第二千三百二話 帝都(三)
「こんなのが本当に動くのか?」
シーラが落ち着きもなく周りを見回しながら疑問の声を上げたのは、セツナたちがロイに促されるまま、一台の召喚車に乗り込んでからのことだ。召喚車が進むことができるのは、先もいったように線路の上だけであり、召喚車は、シウェルエンド市内に敷かれた線路の上を日中、常に走っているという。乗車するには、市内各所に設置された停留所で召喚車が来るのを待てばいい。召喚車は、何十台も走り回っていて、余程中心から離れたところでなければ、一時間も待つことなく乗車できるという。利用には当然、乗車賃がいるが、一般市民でも気軽に利用できるくらい安価らしい。
それでも市内に溢れるくらいにひとが住んでいるのだから、帝都の人口の凄まじさたるや。驚きを禁じ得ない。
ちなみに、主要道路は横幅が極めて広いのだが、それはもちろん召喚車が行き交うためであり、そのためにシウェルエンドを始めとする多数の都市が、大幅な改修工事を行っている。それもやはり、帝国が誇る財力、資源、労働力によって成し遂げられたことだろう。普通、都市の構造を変えるのは、簡単なことではない。外に向かって拡張するだけならばまだしも、道幅を広げるのは困難を極めることだ。
「方舟に乗ってる奴が疑問を持つことか」
「そういわれりゃそうだけどよ、方舟はさ、マユリ様がいるからなにが起こっても不思議じゃねえし……空に浮いてるからな」
シーラのいいたいこともわからないではない。空に浮く船は、それを目の当たりにした時点で思考停止するというか、深く考える気持ちも起きなくなるが、引き手のいない巨大な台車のような代物となれば話は別かもしれない。
召喚車の座席は、決して座り心地のいいものではなく、その点では改良するべき点が少なくはなかった。大きな窓から車外の風景を見ることのできるようにと、車両の両側に座席が並んでいる。座席は二組ずつ座れるようになっていて、セツナとシーラは当然のように相席となった。その際、シーラを窓側に座らせたのはセツナであり、彼女が召喚車に乗るにあたって少しばかり興奮気味だったからだ。シーラは案外、こういった未知の技術に興味を持つ性格なのかもしれない。
やがて召喚車が動き出すと、シーラの興奮は最高潮に達し、乗車時から握ったままだったセツナの手をきつく握りしめられた。彼女がセツナの手を握ったのは、召喚車に興奮しながらも緊張と警戒を隠せなかったからだろう。
「本当に動きやがった!」
「いや、さっきも動いてるのみてただろ」
「すげえ!」
「あのな」
「なんだよ、ノリ悪いな!」
「俺が悪いのかよ」
どうにも楽しそうに窓の外に流れる町並みを眺めるシーラの様子は、方舟が空を飛んだときよりも興奮しているように見えて、セツナには不思議でならなかった。召喚武装の力で地上を走る召喚車よりも、空を自在に飛び回る方舟のほうが余程驚きに値するものだと想うのだが、彼女にとってはそうではないらしい。シーラは、見慣れぬ帝都の町並みに目を輝かせていて、その横顔はまるで子供のようだった。彼女の無邪気な一面を見られたことには、召喚車に感謝しなければならないかもしれない。
正門付近の停留所を出発した召喚車は、ひたすらまっすぐに線路を進んでいく。広大な都市の中をただまっすぐ進んでいるだけだというのに、区画が変わるごとに景色もまた大きく変化した。正門付近の簡素な住宅街から繁華街へと至り、どこか堅苦しい空気感の漂う居住区を抜けると、帝都シウェルエンドの中枢・皇法区を囲う城壁を目の当たりにする。堅牢極まりない城壁には黄金がふんだんに使われているようであり、召喚車の進路上に開かれた門もまた黄金でできているようだった。
さすがはかつて金の声と命名された都市だけはあるとセツナたちが感心していると、ロイたち西帝国の武装召喚師たちは自分のことのように嬉しそうな顔をした。
皇法区前の停留所で下車することになったのだが、それは、許可なく皇法区に立ち入ることが禁じられているからであり、民間人も利用する召喚車では皇法区に入ることができないからだ。
ロイにいわれるまま停留所内を移動すると、皇法区から特別仕様の召喚車が待ち受けていた。黒塗りの召喚車は、通常の召喚車と比べても大きく、装甲も分厚そうだった。要人警護の観点からも装甲が分厚くされているのだろう。
ちなみにだが、停留所は線路沿いに設けられた大きな台座であり、地区名の入った看板が掲げられた大きな魔晶灯が目印になっている。セツナたちが下車した停留所には、皇法区正門前停留所と記された看板が掲げられていた。そして、皇法区正門前停留所には、一般用の線路とは異なる、皇法区行きの線路があり、特別仕様の召喚車はそちらに停車していた。どうやら皇法区行きの召喚車は、定期運行しているわけではないようだ。
