第二百三十話 龍か人か
「敵軍に二名以上の武装召喚師を確認、用心されたし」
「了解、第二軍団、戦闘行動を開始する」
と、そこまでは彼は真面目な顔をしていたのだろう。声音もいつにもまして硬質であり、軍団長らしさがあった。しかし、そんなものは一瞬で消え去ってしまう。伝令の声から、馬上の兵士が女性であることに気づいたのだ。彼は伝令の顔を覗きこみ、唸るようにいった。
「君、かわいいね、うちの部隊に来ない?」
「軍団長に訴えますよ」
「なにも怖がらなくてもいいじゃないか。うちの部隊、花が少なくてね。やっぱり、軍隊とはいえ、常に彩りを――いてっ」
ドルカが声を上げたのは、副官のニナ=セントールが彼の脇腹をつねったかららしい。後ろからではよく見えなかったが、多分、間違いない。ドルカの鎧は、脇腹を守りきれていないのだ。重装備ではない。軽装の、動きやすそうな鎧だった。彼は軍団長であり、この部隊の指揮官なのだ。先頭に立つつもりはないのだろう。もっとも、彼自身が手練れの剣士だということは、ナグラシアでの戦いぶりを見て知っている。大型の剣を自在に振り回し、並み居る敵兵を薙ぎ倒していたのは記憶にも新しい。
実力があるといえば、副官のニナも軍刀の扱いが巧みであり、並みの戦士では彼女に傷ひとつ負わせることができないだろう。さすがは精強で知られたログナーの軍人だと感心するしかない。
「うちの軍団長が失礼を。エイン軍団長にはよろしくお伝え下さい」
「は、はあ……」
ニナの冷ややかな言葉に、伝令の女性は反応に困ったようだった。しかし、留まってもいられないのだろう。敬礼を交わすと、馬を走らせて部隊に戻っていった。彼女が第三軍団の先発部隊から派遣された伝令だということは、その報告で知れたことだ。先発隊は、彼の所属する《獅子の尾》隊長であるセツナが率いている。
「軍団長、こういうときまでふざけなくていいですから」
「わかった、わかったから、その笑顔はやめてくれ。夢に出てくる」
「へえ? 夢に?」
「だ、だから、その笑顔を今すぐやめるんだ!」
なにやらいちゃついている軍団長と副官を見遣りながら、彼は、小さく嘆息した。まるでいつも見ている光景だった。いや、いつものふたりより甘さはない。が、より親密な雰囲気がふたりを包んでいるのは気のせいではないだろう。ドルカとニナが上司と部下以上の関係だというのは、部外者の彼にだって想像がつく。それ故の甘えが、ふたりの言動に現れている。軍人にあるまじき、といいたいところだが、直属の上司たるセツナ・ゼノン=カミヤやファリア=ベルファリアも同じようなものなのだから、どうしようもない。
ルウファ・ゼノン=バルガザールは、そういう相手がいない我が身の不幸を呪うとともに、なぜ、自分がこの軍団と行動を共にしなければならないのかを考えていた。エイン軍団が駄目なら、せめて、アスタル=ラナディースの下が良かったのだ。エイン軍団が第一候補なのは、さっきの伝令を見てわかる通り、女性兵士が多いからだ。つぎがアスタル軍団なのも、同じような理由だった。アスタルは美人であり、実年齢よりもかなり若く見えた。彼女の命令なら、喜んで従える気がした。
ドルカの発言ではないが、軍隊とはいえ彩りと潤いがあったほうが、ルウファもやる気になるというものだ。
そこまで考えて、彼は、軍人にあるまじきものは自分なのかもしれないとも思ったが、頭を振った。自分に正直に生きてなにが悪いのか。しかも、考えているだけだ。行動に移すようなことはしないし、言葉にもしない。彼は与えられた仕事をこなすだけで精一杯だし、そのために全身全霊を注ぐのが彼のやり方なのだ。不満があったとしても、全力を尽くすうちに吹き飛んでいる。
このドルカ軍団に配属されたことへの不平も、そのうち消え去っているだろう。そういうものだ。だからこそ、いまのうちに吐き出せるだけ吐き出すのだ。無論、心の裡で。
