第二千三百十八話 北方戦線(一)
ランスロット=ガーランドが話しかけてきたのは、彼が、セツナたちの北方都市群行きに同行することが決まっていたからだ。
彼が同行するのは、同盟者であるセツナたちの北方都市群における戦闘行動が円滑に行えるように補助するためだ。セツナたちだけが北方都市群とやらに辿り着いたところで、現地の西帝国軍と打ち解けるのは簡単なことではあるまい。皇帝の勅命であり、命令書を見せれば一発で解決することではあるのだろうが、それにしたって、やはり西帝国政府の関係者が同行してくれたほうがいいに決まっている。
北方都市群は、当たり前のことだが、南ザイオン大陸西ザイオン帝国領にとっての北方に位置しているからこその呼称であり、本来ならば帝国領西方都市群とでもいうべき地域であるらしい。
帝国領は、かつて、七つの方面に分けられて管理されていたのだが、その第六方面の北部一帯のことを西帝国では北方都市群と呼んだ。帝都シウェルエンドがあるのも第六方面であり、旧帝国および東帝国の帝都ザイアスがあるのは第一方面だ。
西帝国領は、第六方面、第五方面の大半であり、東帝国の領土は第一方面の南半分ほどに加え、第五方面の一部、第四方面の一部といった具合だ。両帝国の境界線というのは極めて曖昧で、故に国境付近での小競り合いが頻繁に起き、ときに激しい戦いに発展するという。当然だろう。小国家群の末期のような馴れ合いとでもいうような状況にはなく、互いが帝国の後継としての正当性を主張し、ぶつかり合っている。どちらも領土を譲り合える状況にはなく、故に、ときには国境を侵して軍を進め、ときには国境の護りを固め、血で血を洗うような激しい戦いを繰り広げている。
そんな状況がおよそ二年近く続いていて、互いに決め手を持たぬまま、両帝国の領土はある種の安定期を迎えたような状況にあった。その状況が突如として動いたのが、ニーナ・アルグ=ザイオン率いる外遊船隊が西帝国を出港した直後、つまり半年ほど前のことであるという。東帝国が満を持して投入した新戦力が、他の地域と同じく拮抗状態を維持し続けていた北部戦線に異変をもたらした。
それがラーゼン=ウルクナクトだ。
「剣武卿が出向かざるを得なくなるほどの事態なんて、これまで一度だってなかった」
「それくらい、西帝国は北の情勢変化を重く見ているということですね」
「それはそうでしょう。これまでどこの戦場も拮抗したまま、大きな変化もなかった。そのある種の均衡が敵の手によって崩されたんですから、我が西帝国政府も焦りますとも。そういう意味でも、あなたが我々より先に帝都に到着していたことには感謝しかありませんな。しかも、こうして空を飛んで行くということは、召喚車を利用するより余程早く目的地に辿り着けるでしょうし……至れり尽くせりです」
ランスロット=ガーランドは、船首展望室の窓の外を眺めながら、満足そうにいった。実際、彼のいうとおりだろう。帝国領土は、召喚車の鉄道網によって極めて移動が楽になっている。兵も物資も、召喚車によって極めて早く目的地に送り込むことができた。しかし、方舟によって地形を無視して移動するほうが何倍も早いのは、火を見るより明らかだ。
地上を走る召喚車は、その動力を召喚武装が発する力から得ている。そのため、その速度にもある程度の限界があり、広大な西帝国領土の南西部から北部まで移動するには、かなりの日数が必要だった。その点、方舟は、召喚車のような限界はないといっていい。ログナーでの戦い以来不調に陥ってはいるものの、それでも、召喚車より数段早く高空を飛び、目的地へと向かっている。
「それに、件のラーゼン=ウルクナクトとやらも、セツナ殿と皆さんなら簡単に討ち果たしてくれるでしょう?」
「期待には応えるつもりですよ。あのとき、船を貸してもらった恩を返すときですから」
