第二千三百話 帝都(一)
搬入口から馬を連れて降りたのは、ウルクナクト号の着陸地点から帝都シウェルエンドの正門まではそれなりの距離があり、徒歩で移動するには少々手間だからだ。
帝都シウェルエンド。かつてはアウラトール――古代語で金の声と命名された大都市は、小国家群のいずれの大都市を容易く凌駕する規模を誇っていることは、船の中から見下ろしているだけでもわかったことだ。中心部から外部へと至るまで幾重にも築かれた城壁は、それだけ何度となく拡張されてきたことの証明だろう。つまり、それだけ人口の多い都市ということであり、ニーウェたち西帝国のひとびとがアウラトールを仮初めの首都と定めるのも理解できた。
ヴェイルイログから北へとひた走る鉄道の線路は、シウェルエンドに直接入り込んでおり、シウェルエンドからはさらに四方に線路が伸びていた。複雑に絡み合った鉄道網が帝国領土の広さと発展ぶりを現しているというリグフォードらの話は本当のことのようだった。疑ったわけではないが、この目で見て、改めて認識する。
黄金の都の堅牢な城壁を彼方に見遣りながら搬入口を降りきれば、セツナとシーラを待ち受けているのは、多数の武装召喚師だ。黒地に金の刺繍の入った軍服を着込んだ武装召喚師たちは、いずれもがこちらの出方を窺いつつも敵意を丸出しにしている様子だった。その反応の剣呑さは、彼らが空飛ぶ船に対して明らかな敵愾心を持っていることの現れだろう。
ファリアやミリュウたちがこちらの様子を見守っているのを視線で感じ取りつつ、セツナは横目にシーラを見た。黒獣隊の隊服の彼女は、手にハートオブビーストを握っているものの、その切っ先には布を巻き付けてあり、戦う意思がないことを示していた。セツナも、鎧を身につけているわけでもなければ、召喚武装を手にしているわけでもない。その手に握っているのは、馬の手綱だけだ。それで、こちらの意図を察してくれればいいのだが、どうやらその様子はない。
「多いな……何人いるんだ?」
「四十人くらいか」
「ガンディアの最盛期でもそんなにいなかったんじゃ?」
「だな」
シーラの素朴な感想を肯定して、セツナは、西帝国軍の武装召喚師たちを眺めた。彼らが装備している召喚武装は様々だ。近接武器よりも遠距離攻撃型の召喚武装が多いように見えるのは、先手を取るためだろうし、遠距離からの飽和攻撃で敵を殲滅するのが帝国軍の常套手段だからかもしれない。そしてそれは、強力な召喚武装の使い手を多数保有する帝国軍にとって、最良の戦闘方法であることは疑いようがなかった。無数の召喚武装の圧倒的な火力による飽和攻撃の前では、いかに精強な軍勢も一溜まりもあるまい。
もっとも、それでもどうにもならなかったのが最終戦争だったのだが。
「そこのふたり!」
突如、鋭い叫び声が前方からあった。若い男の声だ。緊張しているのか、声が多少うわずっていた。
「我が声が聞こえたならば、それ以上動くな! 動けば、西帝国への害意があると判断し、攻撃を加える!」
男は、部隊の指揮官なのだろう。彼の発言に併せて、武装召喚師たちの間に緊張が生まれた。それは、セツナたちが不穏な動きを見せれば即座に攻撃するという意思表示だ。セツナとシーラは顔を見合わせ、足を止めた。まだ、方舟から多少離れた程度に過ぎない。だが、方舟の防御障壁外には出ているという微妙な距離だった。相手側からしてみれば、まさに絶妙な機会だったわけだが、そんなことを知っているはずもない。
「いきなりだな」
「まあ、着陸と同時に攻撃しないだけ、まだ冷静だと想うがな」
「それもそうか。ミリュウだったらとっくに攻撃してそうだ」
「ミリュウが聞いたら怒るぞ」
「でも、そうだろ?」
「そうかもな」
セツナは、シーラのミリュウ評に思わず唸った。確かに、そうかもしれない。ミリュウは、身内には激烈なまでに甘いが、無関係な他人に対してはどこまでも冷酷になれたし、無慈悲にもなれた。警戒区域に飛び込んできた敵勢力と思しきものに無警告で攻撃することくらい、容易いだろう。
「で、どうする?」
「どうするもこうするも。話をするしかないだろう」
セツナが肩を竦めると、向こうから大声が飛んできた。
「おまえたちは一体何者だ! 噂通り、空飛ぶ船を駆り、この地を蹂躙しに来たか!」
大気が震えそうなほどの大声を発しているのは、最初に警告を発してきた男だ。若いとはいえ、セツナよりは年上だろう。二十代後半くらいか。ほかの武装召喚師たちよりも多少豪華に見える服装は、彼の立場を示しているようだ。武装召喚師たちの指揮官と考えて良さそうだ。
