第二千二百九十九話 声の輪
方舟ウルクナクト号は通常、地上より遙か上空を飛んでいる。航路の関係上、ひとの住む都市の上を通過することはなかったものの、地上に住むひとびとの目に触れない程度の高度を維持するのには、それらひとびとに刺激を与えたくないというセツナたちの配慮によるところが大きい。
ウルクナクト号は、いまやセツナたちの所有物であり、ネア・ガンディア軍との繋がりは絶たれているものの、外見は、ネア・ガンディア軍の所有する飛翔船となんら変わりがない。ネア・ガンディア軍はこれまで飛翔船を各地に派遣し、闘争を繰り返しているという話で在り、空飛ぶ船を見たひとびとが刺激を受ける可能性もなくはなかった。
故に普段は大海原の上を飛ぶことで決して人目につかないように移動していたのだが、帝国本土に辿り着けば、そうもいってはいられない。ヴェイルイログから帝都シウェルエンドまでには無数の都市が存在し、それら都市の住民を刺激することのないよう、高度を保ち続けたウルクナクト号も、目的地付近に辿り着けば、高度を下げざるを得ないのだ。
その結果、シウェルエンドにて警戒に当たっていたのだろう武装召喚師の警戒網に引っかかり、刺激を与えた。
西帝国がどの程度飛翔船に関する情報を得ているのかはわからないが、魔動船によって世界各地と繋がりを持とうとしているのだ。ネア・ガンディアとはいかないまでも、空飛ぶ船を用いて騒乱を起こす組織の存在を認知していたとしても、なんら不思議ではなかった。
しかも、ザイオン帝国といえば、総勢二万人を誇る武装召喚師を保有した国だ。最終戦争において数多くの武装召喚師が命を落とし、なおかつ四つの帝国に分かれたいま、それぞれの国が保有する武装召喚師の数は激減しただろうが、それでもどこの国や組織よりも数多くの武装召喚師が所属しているのは間違いない。
西帝国が保有する武装召喚師の大半が首都に配置されているとは考えにくい。なぜならば、西帝国は現在、東帝国と戦争中であり、国境付近では常になにがしかの小競り合いが起きているという状況なのだ。東帝国と西帝国の戦力差がどの程度なのかは不明だが、いずれにせよ、戦力を帝都に遊ばせておくことなどできまい。
帝都付近への着陸のため降下を続けるウルクナクト号に対し、警告を発するように帝都を出撃した数十名の武装召喚師が、帝都シウェルエンドに配置された戦力なのではないか。帝都は、国境から遠く離れている。帝都の護りを固めるよりも、国境に戦力を配備するほうが重要なのは想像するまでもない。
問題は、その帝都に残された戦力のおそらく大半がウルクナクト号に向かってきていることであり、着陸の前後から攻撃態勢に入っているということだ。
セツナたちは、いつものように下層部搬入口から外に出ようとしていた。下船するのはセツナとシーラのふたりだが、ファリア以下全員が見送るために集まっている。その視線の先には、様々な形状の召喚武装を携えた数十人の武装召喚師が控えていて、いずれもがぎらぎらとした敵意をこちらに向けていた。不審な動きがあればいつでも攻撃するぞ、という警告にも似た気構えは、味方からしてみれば頼もしいというほかないだろうが、敵対する意思もない第三者からすれば、やりすぎではないかと想わざるを得ない。防衛にやりすぎもなにもないのだろうが。
《どうする? 彼らに警告を発するか?》
とは、マユリ神だ。彼女だけは、機関室から船全体を動かしている。
「こちらが警告をするのは悪手だよ、マユリ様」
《ふむ……刺激しかねないか》
「だったらどうすんの?」
ミリュウがここぞとばかりにセツナに引っ付いてきているが、だれも気に留めてすらいない。いつものことではあったし、しばらく離れることもあって、ミリュウの気持ちを理解できるからかもしれない。
ミリュウたちは皆いつも通り気楽な格好だが、セツナとシーラだけは外出用の格好をしている。セツナはいつもの黒装束だ。さながら黒い拘束衣のようなそれは、アズマリアがセツナのためにと用意していただけあって動きやすく耐久性もあり、防御力もそこらの鎧よりも高いという至れり尽くせりの代物だった。セツナだけでなく、全員分の用意があれば良かったのだが、残念ながらセツナの分だけしかなかった。たとえ全員分用意してあったとしても、ファリアやシーラが着てくれるかどうかは微妙なところだが。
