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第二千三百五話 ニーウェハイン(三)

「入れ」

「じゃあ、遠慮なく入りますよん」

 いうが早いか、執務室の重い扉を軽々と開き、するりと室内に入ってきたのは、やはり、ミーティア・アルマァル=ラナシエラだ。三武卿のひとり、閃武卿である彼女は、その立場上、ニーウェハインの側を片時も離れることはなく、常に彼の声の届くところにいた。光武卿が西帝国の武装召喚師たちの頭領であるように、閃武卿にも役割があるのだ。閃武卿は、皇帝親衛隊長であり、西帝国の精鋭中の精鋭部隊である親衛隊の頭領を務めている。故に彼女は、基本的にニーウェハインの側を離れることがない。

 今日だって、空飛ぶ船問題がなければ執務室の外を離れることなく、警護し続けたことだろう。

 ミーティアは、いつものような身軽さで広々とした執務室の中を通過して、ニーウェハインの隣へとやってきた。彼女は、皇帝に対する礼儀というものがなってなく、そのことで礼儀にうるさい一部の重臣を怒らせることもあるが、ニーウェハインは特には気にしていなかった。それがミーティアという女性だったし、ミーティアを法規や礼儀で縛ることは不可能だった。彼女は、自由が自我をもって生きているような存在なのだ。枠に嵌めようとすれば、枠ごとなにもかも破壊しかねない。実際、彼女はそのために“月ヶ城”を破壊したといっても過言ではないのだ。

 細くしなやかな筋肉で覆われた肢体を誇示するような、体にぴったりとした装束を着込んでいるのは、そのほうが動きやすく、彼女の技能を思う存分発揮できるからだという。“月ヶ城”仕込みの暗殺技術を徹底的に鍛え上げ、研ぎ澄まし、独自の次元へと高めた彼女の業は、もはや神業と呼んで差し支えない。そして、そんな彼女が常に側にいるからこそ、ニーウェハインは安心していられた。

 いまも、彼女が戻ってきたことで安心を覚えている。

 そんなミーティアは、執務机に向かうニーウェハインの隣に立ち、机の上に尻を乗せて、こちらを見下ろしてきた。行儀の悪さも、昔からなにひとつ変わっていない。そのことでシャルロットと口論するのもいつものことだが、シャルロットはいま、帝都にはいない。それ故、ミーティアの自由気儘をだれも止めることができなかった。一応、ミーティアは、シャルロットの機嫌を損ねすぎないように配慮はするのだ。シャルロットがいるだけで皇厳宮の空気が変わるというのは、ミーティアの自由さが多少、息を潜めるからにほかならない。

「空飛ぶ船騒動の顛末、知りたくなあい?」

 いつになくいたずらっぽいミーティアの質問に、ニーウェハインは、書類に視線を戻した。書類は、昨今の東帝国の躍進に関する報告書であり、ひとりの武装召喚師が東帝国に参加したことが多大な影響を与えているというものだった。

 その武装召喚師の名は、ラーゼン=ウルクナクト。名前からして、異様だった。おそらくは古代語を繋ぎ合わせた偽名だろう。ラーゼンは、下僕という意味を持つ古代語なのだ。そのような名を子供につける親は、そうはいまい。そして、家名のウルクナクトは黒い矛を意味する。つまり、黒い矛の下僕という古代語であり、そのことが、この報告書に目を通したときからニーウェハインの頭の中に引っかかっていた。

 黒い矛といえば、黒き矛カオスブリンガーを想起するのは、ニーウェハインとしては当然のことだったし、それ以外には考えられない。その下僕とはどういう意味か。まさか、セツナが、そう名乗っているのではあるまいか。黒き矛を完全に掌握しきれていないセツナが己を卑下してそう名乗っているのだとしても、なんら不思議ではなかった。セツナには、そういうところがある。

「ねえ、ってば。聞いてる?」

「……君から聞かなくとも、すぐに知れることだ」

「なんだよう、その言い方。酷いじゃないか」

「酷いもなにも、酷いのは君のほうだろう。わざわざ見に行って報告に還ってきたと想えば、そんな風にいうんだものな」

「だからさあ、別に話さないわけじゃないって」

「じゃあ、報告したまえよ」

 ニーウェハインは、嘆息とともにミーティアを仰ぎ見た。

「うーんと……条件があってね」

「条件?」

 ニーウェハインは、仮面の奥で渋い顔になるのを自覚した。ほらきた、と想わざるを得ない。ミーティアがああいう風に話し出すときは、だいたい決まってそうだった。

「そう、条件。ニーナ様、もうじき帰ってくるでしょ?」

「大総督がどうかしたのか?」

 まさかまた喧嘩したから執り成して欲しいとでもいうつもりなのではないか、と、ニーウェハインが考えると、ミーティアは、そんな考えなど一蹴するかのように照れくさそうに微笑んだ。

