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第二千三百十一話 ニーウェハイン(九)

「だから俺にニーウェハインを演じろっていうのか? 俺に、あんたの代わりになれって。そんなこと、そんなことできるわけがないだろ!」

 セツナは、大声を上げずにはいられなかった。皇帝の執務室は、皇厳宮三階の奥まった場所にあり、ある程度の大声を出しても音が漏れることはないという前提情報があるからこその叫び声ではあったが、たとえそんなことを聞いていなかったとしても、叫ばずにはいられなかったに違いない。

 ニーウェの考えは、理解した。彼の説明によって、その提案がいかなる心理、感情から生まれたものなのか、正確に把握できたはずだ。彼だって、こんなことを提案したくなどなかったはずだ。しかし、そういうわけにはいかない。事情がある。それも、笑って聞き流せるような事情ではない。冗談などではないのだ。彼も、追い詰められている。切羽詰まっているのだ。

 いまになって、謁見の際、ニーウェがセツナを抱きしめ、嗚咽を漏らした理由を思い知る。彼は、セツナとの接触を切望していたのだ。一日も早く、どころではない。一刻一秒を争うような焦りが、彼の中にあったのだ。

 だから、だろう。

 彼は、極めて穏やかな表情でセツナを見ていた。覚悟が決まりきったものの表情というのは、いつだって澄み切っているものだ。いまの彼のように。

「どうして?」

「は?」

「君と俺は、元は同じだ。異なる世界に生まれて、同一の存在。魂の形から、色彩まで、なにひとつ違わなかった。君ならば、俺に成り代わることができる。しかも、君は健康そのものだ。きっと、これから先、何年、何十年も皇帝としてこの国を導いていける。皇帝としての重責も、君ならば耐えられる。難しいことはなにもないさ。周りには、優秀な家臣たちがいる。彼らに任せればいい。君はただ、俺を演じてくれれば良いだけのことだ」

 ニーウェは、たやすく言い放つ。難しいことではないとでもいうように。

「それそのものは、決して難しくはないはずだ。俺が君の記憶を垣間見たように、君も俺の記憶を見たんだろう? 俺が周囲のひとたちに対しどのような感情を抱き、どのように触れあってきたのかも感覚として理解できるはずだ。そんな君なら、演じられる」

 なにをもってそう確信するのか、セツナには、まるでわからなかった。どこからそんな自信が湧いてくるというのだろうか。セツナとニーウェは、確かに彼のいうように同一存在であり、一瞬の邂逅で互いのことを理解し合えるくらい似通った存在だ。だが、だからといって、そこまで自信に満ちた物言いができるものだろうか。

「統一された帝国の秩序が安定し、つぎの皇位継承者が育ちきるそのときまで。もちろん、それは君の子供である必要はない。ほかの、優秀な皇族に任せてくれても構わない。国がひとつになり、安定したのであれば、憂慮するようなことさえなくなれば、好きにしてくれて構わない。なにも、君の人生を帝国に縛り付けるつもりはない」

「だったら!」

 セツナは、卓を乗り出して、ニーウェに迫った。彼は、涼やかな表情で微笑んでいる。異界化と白化症に冒され、もはや人間というにはあまりにも変わり果てた顔で、笑っている。

「あんたが別の皇位継承者を選べばいいだけじゃないのか!?」

「なにもわかってくれないのか? それじゃあ駄目なんだよ。俺じゃなきゃ、ニーウェハインじゃなきゃ、西帝国は纏まらないんだ。正当皇位継承者という大義があるから、だれもが俺についてきている。この西ザイオン帝国を盛り立ててくれている。帝国をひとつに纏め上げ、再び鉄の秩序を取り戻すまでは、俺が皇帝じゃないと駄目なんだ」

 ニーウェが、卓上に乗り出したセツナの右肩に手を置いた。

「だから、君に頼むんだろう」

 彼の言葉に押されるようにして、セツナは、後ろに下がった。椅子に腰を下ろしながらも、目は、ニーウェを見つめ続けている。

「この提案を受けることで、君に利点がないわけじゃない。君が皇帝となれば、帝国の財力、人材、軍事力、なにもかも想うままに使いたい放題になるんだ。君は、ネア・ガンディアと戦っているといったけれど、その圧倒的な軍事力を誇る組織に対抗するためには、帝国を掌握するのは悪くない判断じゃあないか? かつて帝国は、二万人に及ぶ武装召喚師を保有した武装召喚師大国だった。いまは、そのうちどれくらいが生存しているかはわからないが、少なくとも我が西帝国には二千人あまりの武装召喚師が所属している。その二千人がすべて君の下知に従うようになるんだ」

 ニーウェが、澄んだ目で見つめてくる。セツナと鏡写しの紅い瞳。

「君の目的も、果たしやすくなるんじゃないのかな」

「……確かにな」

 そこは、セツナも否定はしなかった。西帝国だけで二千人超の武装召喚師がいるという。東帝国を併呑すれば、倍くらいにはなるだろうし、もし帝国の統一というのが北大陸のことをも含めてのことならば、さらに倍に膨れあがる。八千から一万程度の武装召喚師を自由に扱えるというのであれば、その頼もしさたるや、想像しようもないほどだ。

