第二千三百十九話 北方戦線(二)
方舟ウルクナクト号が北方都市群に到着したのは、二月二十八日、正午過ぎのことだ。
ゲイン手作りの昼食に舌鼓を打ち、満腹になった満足感の中、皆と一緒にまどろんでいる
ちょうどそのとき、女神マユリからの到着の連絡が入ったのだ。セツナたちはすぐさま機関室に向かい、映写光幕に映し出された地上の様子を確認しながら、ランスロット=ガーランドの指示の元、着陸地点を探した。
北方都市群というだけあって、その地域には多数の都市が密集するかのように存在していた。いずれも堅牢な城壁に囲われた大陸特有の形式の都市ばかりであり、そのうちのひとつ、大都市ディヴニアの南側に船を下ろすよう、ランスロットが指示した。ディヴニアは、東帝国との国境に近い都市の中でも最大規模のものであり、要塞染みた外観からもわかるとおり、西帝国領北東部最大の軍事拠点だという話だ。
北方都市群のうち、東帝国に攻撃を受けているのもこのディヴニアの管轄下にある都市群であり、剣武卿が援軍に向かったのもディヴニアだった。ディヴニアから、北方都市群防衛の指揮を取るということだ。
ウルクナクト号がディヴニア付近に降り立つと、帝都のときと同様に多数の武装召喚師たちが都市内から姿を見せた。ディヴニアにて警戒に当たっていたものたちが方舟の接近に気づき、出撃してきたのだ。その素早い反応には、ランスロットも満足げだった。
当然のことだが、そうしてセツナたちに対応するべく出撃してきた武装召喚師には、ランスロットが姿を見せるだけで武器を収め、セツナたちはあっさりとディヴニア市内へと歩を進めた。
ディヴニアは、西帝国の領土となる以前、旧帝国時代から第六方面最大の軍事拠点だったという。
旧帝国時代、七つの方面に分割して統治されていたのだが、七つの方面には、それぞれ特徴的な最大の軍事拠点が存在しており、その大軍事拠点のひとつが、このディヴニアだったのだそうだ。西帝国は、その旧帝国時代の遺産とでもいうべき代物を上手く活用し、東帝国との間に拮抗状態を構築していたのだ。しかし、それもいまや破られつつあり、ディヴニアが落ちるようなことがあれば、北部戦線は崩壊の憂き目を見るだろうというのが、西帝国の直面している危機だった。
「それで、剣武卿は既に都市のひとつを奪還せしめた、と」
「そういうことだ。残念だったな、光武卿。卿の援軍など、不要だ」
ランスロットに向かって、勝ち誇るでもなくただ冷淡に告げたのは、剣武卿シャルロット=モルガーナだ。
セツナたち一行は、迎撃から出迎えへとその態度を豹変させた武装召喚師たちによって大軍事拠点ディヴニアの作戦本部たる白龍塔に案内され、その司令室において、剣武卿シャルロット=モルガーナとの対面を果たしたのだ。
剣武卿は、凜然とした美女であり、その容貌はさながら研ぎ澄まされた刀身のようであり、セツナは思わず見とれかけてミリュウとシーラに睨み付けられた。様々な美人を目にしてきたセツナだが、シャルロットのような冷徹さを発する美人というのは、あまり類を見ないかもしれない。長身痩躯。身に纏った軍服は、剣武卿としての彼女の身分を証明するかのように絢爛であり、その美しい容姿をさらに輝かしいものとしている。多くの帝国人がそうであるように黒髪で、切れ長の目には碧い虹彩が浮かんでいる。
「それはよかった。とはいえ、こちらも勅命でしてね。はいそうですかと帰るわけにはいかないんですな」
「……見ればわかる」
シャルロットは、ランスロットの軽口に頷くと、セツナに視線を向けてきた。
「あなたは、セツナ殿……ですね」
「ええ。初めまして、シャルロット=モルガーナ殿」
「こちらこそ、初めまして……」
シャルロットは、セツナと握手を交わすと、そのまま、まじまじとセツナの顔を覗き込んできた。碧い瞳一杯にセツナの顔が映り込む。背筋に冷ややかな視線が突き刺さってくるが、セツナにはどうしようもない案件であり、胸中で苦笑いするほかなかった。シャルロットがセツナをじっと見つめてくる理由は、想像がつく。