「とりあえず、話を聞いてくれるか」
「質問しているのはこっちだ! こちらの質問に答えるのが先決だろう!」
「そりゃそうだ」
「ああ……そうだな」
シーラの得意げな声に多少気後れしながら、セツナは、こちらに向かってじりじりと詰め寄ってくる武装召喚師たちの警戒心の強さには感心した。セツナとシーラがわずかでも反応すれば即座に殺しにかかるという鋼の意思が感じ取れる。帝都防衛を任された連中だ。それくらいの覚悟と意気込みはあるべきだろう。それが現状、セツナたちにどう働いているかはともかくとしてだ。
「俺たちはリグフォード・ゼル=ヴァンダライズ将軍閣下から――」
などとセツナが自分たちがここにいる理由を説明しようとしたときだった。
「へ、陛下……!?」
指揮官の武装召喚師が愕然とした声を上げると、その驚愕に満ちた反応はさながら電流の如く凄まじい速度で伝播していき、数十名の武装召喚師たちがつぎつぎと驚嘆の声を上げていく様は異様だった。
「ニーウェハイン陛下がどうしてここに……!?」
「いや、待て、陛下は今現在宮殿に居られるはずだ!」
「しかし、どこをどう見ても陛下ではないか!」
「よく考えてもみろ、陛下が空飛ぶ船から降りてこられるはずがないだろう!」
「それはそうだが……しかし」
武装召喚師たちの口論が激しさを増す中で、セツナとシーラは、なんだか取り残された気分になった。
「セツナ、これは……」
「そういやそうだった。俺とニーウェはそっくりそのままだったってことを、すっかり忘れてたぜ」
「……そういうことか」
シーラが苦い顔をしたのは、セツナがニーウェに殺されかけたとき、彼女が側にいられなかったことを強く後悔していたからだ。そのときの気持ちを思い出したのかもしれない。
「もしや、皇帝陛下の仰られておられたセツナ=カミヤ殿なのではないか? セツナ=カミヤ殿は、陛下と鏡写しのようにそっくりだったと、陛下のみならず三武卿の方々も仰られておいでだった」
「なるほど。その可能性はあるな……」
「あー、盛り上がっているところ申し訳ないが、俺の話を聞いてくれるかな?」
「その前にまず、こちらの質問に答えてくださっても、よろしいか?」
指揮官と思しき男が神妙な顔をし、態度を改めた理由は、先ほどの会話内容からも理解できる。セツナがニーウェハインが話していた人物であれば、手荒な真似をすれば、自分たちが処罰されかねないという事実に気づいたのだ。ニーナやリグフォードがセツナに交渉を持ちかけたことからも、西帝国では、セツナのことが高く評価されていることはわかっていた。ニーウェハインの評価が高すぎるということだが、彼との出来事を考えれば、それくらい評価されてもいいとは想っている。
ニーウェハインは、あのとき、セツナの選択次第ではこの世から消えて失せていたのだ。
クオンがヴァーラと統合したように、セツナもニーウェと統合するという選択肢があり、そちらを選択していた場合、状況は大きく変わっていただろう。セツナはセツナという個人ではいられなくなり、ニーウェを内包する別人と成り果てただろうし、最終戦争の形も、結果も変わっていたかもしれない。
もっとも、“大破壊”は起きただろうし、世界は、より悪い方向に変化していた可能性のほうが高い。
セツナがニーウェと合一したところで、最終戦争を止めることなどできるはずもなく、聖皇復活の儀式を止める方法などなかったのだから。
だから、あのとき、セツナがニーウェとの合一を拒み、互いに同一存在ではなくなったことは、極めて大きな出来事であり、正しいといえる選択だったのだ。
セツナはそう信じていたし、だからこそ、ニーウェもセツナのことを認め、高く評価してくれているに違いない。
「あなたは、セツナ=カミヤ様なのですか? ガンディア王国王立親衛隊《獅子の尾》隊長にして大領伯、救国の英雄と謳われた……」
「ああ、そうだ。俺はセツナ=カミヤ。公的には、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・セイドロックというのが正しいかな」
龍府は返上したため、多少は短くなったものの、やはり長い名前だと想いながら、セツナは説明した。すると、その武装召喚師は慌てて手にしていた大型の弓を送還し、姿勢を正した。
「しっ、失礼致しました!」
彼の恐縮しきった反応は、瞬く間に全武装召喚師に伝播し、彼らは全員、一斉に召喚武装を送還し、セツナに向かって深々と敬礼した。