第二百二十九話 矛で釣れ
「あれが黒き矛か……!」
クルードが吐き捨てるようにいった。黒き矛に一蹴された彼ではあったが、負傷してはいないようだ。矛の一撃を槍で受け止めたのだろう。
「あいつ、強いな」
ザインの一言に、ミリュウはただうなずいた。周囲には弓兵の死体が散乱している。為す術もなく殺された彼らはさぞ無念だっただろう。が、戦闘とはそんなものだ。死は無慈悲で、一方的なものだ。ミリュウは同情する気にもならなかった。
「追うわよ」
追いかけ、敵本隊と合流前に黒き矛を撃破する。それが彼女の考えだった。いまなら、馬を飛ばせば楽に追いつけるだろう。敵騎馬隊の移動はゆっくりとしたものだ。誘っているとみて間違いない。こちらに武装召喚師の存在を見て、戦力を分散させるつもりなのかもしれない。さすがの黒き矛も、ふたりの武装召喚師を相手にするのは不利と見たのだ。つまり、こちらにも勝ち目があるということだ。
「囮だろう」
クルードのにべもない言葉に、ミリュウは苦笑した。そんなことはわかりきっている。だが、黒き矛を打倒するには、その囮に乗るしかない。でなければ、好機は二度と訪れないかもしれない。黒き矛と接触する好機。可能性の問題なのだ。この場に留まり機会を待つか、敵を追い、罠の中にこそ好機を見出すのか。それに、どのような罠であれ、打開する自信がある。この召喚武装なら、それができる。
ミリュウにしかできないともいえる。クルードやザインでは駄目だ、たしかに、ふたりが得意とする召喚武装も強い。クルードは近距離でも中距離でも戦える万能兵器だし、ザインは近接戦闘に特化こそすれ、その身体能力強化の恩恵は凄まじいものがある。雑兵相手ならば負ける可能性は皆無といっていい。だが、追うべき敵は黒き矛であり、彼を餌にした罠が待っているのだ。戦闘力で打開できるものではない。
「でしょうね。だから、追うのはあたしだけよ。クルードとザインはここに残ってもらうわ。あたしが引っかかってあげれば、敵さんも大喜びでこちらを攻撃してくるでしょうね」
「そこを迎え撃つということか」
敵が黒き矛による攻撃だけで満足するはずがない。敵の目的がこの部隊の撃滅ではなく、目的地への進軍だとしても、後顧の憂いを断つために全力で攻撃してくるのは明白だ。そのために陣容を整え、迫ってきたのだ。いまさら戦闘を回避しようなどとはしないだろう。
それに、戦いは既に始まっているのだ。考えている間にも、敵の軍勢は動き出しているに違いなかった。
「あたしが黒き矛を抑えておけば、あとはあんたたちでなんとかなるでしょ」
「それもそうだが……」
「ぼやぼやしていたら置いて行かれちゃうわ。クルード、ザイン、あとはよろしく」
ミリュウは、まだなにかをいいたげなクルードと話についてこれていないザインのふたりをその場に残すと、部隊長たちに騎馬隊の出撃を命じた。
「だいじょうぶですか!?」
「ああ、なんともないよ」
敵陣から離脱する最中、セツナは後方を気にしていた。敵軍に大きな動きはない。矢が散発的に飛んできたが、目標の定まっていない矢がセツナや兵士たちに当たることはなかった。敵弓兵の射程範囲から無事に抜け出すと、馬の速度を落とさせた。東の森に向かうにしても、敵の追撃部隊がこちらを見失っては意味がない。その前に敵が追いかけてきてくれるのかが問題なのだが。
とりあえず、第一段階は終わった。敵陣に攻撃を仕掛け、追いかけたくなるくらいの損害は与えることはできただろう。殺した兵士の数など覚えていないが、百人ほどは死んだか。
敵陣の前面に展開した弓兵の部隊に突っ込んだのは、騎馬隊による突撃を援護するためだった。セツナが真っ先に飛び込み、弓兵部隊を混乱させたことで、騎馬隊の突撃は効果的に機能したはずだ。後方からの弓射は、騎馬隊の迎撃にはほとんど意味をなさなかった。数名、軽傷を負ったにすぎない。
しかし、敵軍への打撃といえば、弓兵部隊を半壊させた程度であり、黒き矛のセツナの戦果としては少なすぎるといってもいい。それも仕方のないことだ。敵軍の武装召喚師に、それ以上の戦果を阻まれたからだ。