シャルロットは、三武卿と呼ばれる皇帝ニーウェハインの腹心のひとりだが、その前身たる三臣時代から、ニーウェを支えてきた人物でもあるのだ。皇子ニーウェの護衛の身分から三臣として知られるほどにまでなった彼女の忠誠心たるや、凄まじいものであり、同時にニーウェへの愛情の深さも、セツナはよく知っていた。彼女がセツナの顔を見つめるうちに思わず表情を緩めたのも、セツナがニーウェとあまりにもそっくりであり、彼女の心を揺り動かしたからに違いない。彼女もそのことに気づいたのだろう。慌てて手を離したときには、シャルロットは顔を赤らめていた。
「……し、失礼した」
「なにも謝ることではありませんよ。俺と陛下は似ているというより、そのままですから」
セツナは、本当のことをいっただけなのだが。
「見た目だけはね」
「うんうん」
「そうでございますね」
「本当にね」
「おまえらさ」
セツナは、思わず背後を振り返ったが、ミリュウ、シーラ、レム、ファリアの四名は素知らぬ顔で視線を逸らしていた。話を円滑に進めるうえでは、彼女たちを連れてくるべきではなかったのではないか。そんなことを思ってしまうくらいには、鬱陶しい。
「いえ、見た目だけではないでしょう」
「はい?」
「あなたの中には、確かに陛下と同じものがある」
シャルロットを見ると、そのまなざしには、柔らかくも熱いものがあった。それは、ニーウェの記憶の中に見た彼女の素顔そのものだった。
「そんなあなたならば、信じられる」
シャルロットの予想外の一言に、うんうんとうなずいたのはランスロットだ。
三武卿のふたりは、長年ニーウェの側にいたふたりでもある。ふたりには、セツナの中にあるニーウェと同じなにがしかを感じ取ることができた、とでもいうのだろうが。
セツナは、自分の中にそんなものがあるとはつゆ知らず、茫然とした。
あったとしても不思議ではない。
ニーウェとは、一度、合一をしかけている。
そのとき、ニーウェの心の一部でもセツナの中に流れ込んだのではないか。
ふと、そう思い至ったのは、自分とニーウェが普通の関係にはないからであり、特別な間柄だからにほかならない。
ディヴニアとは、古代語で龍の翼という意味だ。第六方面には、龍を意味するディヴという古代語をつけられた大都市が点在しているのだが、それがどういった由来なのかは、帝国人にもわかっていないらしい。
古代語とはつまり、聖皇による世界改変以前に遣われていた言語であり、古代語のつけられた都市の歴史もまた、それ以前から続いていると考えるべきなのかもしれない。つまり、ディヴニアやディヴジン、ディヴディークといった都市名をつけられたのは、世界改変前であると見ていいのではないか。であれば、納得もできるというものだ。
古代には、竜属が多く存在したという。それら竜属にあやかって地名や都市名をつけるのは、自然なことだ。
ディヴニアの周囲には、それ以外にも古代語でつけられた都市が多い。いや、ディヴニア近郊だけではない。小国家群の大半の都市がそうだった。むしろ、古代語でつけられていない都市を探すほうが困難を極めるくらい、この世界には古代語があふれていた。それはつまりなにを意味するのかといえば、共通語が強引にねじ込まれたものであるということであり、世界改変の影響を見て取れるということだ。
ミリュウからその話を聞くまでは疑問にも思わなかったことが、いまとなっては不自然かつ不可解なものに思えてくる。
聖皇による世界改変は、生物の有り様を変え、言語を変え、世界の形さえも変えてしまったが、地名や都市名までは変えられなかった。歪な変化が歪な結果を残したのだ。
サイファカナン、ニアサイアン、サイファタダイン、ニアダール、ニアフェロウ、ニアズーキ――ディヴニアの管轄下にあり、北部戦線において戦場となっている都市のいずれもが、古代語でつけられた名だ。もし、聖皇の世界改変が完璧に、完全無欠に機能していれば、それら都市の名称も共通語に変わっていたのではないか。
