうとして、諦めた。女が彼の胸の辺りを枕代わりにしているからだ。いまここで寝返りを打てば、彼女を起こしかねない。ネミア=ウィーズ。“雲の門”の頭領たる彼女は、“雲の門”そのものが東帝国の支配下に入ってからというもの、彼の側を離れなくなってしまった。それは、彼にとっても好都合なことだったが、同時に、彼女らしさを奪ってしまったでのはないかという想いも抱かざるを得ない。
“雲の門”は、東帝国の傘下に入った。東帝国としては、ラーゼンひとりを手に入れることさえできれば“雲の門”などどうでもよかったのだろうが、しかし、そのラーゼンを掌中に収め、制御する上では“雲の門”も必要不可欠であるという正しい判断を下したのだ。ラーゼンは、“雲の門”を人質に取られているようなものであり、ネミアたちの身の安全を護るために致し方なく東帝国のいいなりになっているだけだ。でなければ、ネミアたちがどのような目に遭うかわかったものではない。
自分ひとり、身ひとつならばいくらでも切り抜けられよう。いかに大軍をぶつけてこようと、逃げの一手を打てばいい。彼の実力ならば、たとえ多勢に無勢で負けるような戦場であっても、逃げることそのものは不可能ではない。が、“雲の門”の連中を連れては、逃げられない。
面識もなければ関係もない、“雲の門”の威光に縋り付いているだけの末端の連中がどうなろうと知ったことではないが、ネミアをはじめとする幹部連中とは、長らく親しくやってきたという事実がある。その事実が、彼の心に鎖の如く絡みつき、彼の行動力を奪うのだ。
『あなたが物分かりのいいひとで良かったわ。あなたが素直に投降してくれたおかげで、失わなくていいものを失わなくて済んだものね』
ラーゼンが脳裏に思い浮かべたのは、ラミューリン=ヴィノセアと初めて会ったときの台詞だった。ラミューリン=ヴィノセアは、東帝国最大の権力者といっても過言ではない人物であり、彼女の意向は、皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンの意向といっても過言ではないといわれている。
彼女がいったその一言は、もし、ラーゼンが投降せず帝国に従わなかった場合、“雲の門”の皆がいたずらに命を奪われ、晒し者にされていただろう可能性を示唆するものだった。ラミューリンには、それを行えるだけの権力がある。
逆をいえば、だ。
東帝国の意向に従う限り、“雲の門”の存在は容認され、ネミアらの命も身分も保証されるということでもある。
実際、ラーゼンが東帝国の一員として功を成すたびにネミアたちの待遇は良くなっていっており、こうしてネミアが彼の部屋に入り浸っていられるのも、彼の側にいることができるのも、ラーゼンが都市のひとつをたったひとりで制圧するという離れ業をやってのけたからにほかならない。
ラミューリンは、ひとの扱いがよくわかっている。人間を支配するには、ただ鞭を与えればいいわけではない。功績に応じた評価を行い、それ相応の対価としての飴を与えるということを決して忘れないのだ。
ラーゼンの厚遇は、その戦功に応じたものであり、その第一弾として真っ先に“雲の門”幹部の待遇改善に思い至ったのは、ラミューリンがひとの機微を理解する能力に長けていることの証だろう。ただラーゼンの待遇を良くするのではなく、ラーゼンにとっての楔とでもいうべきネミアたちの待遇を改善することで、東帝国も決して居心地の悪いものではないという錯覚を抱かせることから始めたのだ。
そうして、ラーゼンにやる気を出させようとした。
もっとも、ラーゼンにやる気などあろうはずもない。
東帝国の一員として、西帝国と戦わなければならないのだ。やる気など出るわけがなかった。東帝国も西帝国も、元はといえばザイオン帝国なのだ。ザイオン帝国といえば、かつての三大勢力であり、彼が生まれ育った小国家群を蹂躙し尽くした軍事大国だ。憎むべき対象でこそあれ、協力したいなどと想うわけもない。
