第二千三百三話 ニーウェハイン(一)
セツナたちは、“太陽の目”隊長ロイ・ザノス=ジグザールが案内してくれていることもあり、なんの問題もなく、だれに呼び止められることもなく、皇厳宮の門を潜り抜け、中に入ることができた。
黄金がふんだんに使われた門を潜り抜ければ、黄金と黒が織り成す荘厳な宮殿の内部であり、出入り口には重武装の帝国兵が待ち受けていた。いずれも猛者と思しき男たちで、ぎらぎらとした目でこちらを見てきた。が、ロイがそれら帝国兵話しかけると、彼らはロイに深々と敬礼したのち、皇厳宮を出て行った。
「なんだったんだ?」
「彼らは剣帝教団の剣士たちでして。我々“太陽の目”が出撃したと聞いて、皇厳宮の防衛に出張ってきてくれたようなんです。それで、我々が戻ってきたので、もうだいじょうぶだと、いったまです」
ロイは、セツナの質問にしっかりと回答してくれた。どのような質問にもほとんど濁すことなく回答してくれるという時点で、セツナは彼に好感を抱いている。帝都防衛に出撃してきたのがロイでよかったと、セツナはここに至るまでの道中、何度想ったことか。話しやすく、一方でこちらの事情を聞こうとはしない。自分の立場を弁えているのだ。
「剣帝教団? なんか聞いたことあるような」
「帝国最大の剣術集団と考えてくださればよろしいかと。詳しく知りたいのであれば、のちほど解説させて頂きますが」
「あ、ああ……それならそれでいいや」
のちほど、というのは皇帝への謁見が終わってからのことだろう。
セツナは、いま、皇厳宮の主たる西ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンに謁見を求め、ここにきている。そのあまりにも無謀で傲慢ともいえる望みが受け入れられたのは、セツナがリグフォードから預かった記章を見せ、ニーナとの契約に従い、西帝国に協力するため、帝都を訪れたのだということを明らかにしたからだ。セツナの実力をニーウェから聞いて知っているロイたちにとっては、セツナが味方になることほど喜ばしいことはなく、彼らが全面的に協力するのは道理といって良かった。
そも
「剣術集団ねえ」
「剣武卿が、剣帝教団出身なんですよ。故に彼ら剣帝教団の剣士が我が物顔で皇厳宮を歩き回ることが許されている……ああ、いえ、他意はありませんよ」
(なんだか、気に入らないみたいだな)
(彼らにも事情があるんだろうさ)
(派閥争いみたいなもんか)
(だろうな)
セツナがうなずくと、シーラはうんざりとしたように肩を竦めた。派閥争いほど、彼女が嫌悪するものはあるまい。彼女は、派閥争いによってあまりにも多くのものを失っている。セツナも、彼女の気持ちは多少なりとも理解できた。一方で、人間が集まれば派閥が生まれるのは致し方のないことだという事実も認識してはいる。どうしたとことで、そればかりは抑制できるものではない。
選りすぐられたものたちの中にも派閥は生まれ、逆に、排斥されたものたちの中にも派閥は誕生しうる。
そういうものだと割り切るしかない。
どのような組織・集団であれ、一枚岩になるのは極めて困難なのだ。それに、一枚岩でなくともそれに近い結束を持つことは不可能ではない。無理に一枚岩を目指そうとせずともいいのではないか。様々な考えがあり、派閥や集団があっても構わないのではないか。それらを上手く取り纏めることこそ、組織の長に求められるものなのだ。
この場合、問題なのは、西ザイオン帝国皇帝ニーウェハインにその力があるかどうかという点だが、セツナは、その点についてはあまり心配していなかった。
同一存在として生まれ落ちた彼だが、セツナとは、育ちからして違うのだ。皇族に生まれた彼は、皇位継承争いから外れたものの、ひとの上に立つものとして育てられ、指導者としての有り様を大いに学んでいる。そんな彼が皇帝としてみずから率先して立ち上がったというのであれば、期待しても構わないはずだ。
セツナは、ニーウェとの再会を心待ちにしながら、皇厳宮の絢爛極まる雰囲気に呑まれないよう意識した。