ふと、そんなことを思ったのは、剣武卿シャルロットが現在総指揮を取っているディヴニア戦線の状況説明の最中であり、彼は、自分が馬鹿げた妄想家になりかけていることに気づき、憮然とした。
作戦会議室には、シャルロットとランスロット、それにセツナたち一行だけが集まり、卓上に広げられた地図を囲んでいた。
ディヴニア周辺の地図には、先ほど挙げた都市の名称が書き記されており、そのうち、東側の都市であるニアダール、ニアフェロウ、ニアズーキに赤い駒が乗せられている。それ以外の都市にはいずれも青い駒で置いてあるところを見れば、その駒がなにを示しているのかわかるだろう。敵味方の勢力図だ。つまり、ニアダール、ニアフェロウ、ニアズーキの三都市が現在、東帝国によって占領されているということであり、当面の目標は、それら三都市の奪還ということになる。
ちなみに、シャルロットがディヴニア着任後早々、戦力の大半を集中させることでニアサイアンより東帝国軍を撃退することに成功したということだ。件のラーゼン=ウルクナクトも、さすがに多勢に無勢だったのだろう。ラーゼン=ウルクナクトが手を引けば、奪還は容易かったらしい。
「それら三都市のうち、ニアダール奪還作戦が現在進行中だ。しかし、三都市のいずれかに戦力を集中させれば、ニアサイアンが再び攻撃されかねず、ニアサイアンに集中させた戦力のすべてをニアダールに向けることはできない」
「それだと、ラーゼン=ウルクナクトの独壇場になるのでは?」
「故にわたしみずからニアサイアンに入り、ニアフェロウに攻撃を仕掛けるつもりだったのだ」
「……なるほど。ニアフェロウにラーゼンの注意を向けさせるつもりだったか」
「剣武卿の威光は、こういうときにこそ役立てるものだろう」
「確かに。三武卿のひとりがみずから打って出てくるとなれば、東帝国もそこに最高戦力をぶつけるしかない。その間にニアダールを奪還してしまえば、東帝国の気勢を削ぐことができる……」
さらにニアダールを取り戻した戦力がニアフェロウに集まれば、ニアフェロウの奪還もなり、その勢いに乗って、ニアズーキの奪還すら可能かもしれない。そして、それら三都市の奪還がなれば、西帝国軍の戦意はいや増し、余勢を駆って東帝国領に攻め込むことさえ不可能ではあるまい。ただし、それらはいまのところ机上の空論に過ぎず、シャルロットも必ずしも達成できるとは考えていないようだった。
「とはいえ、東帝国とて、無能の集まりでも烏合の衆でもない。優秀な帝国軍人が山ほどいるのだ。一筋縄ではいくまい」
「だからこそ、セツナ殿が派遣されたというわけでね」
「……ああ、理解している」
彼女は、卓上の命令書を一瞥すると、セツナたちに視線を向けてくる。すると、ランスロットに対する冷徹な表情とは微妙に異なる顔つきになった。意識してのことではあるまい。
「作戦は既に動いています。我が方の戦力がニアダールに結集しているという報せが敵軍に伝わり、また、わたしがニアフェロウを目指しているという情報も届いていることでしょう。敵軍も、防衛と迎撃のために戦力を動かしているに違いありません」
「では、俺たちはどう動きましょう? 個人的には、ラーゼン=ウルクナクトを任せて欲しいのですが」
「ほう? ラーゼンを。わかりました、セツナ殿ならば、ラーゼンに後れを取ることはないでしょうし、任せましょう」
シャルロットは、セツナの提案を一も二もなく受け入れてくれた。
「あたしたちは? 全員でラーゼンひとりに当たるのは効率が悪いと思うけど」
「そうですな。どうせなら、三都市すべて、一挙に取り戻すのはどうでしょう?」
「なるほど。しかし、現状一番手薄になるだろうとはいえ、ニアズーキの防衛も決して温くはないぞ」
「なに。セツナ殿御一行に任せておけば心配ないとも。ねえ、セツナ殿?」
「もちろん」
セツナは、ランスロットの期待に満ちたまなざしに対して、胸を張って肯定して見せた。