今回の作戦の部隊の振り分けにおいて、ルウファがドルカ軍団に配属されることになった理由については、おおよその予想はついている。そして、それは大きく外れてもいないだろう。まず、セツナを囮作戦に使うにあたっては、エインが麾下の部隊を使うのがもっともいいと考えたに違いない。セツナを自分の軍団に入れておきたいという邪な思惑もなくはないのかもしれないが、彼は、戦術においては真剣そのものだ。そして、東の森に罠を張るには、やはり、作戦立案者であるエインとその部下たちのほうがいいのだ。
つぎに、ファリアがアスタル軍団に入ったのは、彼女とドルカ軍団長の相性を考えてのことだろう。もっとも、それは単純にドルカがファリアにちょっかいばかりを出しているからであり、本質的な意味での相性の善し悪しはわからない。しかし、この作戦中ずっとドルカと一緒に行動するというのは、ファリアの精神的負担となり得る。もちろん、彼女はそんなことで愚痴をこぼしたり、命令に背くような人間ではない。が、アスタル配下のほうが気持ちよく戦えるのならば、それに越したことはないとエインやアスタルが配慮した可能性も大いにある。
そうすると、ルウファは残ったドルカ軍団に入るしかない。仕方のないことだと、諦めるしかなかった。愚痴をいって解決するようなものでもないし、なにをいっても、すっきりするわけではない。別に、ドルカたちが嫌いなわけでもない。ただ、戦場をともにするならば花のあるほうがいい、というだけのことだ。
ニナは、確かに美人だったが、とっつきにくく、話しかけても無表情であることが多いので、どうにも花という感じがしなかった。そもそも、彼女はドルカのものなのだという認識が、ルウファにはある。
「さて、ルウファ殿」
「はい?」
不意に名を呼ばれて、ルウファは慌てた。少し考えごとに没頭しすぎたのかもしれない。ドルカはこちらを見ており、彼の隣にいたはずのニナの姿が消えていた。後方から、彼女の声が聞こえてくる。ドルカの代わりに号令しているようだ。
第二軍団が、動き出そうとしている。
「敵武装召喚師と当たったら、よろしく頼みます」
ドルカの真摯なまなざしにルウファは面食らった。いつもの飄々とした態度とはまるで別人のような表情であり、ルウファが女だったら一瞬で惚れてしまったかもしれない。ドルカは元来美男子なのだ。普通にしていれば、女のほうから近寄ってくるに違いない。言動で損をしているのだが、どうやら彼はそれを改めるつもりはないらしい。
ルウファは、ドルカの目を見つめ返しながら、力強くうなずいた。
「任せて下さい。王宮召喚師にして、《獅子の尾》副長の実力をご覧に入れましょう」
大見得を切ったのは、そうでもしなければ、ドルカの視線に負けそうだったからだ。
「行ってしまったぞ」
ザインが呆気に取られたのは、ミリュウの手際の良さだろう。彼女は、ふたりに後を頼むと、そそくさと部隊を整えさせ、馬に乗って飛び出していったのだ。
「いや、これでいい。確かにミリュウのいう通りだ」
クルードは、ミリュウを乗せた馬が走っていくのを見届けると、即座に部隊長らを集めた。急造の弓兵部隊が瞬く間に半壊してしまったことで、一部の兵士たちの士気が下がっているという報告もあったが、それをどうにかするのが部隊長の仕事だと彼は言い返した。実際、そういうものだろう。敵軍に黒き矛が存在するのは、戦闘前からわかっていたことだ。バハンダールを陥落させた武装召喚師。ガンディアの希望の星。そんなものが、この戦闘に投入されている。士気が下がるのもわからないではない。だが、たかが百人程度の仲間が殺されたくらいで意気消沈していては、この戦いを生き抜くことはできないだろう。
敵は、一騎当千の黒き矛だ。
クルードが部隊長に陣形の再構築を命じたあと、その場にはクルードとザインのふたりと、弓兵の死体だけが残った。
後方では、扇型陣に空いた穴を埋めるため、兵士たちが蠢いている。陣形の穴は、弓兵部隊の半壊とミリュウの騎馬隊というふたつの要素によって生まれている。敵軍の囮であろう黒き矛を追うために結成されたミリュウの騎馬隊は、彼女を含め五百人からなる堂々たる部隊であり、さっきの敵騎馬隊だけならば駆逐することも不可能ではない。ミリュウが、予定通り黒き矛を封殺できればの話ではあるが。