「敵軍に二名以上の武装召喚師を確認。各部隊に通達してくれ」
「はい! お任せください!」
威勢のいい部隊長の腰に掴まりながら、セツナは、さっきの戦いを思い出していた。弓兵を殺戮している最中に飛び込んできた軽装の男。武装召喚師だと一瞬でわかったのは、人並み外れた身体能力を有していたからでもあり、男が手にした武器の威力が原因でもある。男の召喚武装は、両手を覆う手甲らしかった。鉤爪のようなものがあり、打撃のみならず斬撃にも使えるのはひと目でわかった。男の攻撃は、基本的には手甲による打撃が多かった。しかし、どの攻撃も素早く、なおかつ一撃一撃が重く、中々反撃の隙を見いだせなかった。手数に押されたのだ。が、一撃も食らってはいない。すべて矛の柄や穂先で受け止め、受け流した。
敵軍に武装召喚師の存在を確認できた時点で、作戦の第一段階は終了したといっていい。このまま武装召喚師と戦いながら、敵兵を殺戮するというのは無理がありすぎた。しかも、敵軍にはもうひとり武装召喚師がいたのだ。
光を放ちながら殺到してきた武装召喚師の一撃こそ難なく撃退できたものの、ふたりの武装召喚師を相手にするのはセツナとしても御免被りたかった。武装召喚師はたったひとりでも凶悪な存在なのだ。それがふたり。いくら黒き矛が強大な力を持っているとはいえ、隙を突かれれば容易く死ぬのが人間だ。相手の能力も不明である以上、あの場で離脱したのは正解だろう。しかも、光の武装召喚師は、こちらが逃げる際、光線を撃ちこんできたのだ。それが手甲の男と戦っている最中だったら負傷していたかもしれない。
当初の予定通りに部隊長が迎えに来てくれて助かったものだ。あのまま迎えが来なければ、ふたりの武装召喚師と戦いながら後退しなければならず、それは途方もなく骨が折れることに違いない。その場合、脱出できたのかどうか。
「敵軍に二名以上の武装召喚師を確認! 各部隊に通達!」
部隊長が大声で部下に命令を飛ばしている。さっきセツナがいったことを、ほぼそのまま復唱しているだけだが。
ふたりの騎馬兵が隊列を離れ、伝令代わりに走っていく。ふたりが向かったのは、アスタル隊とドルカ隊の方向であり、この二隊も既に動き出しているはずだった。ドルカ隊は敵陣の西方に向かい、アスタル隊は中央を進む。エイン隊は予定通り、東の森周囲に潜伏していることだろう。それだけの時間が稼げたのかはわからないが、敵の追撃を待つ間に辿り着けるはずだ。
問題は、敵軍がセツナたちに食らいついてくれるかどうかだ。
「こんなわかりやすい囮に引っかかってくれますかね?」
「軍団長の作戦だし……」
「だいじょーぶ!」
エイン親衛隊の部隊長たちの会話を聞きながら、セツナは背後を振り返った。セツナを乗せた馬は、部隊の最後列を走っている。セツナが頼んだのだ。黒き矛を利用した索敵のためだった。騎馬隊の移動速度は極めて遅い。敵陣からまだそれほど離れていないのだが、セツナでも敵軍の動きを感知できない距離には到達していた。
(無理だったか?)
正面から一撃を加えて離脱するなど、どうぞ追いかけてきてくださいといっているようなものだ。普通なら罠だと判断し、放置するかもしれない。だが、餌は大きい。黒き矛のセツナだということは敵軍にもわかったようだ。それは、バハンダールを落とした軍勢にセツナがいることがわかっていたからだろう。ともかく、敵軍は、黒き矛を野放しにしていいものかどうかと考えたはずだ。放っておけば、痛手を負うのはわかっている。黒き矛のこれまでの戦果を鑑みれば、わかることだ。放置はできない。
(そうか……?)
武装召喚師による対策が万全ならば、わざわざ罠にかかりに来ようとはしないはずだ。
などと考えていると、セツナの聴覚に飛び込んできたのは、馬の足音だった。大地を蹴り、突き進む馬の群れ。十、二十、五十、百……数百頭の馬が、後方から距離を詰めてくるのがわかった。
「かかった!」
セツナが歓喜の声を上げると、部隊長たちが全軍に全力疾走を命じた。