もちろん、そんな想いはおくびにも出さない。本心を現せば、東帝国の軍人たちを敵に回すどころか、ネミアたちまでも傷つけかねない。ネミアたちもまた、帝国人ではあるが、あの戦いには無縁であり、ひとの良さだけで生きてきたような連中だった。彼女たちを傷つけるようなことはできなかったし、だから、彼はここにいるといってもいい。
ニアフェロウ。
旧帝国時代、第六方面と第一方面の境界近く、第六方面側に位置することで知られたその都市は、ラーゼンが東帝国軍の一員としての初陣で落とした都市でもあった。第六方面は西帝国の領土であり、ニアフェロウにも西帝国軍の戦力が常駐し、厳重に護りを固められていた。
東帝国は、これまで、ニアフェロウやニアダールといった国境付近の都市を落とすべく戦力を繰り出しては、手痛い反撃を受け、攻めあぐねていた。それは、西帝国にとっても同じであり、東帝国領に乗り込むか、国境付近での小競り合いを繰り返し、両国ともに決定打にかける戦いを続けていたのだ。
その代わり映えのしない戦況に一石を投じるようにして現れたのがラーゼン=ウルクナクトであり、彼は、電光石火の如き早業でニアフェロウの防衛網を突破すると、西帝国軍に甚大な被害を与え、ニアフェロウから撤退させた。かくしてニアフェロウの制圧に成功したラーゼンは、その功によって、東帝国内での発言力を確かなものとする。
ラーゼンの活躍は、それだけに留まらない。その後、ニアフェロウ北の都市ニアダール、南の都市ニアズーキをつぎつぎと制圧せしめ、さらに西へ攻め込み、ニアサイアンをも攻め落としている。それらの都市攻略はラーゼンひとりの戦果ではないものの、いずれの戦場においても第一の功はラーゼンだった。ラーゼンはさながら、東帝国躍進の象徴となりつつあり、東帝国の軍人の中でも評価が高まりつつあった。
皇帝ミズガリスハインさえ、ラーゼンの活躍に気をよくし、直筆の賞状を寄越し、ラーゼンを限りなく賞賛した。これまで長い間、東帝国と西帝国の間には拮抗状態が続いていたのだ。その均衡を打ち破り、東帝国優勢の空気を作り出したのだから、皇帝も手放しで喜ぶのは当然といえば当然のことだ。ラーゼンとしてはどうでもいいことではあるが、そのおかげでネミアたちの待遇が極めて大きく改善されたことには、素直に喜んだものだ。
自分のことは、どうだっていい。
彼が考えるのは、彼に頼るしかない女の哀れさについてだ。
ネミアは、元来、男勝りで、男の手など借りずとも、独力で生きてこられた人物だ。女傑といっていい。“雲の門”の幹部連中も、ネミアのそういった男らしさに惚れて付き従っていた。それがいまや、ラーゼンに縋り付くことでしか呼吸すらできないような惨状であり、彼は、そんな彼女が哀れで仕方がなかった。
東帝国の支配下にある限り、彼女は、そう在り続けるしかあるまい。彼女の命数を握っているのは、ラーゼンといっても過言ではないのだ。ラーゼンがネミアたちに興味をなくせば、その瞬間、彼女たちの命数は尽きる。
無論、彼女は、口ではそのようなことはいわない。いや、口だけではない。本心で、自分の命のことなどどうでもいいとでも想っているに違いなかった。烈女だ。ラーゼンには、自分たちの命のことなど考える必要はない、と、何度もいってきている。自分たちがどのような目に遭おうとも気にするな、とも。
そも、ラーゼンは、“雲の門”の人間などではないのだから、好きに生きればいい。
想うまま、気の向くままに生きればいい。
そうする力があるのだから、東帝国になど従う道理がどこにあるのか。
ネミアのそんな言葉が、より一層、ラーゼンを“雲の門”に縛り付けている。