 ネア・ガンディアと戦い、打ち勝つには、いまの戦力ではまったくもって物足りないということは、わかりきっている。セツナたちの当面の方針は、戦力の充実であり、そのための方策のひとつとして、西帝国への協力があった。西帝国に与することで、戦後、力をいくらかでも借りられないものか、と、考えていたのだ。

 まるでそんなセツナたちの目論見を見抜ききっているかのようなニーウェの発言は、しかし、予言でも予知でもなんでもあるまい。セツナがもたらした情報から導き出される推測に過ぎない。

「俺たちは戦力を欲している。それも、限りない戦力をだ。でなけりゃ、ネア・ガンディアに太刀打ちできねえんだ」

「……それほどの勢力なのかい?」

「ああ。帝国の全盛期以上といってもいい」

「ふむ……それならなおのこと、君が断る道理はないだろう?」

 彼は、涼やかに微笑んでくるが、セツナは頭を振った。

「それとこれとは話が別だっての」

「なぜ? 君は戦力を欲している。俺は、俺の代わりを求めている。利害は一致していると想うけど?」

「表面的にはな」

 セツナは、ニーウェの赤い目を見据えながら、告げた。

「だが、深層じゃあ、そうはならねえだろ」

「どうして?」

「あんたは、愛するニーナを諦められるのか?」

 セツナの質問は、ニーウェにとって痛いところだったのだろう。彼は、いままでの余裕をわずかになくした。色めきだったのだ。

「……いまする話じゃあないだろう」

「いや、関係あるね。あんたは、ニーナを愛し、ニーナのために生きてきたはずだ。そして、彼女を幸せにすると約束した。そうだろう」

「だから、なんだっていうんだ」

「約束を果たすのは、あんたの役目だ、ニーウェ。俺じゃあない」

 感情を露わにし始めたニーウェの有り様に、セツナは、確信を抱いた。彼は、やはり、ニーナを愛していて、諦められていないのだ。

「俺は、俺なんだよ。どこまでいってもな。確かに、あんたを演じることはできるかもしれない。けど、それは俺が演じたニーウェであって、本物のニーウェなんかじゃあないんだ。あのひとが、それで幸せになれるとか、本気で思ってるわけじゃあないだろ」

「幸福の形はひとそれぞれだ。なにも、俺とともに在り続けることがあのひとの幸福とは限らない」

「本気でいってんのか?」

「本気だよ」

 セツナの質問に、ニーウェは、目線を俯かせ、口をつぐんだ。その反応を見て、セツナは、俄然勢いづいた。セツナとしては、彼の申し出を受けるつもりなど端からない。当然のことだ。ニーウェの状況、心情は理解できる。が、だからといって、彼の申し出を受けて、ニーウェを演じ続けるなど、以ての外だ。短期間ならばともかく、帝国を統一し、秩序が安定するまで皇帝ニーウェハインを演じ続けるなど、到底できることではなかった。

 ネア・ガンディアがそのような時間を与えてくれるとは、とても思えない。

「嘘を言うなよ、ニーウェハイン皇帝陛下。あんたの、あのひとへの愛は本物だろう。家族とか、ふたりきりの姉弟とか、そういった垣根を越えたものだ。本質的で、掛け替えのないものだったはずだ。根源的な」

 セツナの脳裏には、ニーウェの子供の頃からの記憶が浮かんでは消えた。決戦の際、垣間見た彼の記憶は、ニーナへの純粋な愛情に満ちあふれたものだった。

「俺がニーウェになるってことは、ニーナを自分の妃にするってことだぞ」

「……ああ。そのとおりだ。それのなにが問題なんだ」

「強がるなよ」

 見つめ返してきたニーウェの瞳がわずかに揺れていることをセツナは見逃さなかった。

「俺が逆なら、絶対に嫌だっていうところだぞ。俺は、愛しいひとをだれにも渡さない」

「そこが君と俺の違いということだろう」

 彼はすまし顔でいってのけて、勝ち誇ってきたが、その空々しさには失笑を禁じ得ない。

「はっ、そういうところだけ都合良く判断するのはやめろよ」

「事実だ」

「嘘をつけよ。ガキの頃からお姉ちゃんの尻ばっかり追っかけてたのはどこのどいつだよ」「いまは関係ないだろ?」

「どこがだよ」

 セツナは、ニーウェの強がりが痛々しくて、見ていられなかった。

「あんたにとって、ニーナってのはその程度のひとだったってのか? 違うだろ。あんたにとっては、全存在を賭けてでも失いたくないひとだったはずだ。護り、包み、慈しみ、愛する対象だったはずだ」

「……だったら、なんだっていうんだ」

「俺にそんなひとを任せるんじゃねえよ。てめえで責任持てっていってんだよ」

 セツナは、たじろぐニーウェに思いの丈をぶつけた。



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