皇法区行き特別召喚車に乗り込めば、先ほどの召喚車よりも随分と質のいい座席が待っていて、シーラは少女のように座り心地を堪能した。
皇法区は、皇帝の住居である皇厳宮と、その三方を守護する区域からなっている。三方の区域はそれぞれ光霊区、剣星区、閃迅区といい、皇帝の腹心たる三武卿が納めているとのことだ。光霊区を納めるのは、セツナの想像通り光武卿ランスロット=ガーランドだった。剣星区は、剣武卿シャルロット=モルガーナ、閃迅区は閃武卿ミーティア・アルマァル=ラナシエラがそれぞれ管理しているということだ。いずれも、かつて三臣と呼ばれていたニーウェの側近たちであり、ニーウェは皇位を継承するに従って、三名をそのまま格上げしたようだ。
ランスロットはファリアと、シャルロットはミリュウと、ミーティアはレムと激突し、それぞれ因縁が残っていることもあり、シーラがセツナの同行者件護衛になったのは、天の導きなのではないか、と想わないではなかった。ミリュウならば話をややこしくしかねないし、ファリアは召喚車に乗ることで不機嫌になるかもしれない。レムは、どうだろうか。
いずれにせよ、喜んで召喚車に乗りながらも、笑顔の奥底で目を光らせているシーラと行動をともにすることになったのは、最良の結果と考えるべきだ。
そのおかげもあり、セツナたちはなんの問題も起こさず、皇法区皇厳宮前停留所で下車することができたのだ。
皇厳宮は、この都がアウラトールと呼ばれた時代には既に存在したという宮殿であり、黄金の声の代名詞ともいえる建造物であることは、一目瞭然だった。黄金がふんだんに用いられた、贅の限りを尽くした代物であり、セツナとシーラは、その目映いばかりに輝く黄金と黒が織り成す宮殿の荘厳さに驚かされるほかなかった。帝都市内を車窓から眺めているだけでも十二分に驚かされたのだが、それにしたって、皇厳宮の荘厳さ、豪奢さは筆舌に尽くしがたく、宮殿周辺に並び立つ黄金の彫像や宮殿の屋根に輝く黄金の鷹や竜の像は、遠目に見ても迫力があった。
もっとも、ウィレドの地下王国アガタラで見たすべてが黄金で作られた区画と比べると、すべての面で見劣りするのが残念というべきかもしれない。アガタラの大霊宮はなにもかもが黄金であり、黄金に様々な材質を混ぜなければならなかった皇厳宮とは比べるべくもない。しかし、皇厳宮には皇厳宮の良さがあるのは間違いない。人間の美的感覚と、皇魔の美的感覚は、必ずしも一致しないのだ。
皇厳宮は、人間にも理解できる美的感覚によって作られた贅沢極まりない宮殿であり、その絢爛豪華たる様には、さしものシーラも言葉を失っていた。
「どうです? これが世にいう黄金の夢……アウラトールの設計にみずから携わった黄金帝ラニアハインが夢のすべてがここに詰まっているといっても、過言ではありません」
「黄金の夢……ね」
「確かに夢って感じだ。不完全で、どこか虚しさがあるな」
「……でしょう。黄金帝ラニアハインは、アウラトール全体を黄金で作り上げようとしたのですが、帝国の財政がそれを許さなかった。当たり前ですね。いくら帝国有数の大都市のためとはいえ、国を傾けさせるわけにはいきませんから」
ロイは、セツナとシーラを先導しながら、饒舌に語った。
「黄金帝は、己の夢と現実の国を天秤にかけ、現実の国を取ったのです。その結果、アウラトールは夢と現実が入り交じった素敵な都市となったわけですね」
彼の語った黄金帝ラニアハインなる人物がもし現実ではなく夢を取った場合、この都の大半が黄金で覆われるようなことになったのだろうか。
セツナは、ロイのどこか安堵したような言い方が気になって、そんなことを考えてしまった。ロイは少なくとも、黄金帝が現実を選択したことを評価しているようだったし、おそらく多くの帝国民がそう考えているのだろう。実際問題、この大都市全体を黄金で包み込もうものならば、帝国の財政が傾いたこと請け合いだ。そうなっていれば、帝国は三大勢力の一角では在り続けられなかったのではないだろうか。
(それはありえないか)
胸中で、己の考えを否定する。
三大勢力が三大勢力たり得たのは、それぞれの背後に強大な存在が隠れていたからだ。
帝国は、独自の力でのし上がったわけではない。
神の加護によって一大勢力を築き上げ、維持してきたのだ。たとえ財政が傾こうと、治安があれ、混乱が巻き起ころうとも、帝国は三大勢力の一角で在り続けただろう。いや、あるいは、そうならないように是正されたかもしれない。
ラニアハインの選択も、神の介入による結果なのではないか。
そんなことを考えながら、セツナは、シーラとともにロイの後に続いた。
黄金と黒が織り成す宮殿の門前。
ついにニーウェとの再会のときがきたのだ。