「ニーナ様が帝都に戻ってきたら、抱きしめて上げて欲しいなって」

「……なにを言い出すんだ」

「だって、だってさ……このままじゃ、ニーナ様が可哀想だよ」

 そんなことは、いわれなくともわかりきっていることだ。

 ニーナは、哀れだ。哀れというほかなかった。だれだって、彼女の事情を知れば、哀れまざるを得まい。

 シウェルハインは、ニーウェを正当皇位後継者と定めるとともに、ニーウェとニーナの結婚を許可した。実の姉弟の結婚について、帝国内では大した問題にはならなかった。帝国の歴史上、前例があまりにも多すぎるからだ。そもそも、皇族が外部の血を取り入れる事自体、めずらしいことであり、大きな目で見れば、シウェルハインの妃たちも親類縁者といってよかった。家族同士、兄妹同士が夫婦になることを禁じる法律があるでもない。

 ただ、皇族は、必ずしもそうではない。

 皇子皇女の婚姻とその相手を決めるのは、皇帝であり、皇帝の許可なく、兄妹や姉弟で結婚することはできなかった。

 故にニーウェは皇帝になろうとした。皇帝にさえなれば、結婚相手をだれにするのも自由だ。ニーナを奪われることもない。自分ならば、ニーナを幸せにできるものと信じていたのだ。

 だが、現実はどうだ。

 ニーナはいま、幸せだろうか。

 西ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、西帝国軍大総督ニーナ・アルグ=ザイオンと一定の距離を保ち続けている。ニーナが彼とのふたりきりの時間をどれだけ切望していても、ニーウェハインは、皇帝としての立場を理由に拒み続けていた。にも関わらず、ニーナはニーウェハインへの愛を掲げ、忠を尽くしてくれている。いつか、その想いがニーウェハインに届くと信じてくれている。いや、いまも、必ず胸に響いているのだと、確信を持ってさえいる。

 ニーナの、ニーウェへの想いは、揺らがないのだ。

 ニーウェの、ニーナへの愛と同じように。

 だからこそ、ニーウェは、彼女を哀れに想わざるを得ないし、そんな彼女の想いに応えることの許されない己の身に絶望するしかない。

 ミーティアが、ニーナを抱きしめてあげてほしい、などと言い出したのも、この二年あまり、ニーウェハインがニーナに対して、冷たいという印象があるからだろうし、ふたりに仲良くして欲しいという彼女の本心もあるのだろう。ミーティアは、その性格上、ニーナとぶつかり合うことも多いが、決してニーナを悪く想っているわけではない。むしろ、ニーウェにつぐくらいの勢いで、ニーナに懐いていた。要するに、ミーティアがニーナと喧嘩をするのは、ニーナに甘え過ぎた結果なのだ。

 そんなミーティアにとって、ニーウェハインの言動というのは、我慢ならないのかもしれない。

 ニーウェハインが、ミーティアの申し出に対して口を開こうとしたそのときだった。執務室の扉が、軽く叩かれた。

「失礼します! “太陽の目”隊長ロイ・ザノス=ジグザールより、皇帝陛下に申し上げたきことがございます!」

「“太陽の目”……」

「ああっ」

 ミーティアが悲鳴を上げたのは、彼の到来が彼女の目論見を完全に粉砕する結果となったからにほかならない。“太陽の目”は、空飛ぶ船を迎撃するべく、まっさきに帝都から出撃した武装召喚師部隊だ。その隊長が皇帝の執務室を訪れたということは、空飛ぶ船騒動の顛末を知らせるためにほかならない。

 ミーティアは、扉を睨み付けたのち、そんなことをしても意味がないことを悟ると、ニーウェハインの膝の上に強引に座り込んだ。

「おい」

「もう、いい」

 ぷい、と、顔を横に向けたミーティアは、ニーウェハインの膝の上からどこうともしなかった。当てつけのようなものだが、それも致し方のないことだ。ロイが報告に訪れさえしなければ、ミーティアは、ニーウェハインからなんらかの譲歩を引き出せたかもしれないと思い込んでいるのだ。彼女が憤慨し、不機嫌になるのも当然だった。

「入れ」

「は! 失礼致します!」

 威勢のいい返事とともに執務室に入ってきた“太陽の目”隊長がもたらした報せとは、ニーウェハインにとっても予期せぬものであり、皇位継承以来、最大の喜びを感じるにたるものだった。

 




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