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第二千三百十二話 ニーウェハイン(十)

「責任、か……」

 彼は、反芻するようにつぶやくと、困り果てたような顔をした。目元だけの表情で彼の感情を読み取れるのは、やはり、かつての同一存在だったからなのか、どうか。

「そうしたいのは、やまやまだっていってるの、わからないかな」

「わかんねえな。俺にはさっぱりさ」

 とはいったものの、彼が言いたいことそのものを理解していないわけではない。彼の体に表れている症状は、白化症の中でも恐らく末期に近いものであることはセツナにも想像がつく。白化症は、肉体を蝕み、白く変容させていくものだが、人面瘡のようなものが作られるのは、発症してすぐのことではあるまい。白化症は、最終的に神人や神獣へと変容させるものであり、ニーウェの肉体は既に神人への変異が起こり始めているに違いないのだ。

 彼がいう、時間がない、ということへの実感は、強い危機感に満ちたものであり、強迫観念さえ持っている。早くしなければ、自分を見失い、周囲のひとびとを傷つけかねない。いやそれどころか、西帝国そのものを滅ぼしてしまうのではないか、という恐怖が、彼を突き動かしている。

 それは、わかる。

 だが、いや、だからこそ、セツナは、彼の申し出を受け入れることなどできないのだ。

「俺は、約束したんだ。皆を幸せにするって。だれひとり見捨てない。手放さない。絶対に幸せにしてみせるって。そのためなら、鬼にだって、悪魔にだってなってやるってな。だから、あんたのようには諦められないんだ」

「……君には時間があるから、そういえるんだ」

 ニーウェがひどく冷ややかに告げてくるのを、セツナは涼しい顔をで聞いた。

「どうだかね」

「……どういう意味?」

「俺にどれだけの時間が残されているのか、わかったものじゃないって話さ」

「まさか君も……?」

「いや、白化症とは違う。違うんだけどさ、深刻さでいえばどっちもどっちって感じらしい」

 彼が思い浮かべるのは、ベノアでの激戦のことだ。それ以降の戦いを考えれば、ほんの序章に過ぎなかった神との戦闘。アシュトラと名乗る神との、戦い。その戦いの果て、アシュトラはセツナに対し、あることをした。それが、いまも彼の肉体を、精神を、魂を蝕んでいる。

「呪われてるんだよ、俺」

 セツナは、なんともいえない顔になるのを自覚しながら、笑った。


「神の呪い……?」

 すべてを話し終えると、ニーウェは、愕然とつぶやいた。神の呪い。そのようなものがこの世に存在するなどとは、だれも想像できまい。セツナすら、それが本当に自分に作用しているのか、知る術さえなかった。だが、アシュトラは確かにいった。呪った、と、告げたのだ。神が虚言を吐くとは思えない。あれほどの怒りに駆られた神がしでかすことだ。たとえ、神の存在意義を揺るがす行いであるとしても、セツナを呪わずにはいられなかったのではないか。

 だから、セツナを呪った。

 その結果、アシュトラは、神ではいられなくなったはずだ、と、マリクはいった。神はひとの祈りによって生まれた存在なれば、ひとを呪うことは己を否定し、神としての尊厳のすべてを放棄することにほかならないからだ、という。

 呪いを解く方法はひとつ。呪いをかけた当人に解いてもらうよりほかはない。しかし、その当のアシュトラがどこへいったのかは、わからない。神でいられなくなったアシュトラに、神の時代の呪いを解けるのかという問題もある。

 おそらく、解けないだろう。

 マリク神の下した結論は、絶望的なものだったが、セツナは、決して絶望しなかった。

「それがどういったものかは、よくわからない。肉体的な害をなすものなのか、それとも、精神的に蝕んでいくものなのか、あるいは両方か。いずれにせよ、俺の将来は決して輝かしいものじゃあないらしいんだ」

 いまのところ、呪いがセツナになんらかの害をなしているということはないのだが、いつかは表面化するだろう。それがいつなのかわからないのが、一番怖いところだった。

「つまりさ、俺があんたの提案を承諾したとして、上手く行くとは限らないってこと。もしかすると、あんたが皇帝を続けるよりも早く終わるかもしれない。その可能性は、皆無じゃあないんだ」

「そんな……」

 ニーウェが、失意のどん底に突き落とされたような目をした。彼にとっては唯一無二の希望であり、いまこそ、その希望に手を伸ばそうとした矢先の出来事だ。絶望するのも無理からぬことだったし、彼の想いを踏みにじることになったという事実には、セツナも苦痛を覚えずにはいられない。

「そう絶望してくれるなよ。俺は、決して自分の人生を諦めちゃいないんだからよ」

「セツナ……」

「あんたも、諦めてくれるな」

 セツナは、ニーウェの目を見据えたまま、告げた。

「俺の知り合いに名医がいる。マリア=スコールっていうんだけどさ、その名医が今現在、白化症の治療法を研究しているんだ」

「治療法が確立されるまでなんとしてでも生き延びろ、っていうのか? この俺に」

「ああ」

「気安くいってくれるもんだ」

「あんたは、皇帝なんだろう? かつて世界の四分の一を領有していたザイオン帝国の新皇帝、ニーウェハイン・レイグナス=ザイオン陛下ならば、それくらい容易いことではありませぬかな」