皇厳宮に至るまでもそうだったが、皇厳宮内においても、行き交う武官文官のいずれもがセツナを見ては目を丸くして足を止めた。だれもが口々にニーウェハインの名を口にしたのは、それだけ、ニーウェの素顔を知るものが多いということだろう。セツナとの戦闘を経てその姿は様変わりしたものの、それ以前の素顔は肖像画などで出回っているのかもしれない。皇族なのだ。その可能性は極めて高い。
故に皇厳宮で働くだれもがセツナの顔に足を止め、あり得ないことだと頭を振ったり、慌てて跪いたり、最敬礼をした。セツナはそのたびに困惑したが、ロイはそんな様子を面白がったりした。ロイ自身がそうだったからだろう。
ニーウェとセツナの容姿だけは、鏡写しのようにそっくりだ。
それだけは、セツナも認めるしかない事実だった。
容姿と声以外、なにひとつ似ていないといっていいのだが。
(かたや一般人、かたや皇族だもんな。生まれからして違うんだよ)
とはいえ、どちらが幸福な生まれだったかと考えれば、悩むところだろう。セツナは、両親が愛し合った結果生まれた。ニーウェは、どうか。ニーウェとニーナの母は、シウェルハインに愛されていたのか。その末路からは、愛情の片鱗も認められない。ニーウェが皇帝を憎悪さえしていたのには、それなりの理由がある。
幸福度でいえば、セツナのほうが遙かに上なのではないか。
もちろん、生まれだけで幸福かどうか決まるものでもないし、ニーウェは、ニーナとの日々を至福の時間と認識していたのだから、そこを不幸というのは間違いだろう。そんなニーナのためにのし上がろうとしたのがニーウェであり、そのためにこそセツナを打倒し、黒き矛の力を我が物にしようとしたのが彼なのだ。
そんなだれかのために身命を賭すことのできる彼ならば、この混乱期の帝国をより良い方向に導くことだってできるはずだ。
ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、ひとり、執務室に籠もることが多い。
執務室ならば、ひとり、気兼ねなく思索に耽ることができるからであり、全面を覆う兜の如き仮面を被る必要がないからだ。立場上、絶対に必要なものとはいえ、顔面を覆い隠すだけに飽き足らず、頭頂部、両側面、後頭部まで、頭部全面を包み込むそれは、もはや仮面とは呼べない代物となっている。暑苦しく、ときに耐え難い代物だ。呼吸用の穴は開いているのだが、それだけでは空気が上手く通り抜けてくれるはずもない。
机の上に置いた仮面を見るたびに、彼は、嘆息したくなる。仰々しい仮面だ。が、いまの彼には必要不可欠な代物であり、生活必需品と言い換えてもいい。彼の変わり果てた姿は、ひとに見せられるものではない。ましてや、帝国皇帝を名乗るものの姿などではないだろう。 その人外異形に変わり果てた容貌を臣民が目の当たりにすれば、大いに失望することだろう。化け物が皇帝を名乗っている、と、怪物に帝国が乗っ取られた、と、東帝国に付け入る隙を産むことにもなりかねない。
そもそも、この仮面を被るようになったのは、随分と昔のことだ。
同一存在にして黒き矛の使い手であったセツナとの決戦の中で、彼は、黒き矛に打ち勝つための最終手段としてエッジオブサーストの能力を用いた。それによって半身が異界と化したのだが、そのまま、元に戻ることもなく、帝国本土に帰り着いた。異形の半身を衆目に曝すことなどできるわけもなく、仮面を被り、全身を包み隠すようになったのもそのためだ。だれが悪いわけではない。すべての責任は、彼自身にあるのだ。故にその嘆息も、自分自身に向けてのものだった。
だが、同時にそのため息は、自分が生きているという事実を再認識することにもなり、嘆息のたびに彼は気を引き締め直した。
当初、ただ顔面を覆うだけだった仮面が全面を覆うように改造されていったのは、彼の望みによるものだ。皇位継承を宣言し、皇帝となった以上、それに相応しい装飾が必要だったからだ。黒と金というザイオン帝国らしい色彩をふんだんに取り入れた仮面には荘厳な装飾が施され、ザイオン帝国皇帝に相応しい代物になったという自負もあった。
その机の上の仮面と睨み合うようにして、彼は思索する。
西ザイオン帝国はいま、我慢のときを迎えていた。