「頼もしいことです」
ランスロットがこちらを見た。その秀麗な顔立ちに見合わない軽薄さも、いまは形を潜めている。状況に応じて態度を変えるのだろうが、真面目なときは、その容貌も相まって極めて完璧人間のような印象を受けた。
彼の武装召喚師としての力量は、ファリアがかつて苦戦を強いられたという事実によって証明されているといっていいだろう。セツナたちの到着が少しでも遅れていれば、彼が北方の戦線に送られていたのだろうことは想像に難くない。ミリュウ曰く、凄腕の剣士であり召喚武装使いであるらしい剣武卿シャルロット=モルガーナとランスロットのふたりが力を合わせれば、さしものラーゼン=ウルクナクトも苦戦を強いられるに違いなかった。
ましてや、セツナ一行が相手となれば、どれほどの実力者であっても一溜まりもあるまい。
セツナたちが極めて楽観的に考えているのは、自分たちの実力を鑑みてのことであり、自分たちの力を過信しているわけでも、相手を過小に評価しているわけでもなかった。ザルワーン、ログナーの戦いを考えれば、相手がただの武装召喚師や召喚武装使いという時点で、そう思うのも致し方のないことだ。ただの人間を神と獅徒、神人の軍勢などと比較するのは、あまりにも哀れだ。
もちろん、召喚武装によっては、苦戦を強いられる可能性も皆無ではないのだが。
(エスクだろうしな)
ラーゼン=ウルクナクトなる謎の武装召喚師の正体に関しては、セツナたちは、もはやエスク=ソーマと断定し、それ以外には考えられなくなっていた。光の剣を扱う黒き矛の下僕と名乗るような人物など、ほかにありえない。そして彼ならば、帝国の武装召喚師相手に一騎当千の戦いぶりをしたとしても、決して理解できなくはない気もした。が、エスクはエスクだ。どれだけ鍛え上げられたとしても、ただの召喚武装使いに過ぎないのだ。獅徒や神とは違う。
戦いになれば必ず勝てる。
そんな確信とともに、戦いたくはないという気持ちもないではなかった。
エスクは、セツナに忠誠を誓った家臣のひとりであり、また、槍術の師匠でもあった。剣術でもって戦いの基本、基礎を叩き込んでくれたのがルクス=ヴェインであれば、既に癖付いていた長柄武器の扱い方を一から叩き直してくれたのがエスク=ソーマだった。そんな彼と戦うことそのものは問題ないが、その結果、命を奪うようなことだけはしたくない。
できれば、彼を味方に引き入れたいというセツナの望みは、ファリアたちも共有してくれている。エスクに対して思うところのあるだろうシーラでさえ、セツナの考えに賛同してくれていた。エスクの実力に関しては、セツナ一行のだれひとりとして疑うものはいない。人格的には問題の少なくない彼だが、味方となれば、必ずや戦力となってくれるだろう。
しかしそのためには、まず、北方都市群に赴き、現地の情勢を知らなければならない。
北方都市群と帝都には大きな時間差がある。
帝都で対策を練っている間に北方都市群の情勢に変化が起こっている可能性は極めて高く、それが西帝国にとって良い変化であるとは言い切れないのだ。もしかすると、さらに悪化している場合だって大いにあった。
剣武卿が敗れ去る、なんということも考えられなくはない。
相手は、多数の武装召喚師をただのひとりで押し返し、数々の都市の制圧に力を発揮したラーゼン=ウルクナクトだ。剣武卿の実力は、ミリュウのお墨付きもあるとはいえ、ラーゼン=ウルクナクトがそれを上回っている可能性も大いにある。
セツナは、女神マユリに北方都市群への到着を急がせるとともに、漠然とした期待と不安の中にいた。
エスクとの再会を期待する一方で、彼がもし、敵に回り続けるということになったとしたら。
セツナは、そのとき、どうすればいいのか。
北へ向かう船の中、彼は、そのことばかり考えていた。