シーラは、龍府で確保した黒獣隊の隊服を着込んでいた。黒獣隊はもはや解散も同然の状態だが、彼女は未だセツナの家臣であるという意識があり、黒獣隊長の肩書きを胸を張って名乗っているのだ。それが彼女の拠り所で在り、失った部下たちへの弔いの意味もあるに違いない。
「話を聞いてもらうしかないだろ」
「素直に聞いてくれるかしら」
「大総督と光武卿が帝都についてくれているなら話が早いんだが、そうでなくとも、この記章さえありゃなんとかなるさ」
ヴェイルイログの港に大総督ニーナ・アルグ=ザイオン、光武卿ランスロット=ガーランドを乗せた魔動船が停泊していることは確認済みだ。しかし、陸路帝都を目指さなければならない彼らが既に帝都到着しているかは、わからないのだ。もしかすると、ヴェイルイログに到着したばかりだったのかもしれない。その可能性がないとは言い切れないのだ。とはいえ、リグフォード将軍から預かった記章は、ザルワーンの帝国軍残党に効果を発揮したように、ここの武装召喚師にも効果覿面だろうし、とくに問題には感じなかった。それでもだめなら、強硬手段を用いるしかない。
「最悪、ニーウェハイン皇帝陛下に直接逢いにいってもいい」
「どうやって?」
「そりゃあ、マユリ様に頼ってだな」
《そのときは任せておけ。いまのうちにニーウェハインの座標を特定しておこう》
「さすがです」
セツナは、行動も素早いマユリ神に感謝するほかなく、素直に褒め称えた。マユリ神の力ならば、セツナとシーラを目的地まで空間転移させることはそれほど難しくはあるまい。もちろんのことだが、最初からそうすればいいのではないか、とは、微塵も考えてはいない。正式な手続きを踏まず、皇帝に逢おうというのはあまりにも無謀な試みであり、相手の心証を考えればありえないことだ。今後のこともある。
無論、多少の問題が生じたところで、戦力を欲している西帝国側が折れざるを得ない結果になるだろうが、だからといってわざわざこちらから問題をややこしくする必要もなければ、心証を悪くする意味もない。
「あたしたちはここで待ってるけど、問題があったらいってよね」
「ああ、わかってるよ。今回からはこれがあるからな」
セツナは、手首に巻き付けた装身具に目を遣った。腕時計のような腕輪のようなそれは、方舟の部材を用いて作り上げた女神マユリ特製の通信器だ。この通信器の発想の元になったのは、もちろん、リョハンのマリク神が用いていた大型の通信器で、マユリ神はそれを元に小型化、軽量化を目指して試行錯誤していたらしい。ついに完成したのが、ログナー島からの移動中のことであり、できあがった腕輪型通信器は、セツナを含め、乗船員全員に手渡されている。非戦闘員のゲイン、ミレーユにもだ。もしものことがあれば、マユリ神に直接報告することができるため、様々な状況下で効果を発揮することだろう。
方舟の装甲などに用いられる特殊な金属を用いて作られた通信器は、金属性の光沢を帯びた腕輪のような形状をしている。手首に固定するための金属製の帯と、小型通信器で構成されており、小型通信機は、マリク神の円盤型通信器をそのまま小型化し、帯と一体化させたような形状だ。いずれも強固であり、生半可な衝撃を受けてもびくともしないという。耐水性、耐熱性も高く、水に沈めたところで壊れることはない。
ただし、通信器同士で直接情報のやり取りを行うことはできない。マユリ神印の腕輪型通信器は、マユリ神とのみ双方向通信が行うことができるのだ。つまり、マユリ神を介すれば、自分以外の腕輪所持者とやり取りすることができるということでもある。無論、マユリ神の力の及ぶ範囲内にいなければならず、圏外にでれば、通信器はまったく作用しなくなるということだ。
その場合でも、通信器が発する信号は、ウルクナクト号で常に確認できるということであり、もし仮に召喚武装による攻撃などで遙か彼方に吹き飛ばされたとしても、信号を追えば、すぐさま方舟を飛ばして救援することができるのだ。
腕輪型通信器は、トールモールとミリュウにより命名された。トールとは、古代語で声を意味し、輪を意味する古代語モールと組み合わせたのだろう。ミリュウお気に入りのマユリ神は、彼女の命名を喜び、通信器の表面に古代語でトールモールと刻み込んでいる。
トールモールは、セツナたちの今後の戦いにも大いに役立つこと間違いない。




