第二千二百九十八話 上陸、南ザイオン大陸
第二千二百九十八話 上陸、南ザイオン大陸
ウルクナクト号と名を改めた方舟は、空路、西ザイオン帝国領への旅を続けている。
ログナー島での方舟対方舟の戦いは、ウルクナクト号の機能に障害を与えており、そのため、その飛行速度は最高速度とは比べものにならないくらい頼りないものになっていた。しかしながら、何度もいうことだが、海上を船で移動するよりは遙かに早く目的地に辿り着けるのは間違いなく、セツナたちは、空の旅を満喫していればよかった。ウルクナクト号は、女神マユリによって手厚く護られていて、たとえ上空で皇魔に遭遇するようなことがあったとしても、皇魔の苛烈な攻撃さえ黙殺することができた。
ウルクナクト号の防御障壁を破ることができるものがあるとすれば、超威力の召喚武装による攻撃や超威力の魔法、神による攻撃などといった超次元の攻撃でなければならず、空を支配地とする皇魔には到底不可能なことだ。仮に防御障壁に取り付くようなことがあったとしても、セツナたちが追い払えばいい。皇魔など、いまや恐るるにたらない。
もっと、恐ろしいものと戦っているのだ。
ネア・ガンディアの軍勢に比べれば、並の皇魔は赤子のようなものといってもいいだろう。無論、リュウディースの女王のような強力無比な魔法の使い手となれば話は別だが、すべての皇魔がリュスカのように魔法を使えるわけではない。
とはいえ、懸念していたように皇魔と遭遇することはなく、セツナたちは、日々、それぞれに訓練や修行に励み、あるいは思い切り休養し、あるいは甘えたい放題に甘えてほかの女性陣から怒りを買ったりした。
そんな風にして、数日が過ぎたころ、セツナたちは船首展望室の一面の窓から眼下に広がる大海原と、そのまばゆいばかりに蒼く輝く水面の先に横たわる大地を目の当たりにして、歓喜の声を上げた。
ログナー島を飛び立って六日目の午前中、方舟ウルクナクト号は、ようやく目的の大地に辿り着くことができたのだ。
世界図によれば、帝国領土は、“大破壊”によって南北にほぼ真っ二つに分かれたといっていいのだが、南ザイオン大陸だけでも最盛期のガンディアの版図とは比べものにならないほどに広大だ。“大破壊”の影響を受けて荒廃しきってはいるが、数多くの都市があり、多くのひとびとが生きていることは想像に難くない。
《前方に見えるあの大地が、おまえたちのいう南ザイオン大陸だ。そろそろ下船する準備をしたほうがいいのではないか? 数時間もすれば、目的地付近に着陸することになるぞ》
脳裏に響いたのは、女神マユリからの警告だった。船首展望室には、ほとんど全員が揃っている。いないのは、ひとり訓練中のダルクスと、仕込み中のゲインだけだ。そこでミリュウが椅子の上で大暴れしたのは、マユリ神の報告があまりにも唐突だったからだろう。
「ええ!? いきなりすぎない!? そんなことならもっと早くいってよね!」
《そういう要望は、そちらが先にいうべきだろう。わたしは希望は叶えるが、聞いてもいない望みを叶えられるほどお人好しでも万能でもないぞ》
「まったまたー! マユリんったら謙遜しすぎよう!」
「怒ってるのか褒めてるのかどっちなんだ」
「褒めてるに決まってるじゃない! さっすがマユリんよね!」
《あー……喜んでくれているのなら、構わないが》
(さすがのマユリ様も、ミリュウについていけないこともあるんだな)
セツナは、ミリュウの勢い重視といってもいいような言動の変化に翻弄されるマユリ神に同情せざるをえなかった。ミリュウにもっとも翻弄されているのはセツナなのだ。女神の気持ちは、痛いほど理解できた。
マユリが目的地といった場所は、西ザイオン帝国帝都シウェルエンドだ。西ザイオン帝国が成立したのは、東ザイオン帝国に対抗するためといってよく、東帝国が帝都ザイアスを手中に収めていることもあり、仮初めの首都として、アウラトールなる大都市を帝都シウェルエンドと名を改めている。シウェルエンドのシウェルは、先帝の名から取られ、エンドは古代語で骨を意味する。先帝シウェルの骨という意味の名称に新皇帝ニーウェハインがどのような想いを込めたのか、セツナには彼の複雑な感情を想像することしかできない。
ニーウェは、必ずしも実の父を愛していたわけではなかった。そのことは、セツナが彼の記憶を垣間見たことで明確なものとして理解している。彼が実父や義理の母親たちに対して憎悪にも似た感情を抱きながらも、実の母や実の姉に深く依存することで平衡を保っていたようなのだ。だが、そんな父親が最後に自分や姉、多くの家臣将兵を“大破壊”から護るように帝国本土へ転送したという事実は、彼に多大な衝撃や価値観の変化をもたらしたことだろう。
故に、畏敬の念を込め、シウェルエンドと名付けたのではないか。