 セツナがおどけていうと、ニーウェは、肩を竦めた。

「……君は、俺を怒らせたいのかな」

「その意気だよ」

 セツナは、ニーウェの目に活力が戻ったことを称えたのだが、彼には伝わらなかったらしい。怒気が、全身から放射される。

「なにがだ、馬鹿セツナ」

「はは」

「笑い事じゃないんだぞ。俺がどれほどの苦痛の中にいると想ってるんだ」

「そうだな。俺には想像もつかないよ」

 その点では、返す言葉もない。彼はおそらく、想像を絶する痛みと戦い続けているのだ。それこそ、命を絶ったほうがましだと想うくらいの、いや、実際にそのほうが遙かに増しであろう激痛の中にいる。異界化した半身が白化症による侵蝕を食い止めているわけではないのだ。白化症は常に進行中で、彼が自我を保っていられる理由が、異界化した半身にあるというだけのことなのだ。

 白化症は、激しい痛みを伴うものであり、痛みによって意識を蹂躙し、やがて自我を失い、完全な化け物と成り果てる、という。彼には、確かに時間がないのだ。いずれ、白化症が彼の肉体のうち、人間の部分を覆い尽くし、変容し尽くせば、彼は自我を保っていられなくなるかもしれない。異界化した半身の力でもってしても、自分を維持できなくなるかもしれない。

 だから、彼は、この西帝国を維持するための最終手段として、セツナとの再会を望んだ。それがかなわぬ夢かもしれないと諦めかけていたところ、突如、希望が降って沸いた。彼が狂喜乱舞するのも当然だったのだ。そういった彼の心情を想えば、セツナは自分が鬼畜生になったような気分にもなる。

 だが、一方で、彼に諦めて欲しくはないというのも、事実なのだ。

「でもさ、その痛みも、愛しいひとのためならば耐えられるんだろ? あんたは、そういう人間だったはずだ」

 ニーウェの記憶の中で、彼はいつだってニーナを追いかけていた。ニーナは、彼にとってたったひとりの肉親といっても過言ではない。腹違いの兄弟は、ほとんどが彼の敵であり、家族などではなかった。家族はニーナただひとり。その家族のためにも、彼には生き抜いて欲しいのだ。こんなところで、諦めて欲しくない。

 それがとてつもなく苦しいことだとしても、だ。

「……君という奴は」

 ニーウェは、苦い顔をして、なにかを諦めきったように告げてきた。

「魔王のような男だな」

「魔王の杖の使い手には相応しい異名だよ」

「喜ぶなよ、馬鹿セツナ」

「あ、気に入ったな、その呼び名」

 セツナは、ニーウェの軽口を聞いて、心底ほっとした。彼は、セツナの意見を受け入れてくれたらしい。ニーウェが口先を尖らせた。

「馬鹿を馬鹿と呼ぶのは、なにも間違いじゃないだろ」

「ふふん、その馬鹿に皇帝をやらせようとした阿呆のいうことじゃあないなあ」

「だれが阿呆だ、この馬鹿もの」

「阿呆になにをいわれたところで、響きませんなあ」

「くっ……不敬罪で牢にぶち込もうか」

「はっはっはっ、そんなことをすれば、どうなるかわかりましょうな」

「……魔王の手下が暴れ出すな」

「そういうことです」

 セツナがにやりと肯定すると、彼は、深いため息をついた。

「魔王には敵わないな」

 しかし、その目は、どこかすっきりしたように笑っていた。

 無論、なにか問題が解決したわけではない。ニーウェの白化症が治ったわけでも、治る算段が付いたわけでもない。依然、ニーウェは白化症に苛まれたままであり、それも深刻な状態だ。ニーウェとしては、なんとしてでもセツナに自分の代わりをして欲しいという状況に違いはないのだ。しかし、ニーウェも、セツナが決して受け入れてくれないということを理解し、その点では、諦めてくれたようだった。

 逆に、彼は、生き抜くことを諦めないという選択をしてくれた。

「もうしばらくは、戦ってみるさ」

 元々はそのつもりだったんだ、とも、彼はいった。

 それはそうだろう。セツナが現れなければ、いますぐセツナにすべてを押しつけ、みずからの命を絶つ、などという発想にはいたれなかったのだ。

 世界のどこかにいるだろうセツナが見つかるまでは、なんとしてでも生き抜き、戦い抜いたに違いない。

 彼が今回、感情的になったのは、求めていた希望が突如目の前に現れたからにほかならない。

 だれだって、絶望の闇の中、希望の光が目の前に現れれば、なりふり構わず飛びかかるものだろう。

 ニーウェに落ち度はない。

 セツナは、彼との軽口の応酬の中で、そんなことを考えていた。




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