その点に関しては、彼は楽観視していた。ミリュウの召喚武装の能力ならば、黒き矛がどれだけ強力でも問題はないのだ。彼女なら上手くやってくれるだろう。そして、黒き矛さえ制圧しておけば、あとはクルードとザインでなんとかなるだろう。雑兵には雑兵をぶつけてもいい。その間に敵将の首を狙うという手もある。敵大将を討てば、勝ったのも同じなのだ。
「……さっきいっていたが、ミリュウのいう通りっていうのは?」
「じきに敵軍が攻めてくる、ということだよ。囮に引っ掛けてそれで終わりなんていう話はないからな」
「そうか。俺はどうすればいいんだ?」
「目に入った敵を一人残らず殺せばいい」
クルードは、彼のことを思い、きわめてわかりやすくいったつもりだったが、ザインの反応は予想とは違うものだった。彼は、困ったような顔でクルードを見ていた。
「……難しいな」
「なにがだ?」
まさか、彼が雑兵ごときに遅れを取るはずはない。たとえ、戦場に立つのが初めてで、緊張しているのだとしても、さっきの動きを見る限り、問題があるようには思えなかった。一時とはいえ、黒き矛を押していたのは間違いない。そこにクルードが加われば、まず、黒き矛にも負けはしなかっただろう。さらにあの場にはミリュウもいた。黒き矛が欲を出していれば、倒せていたかもしれない。
「俺には、クルードとミリュウ以外、敵に見えるんだ」
彼が心底困ったようにいってきたので、クルードもどう反応すればいいのかわからなかった。
魔龍窟に閉じ込められていたことの影響だろう。弊害というべきなのかどうか。十年間、地獄を見ていた。繰り返される殺戮の日々。だれもがだれかを欺き、だれかに欺かれていた。裏切りは日常茶飯事で、気を許した瞬間、肉塊へと成り果てる。そんな世界。武装召喚師をまともに育て上げるつもりなどはなく、まったく別種の存在を生み出そうという意思が働いていた。
魔龍窟は本来、地獄のようなものではなかったのだ。武装召喚師を育成するための組織だった。外部から武装召喚術の知識を持ち込んできたのはオリアン=リバイエンであったが、当初彼は武装召喚術を教えるだけの立場に甘んじていたようだ。だが、十年前、彼は突如として魔龍窟の総帥の座に着いた。当時の国主マーシアス=ヴリディアに取り入ったのは疑いようもない。オリアンには実績などはなかったのだ。オリアンが魔龍窟の実権を握ったその日から、すべての歯車が狂いだしたといっていいのだろう。
クルードやミリュウのような五竜氏族の子女がつぎつぎと魔龍窟に連行された。投獄されたといってもいい。そこは地獄だったのだから。
地獄に投げ入れられたクルードたちは、強くなることだけを求められた。人間性など、最初から必要とされてはいなかったのだ。心が壊れるのも、必然だったのだろう。
それでも人間らしく振る舞っていられるのは、少数でも心を許せる仲間がいたからだ。
クルードにとっては、ミリュウとザインがそれに当たり、ザインにとってはクルードとミリュウだけが味方なのだ。だから、彼がふたり以外のすべてが敵に見えてしまうのも無理はなかった。
「ザイン、おまえは最前線に出るんだ。そして、敵陣の奥へ突き進め。そうすれば周りには敵しかいなくなる」
「ああ……!」
こちらの提案を理解したとき、ザインの表情はきわめて明るくなったが、クルードの心には影が過った。それは、彼に死にに行けといっているようなものではないのか。いくら彼が凄腕の武装召喚師であっても、雲霞の如き敵兵の中に突っ込んでいって無事で済む保証はない。敵軍の全容が判明していないのだ。黒き矛と天使以外にも武装召喚師がいる可能性も大いにある。無論、ザインが敵武装召喚師に遅れを取るということはない。純粋な戦闘力では三人の中で一番強いのが彼だ。負けはしないだろう。だが、二対一、三対一なら話は別だ。
クルードは、やる気を出し始めたザインの少年染みた顔を見遣りながら、自分の判断は間違っていないかと考え始めた。