西ザイオン帝国海軍の将軍リグフォード・ゼル=ヴァンダライズが予定していた航路では、当然のことながら内陸部にある帝都シウェルエンドに直行したわけではない。
海の玄関口といってもいい南西端の港町ヴェイルイログへ。ヴェイルイログからは陸路、馬に乗っての移動かと思いきや、帝国全土に張り巡らされた鉄道を利用し、いくつもの都市を経由しながら帝都に辿り着くつもりだったのだ。帝国の広大な大地をどのように移動しているのかについては、セツナはニーウェの記憶の中でわずかにも見た覚えがあったものの、リグフォードらから話を聞いたことで、驚きとともに思い出している。
魔動船にも利用されていた召喚武装を動力とする機構については、二万名もの武装召喚師を保有し、独自の発展を遂げた帝国ならではのものだ。武装召喚術の始まりの地にして、《大陸召喚師協会》の総本山でもあるリョハンでは、そういった発展は考えられないことだっただろうし、ありえないことだったに違いない。リョハンの武装召喚師たちは、純粋に武装召喚術の技術を磨き、知識を深め、心身を鍛えることにこそ、武装召喚術の神髄があり、未来があると信じているのであり、武装召喚術を応用した技術を生み出すことは邪道であり、外道と考えるに違いないのだ。
事実、ファリアはレムから魔動船の話を聞くと、眉を潜め、帝国に対してあからさまなまでの嫌悪感を持ったようだった。元々、最終戦争の一因であった帝国には悪感情を抱いていただろうが、生粋の武装召喚師であり、武装召喚術の有り様について徹底的に叩き込まれるようにして成長してきた彼女にとってしてみれば、武装召喚術を本来の使用方法とは異なる使い方をするのは信じられないことだったのだ。
それがリョハンと帝国の違いであり、帝国はその柔軟性によって広大な帝国領土を他の大勢力よりも早く快適に移動できる手段を獲得することに成功したのだろう。
もっとも、その魔動技術なるものに基づく鉄道をセツナたちが利用する必要はない。鉄道は確かに早いのだろうが、それ以上に方舟のほうが高速で移動可能だからだ。
ちなみにだが、港町ヴェイルイログの港には、リョハンを探すためセツナたちを乗せ、ベノア島より北に向かったため、他の二隻の魔動船に比べて大きく出遅れたメリッサ・ノア号の姿こそ見当たらなかったものの、大型魔動船アデルハイン号とキリル・ロナー号が既に到着していることがわかった。ベノア島からまっすぐ南ザイオン大陸を目指したはずなのだ。海でなんらかの問題に遭遇しない限り、先に到着していてもなんら不思議ではない。なにより、アデルハイン号とキリル・ロナー号が南ザイオン大陸を目指して出発したのは、いまより三ヶ月以上も前のことだった。
確かにベノア島から南ザイオン大陸は遠く離れているものの、魔動船の推力を駆使すれば、三ヶ月もかからずに辿り着くだろうことは、リグフォードらに聞いていた。実際にその通りだったのだから、セツナは、アデルハインの威容を目の当たりにできて、心底ほっとした。もし、セツナたちの目の届かない海のどこかでなんらかの問題が発生し、遭難でもしていればと考えれば、ニーナたちが無事に帝国本土に帰り着けたことを喜ばずにはいられない。もし彼女の身になにかがあれば、ニーウェに申し訳が立たない。
そんなニーウェが居城とするシウェルエンドへは、ヴェイルイログからほぼまっすぐ北に向かえばよく、セツナたちは、昼食を終えた後、下船準備に追われた。とはいっても、全員で下船するわけではない。船が攻撃を受けたときのため、ウルクナクト号に残る人数も必要なのだ。もちろん、女神マユリに一任してもいいのだが、なんでもかんでも女神に頼るのではなく、船を護ることくらい自分たちの手で行うべきだというセツナの主張は、皆に理解され受け入れられている。
下船組と居残り組の人員は、ミリュウ特製のくじで決められた。当然だが、セツナはくじを引いていない。非戦闘員であるゲインとミレーユもだ。
結果はというと、セツナ、シーラの二名が下船組となり、残りのファリア、ミリュウ、レム、エリナ、ダルクスが居残り組となった。ミリュウがその結果に文句も言わず引き下がったのは、自分で作ったくじの結果だからだろう。下船組がセツナ以外一名だけだったのも、ミリュウが自分がそのくじを引けると考えていたからなのか、どうか。しかし、結果を見ればわかるが、彼女はそういったことで不正をするような人間ではなく、自分の運に賭けて戦い、見事に散ったのだ。
セツナとふたりきりで下船することになったシーラのことをうらやましそうに見ていたものの、自分で考えたことの結果に関して不満や文句を口にしたりしないのは、ミリュウのいいところかもしれない。ファリアやレムは不満全開だったが。
かくして、ウルクナクト号が西ザイオン帝国帝都シウェルエンド付近に辿り着くと、盛大な出迎えがあった。
数十名の武装召喚師による、方舟への警告だ。




