第二千二百九十四話 亡霊(八)
しがらみに囚われて、生きている。
死に場所を求めて彷徨う亡霊には相応しい生き様としかいえず、彼は、何度目かの寝返りの中で小さく苦笑を浮かべた。
エランラムの“雲の門”本拠は、これまで“雲の門”が拠点としてきた建物の中でも特に大きなものだ。漁村近郊の洞窟とも比べものにならない規模であり、加速度的に勢力拡大を果たし、人員も増大した“雲の門”にはこれくらいの拠点がなければ、今後の活動に支障が出るのは間違いなかった。
しかし、巨大な組織拠点を持つということはつまるところ、目立つということでもある。
そのことが“雲の門”を取り巻く状況に暗雲を立ちこめさせたのではないか、と、彼は考えずにはいられなかった。
が、“雲の門”がその行動原理を義侠心に基づくものとしているとしている限り、社会の影に潜み、暗躍する組織として活動し続けることは不可能に近く、勢力拡大を続ける一方であることを考えれば、どうあがいたところで目立たずに居続けることは不可能だった。“雲の門”は、その活動内容によって帝国領第四方面における立場を確立したといってよく、様々なことで困り果てたひとびとの逃げ込み場所のような、受け皿のようなものとして機能し、それによってますますひとびとの信頼を勝ち取り、勢力拡大を加速させている。
頭領ネミア=ウィーズの度量の広さは留まるところを知らず、困窮するひとびとが救いを求めてくれば、たとえどのような理由であれ受け入れ、話を聞き、解決に力を貸すよう、幹部以下全構成員に命じていた。構成員も、頭領の薫陶を受けた幹部たちによって選び抜かれたものたちばかりだ。“雲の門”という義侠心溢れる組織の有り様を理解し、むしろ、ネミアの示した活動方針に歓喜の声を上げるような連中ばかりだった。そも、新たに組織に加わった人間というのは、“雲の門”のそういった活動に心を打たれたものばかりであり、それらがネミアの方針とはかけ離れた行動を取るようなことはなかったのだ。
エランラムを拠点としての活動は多岐に渡った。この時代、ひとびとは、様々な理由で困り果てている。世界がばらばらになり、帝国本土さえもずたずたに破壊されたことにより、この第四方面にも大混乱が起きていた。その混乱に乗じて新たな秩序を打ち立てようとしたのが皇帝を僭称するミズガリスハインであろうし、実際、その目論見は上手くいっているといっていい。この南ザイオン大陸と呼ばれるようになった大地の東側半分は、既にミズガリスハインの制圧下にあるのだ。
しかし、ミズガリスハインの統治運営というのは、決して上手くいってはいなかった。群の統率により、当初の混乱は収まり、秩序は回復したかに見える。しかし、末端の一般市民は救済されることもなく、困窮と失意の中にあり、それらに手を差し伸べるのが“雲の門”の役割といってよかった。
生活に困り果てた市民の最後の逃げ込み場所。それが“雲の門”の本拠であり、“雲の門”の人気が日に日に高まっているのは、その分け隔てなさと手厚さから来るものだ。
“雲の門”が誇る仮面の戦士ラーゼン=ウルクナクトの出番は、怪物退治をおいてほかにはない。金にまつわるような荒事には、荒くれ者揃いの幹部たちが対応したし、多くの場合は、末端の構成員たちだけで対処した。ラーゼンが出る幕など、端からないのだ。
とはいえ、ラーゼンは、“雲の門”にはなくてはならない存在ではあった。“雲の門”がいまのような構成員三千名を越える大勢力にのし上がることができたのは、ラーゼンの活躍あってのことであり、ラーゼンがいなければいまもマグウの漁村に留まり、潮風を浴び続けていただろうとは幹部のだれもが認めることだった。
なにより、頭領ネミアがラーゼンを離さない。
だれかに必要とされること、それそのものは決して悪い気分ではなかったし、彼自身、ネミアのことを悪く想っていなかった。ネミアは、決して強い女ではない。ラーゼンと出逢うまでは、気丈に振る舞い続けることを強いられていたがため、だれに対しても弱い部分を見せることがなかっただけで、実際には、か弱さや儚さをひた隠しにしていただけの、ひとりの女性に過ぎない。そんな彼女の弱い部分を自分にだけ見せられれば、彼も考えを改めよう。 情だ。
情が、しがらみとなり、彼の手足に糸の如く絡みついて、動きを縛っている。
それを振り切る方法ならばいくらでもある。情を捨て去ればいい。元々、金だけがすべての傭兵だったのだ。情になど縛られずに生きてきたのだ。ここに留まる理由などはないのだから、振り切ればいい。
(それで、どうする?)
彼は、寝返りを打ちながら考える。
(振り切った先、なにがある)
なにもない。
自分には、もはやなにも残されていないのだ。
どういうわけか死ねなかったがゆえに生き延び、流れ着いた先で居場所を見つけた。その居場所の心地よさは、自分が必要とされているが故のものであり、それを振り切り、あてどなく彷徨うことになんの興味もなかった。
だれもかれもが死んでしまった。
どこにも帰る場所などあろうはずもない。
だったら、ここで死ぬまで戦い続けるのも悪くはない。
いつからか、そう考えるようになった。
(悪くはない、か)
自分にしては、上出来な結論ではないか。
そんなことを想いながら、彼はその日の朝、何度目かの眠りについた。
ラーゼンの自室の扉が強く叩かれたのは、そんな浅い眠りを繰り返している最中のことであり、彼はあまりのうるささに不機嫌になるのを自覚しながら寝台から跳ね起きた。ラーゼンは、“雲の門”の食客でありながら、その待遇は頭領未満幹部以上であり、普段、彼の部屋の扉が叩かれることなどはない。あるとすれば、頭領たるネミアの急用時だけであり、その場合も、ネミアの性格通り、優しく叩かれるか、合い鍵でもって開けられるかのいずれかだ。
今回のように激しく叩かれることなど、これまでにないことだった。それ故、彼は不機嫌な頭の中で、緊急性を要するなにがしかの出来事が起こったのだろうと理解し、素早く着替え、仮面を身につけ、腰の帯に柄だけの魔剣を突っ込んだ。
「旦那! ラーゼンの旦那! 大変です!」
切羽詰まったドルンの声が扉の向こう側から聞こえてきた。
ラーゼンが扉を開けると、顔面を蒼白にしたドルンがそこにいた。彼は、ラーゼンの姿を目の当たりにするなり、多少なりとも安堵したらしく、表情を緩めた。
「なにがあった?」
「それが……帝国軍の連中がここを包囲しやがったんです!」
「帝国軍が?」
ラーゼンは、反芻するように問いながら、ついにこのときが来たのかと想ったりもした。
思い当たる節は、皆無とはいえない。
しかし、彼はこうも考える。
“雲の門”は一般市民だけでなく帝国軍の要求にも応えてきたし、折り合いを上手くつけてきてもいた。帝国軍の立場を奪わないように立ち回るのは、頭領ネミアの本領といってよく、彼女の采配により、“雲の門”が帝国軍の尊厳を傷つけるようなことは一切なかった。帝国軍とは、むしろ仲良くしているほうだったはずだ。
少なくとも、これまで拠点としてきた街や都市に駐屯中の軍の連中とは、酒盛りをするほどの間柄、関係性を構築することに成功していた。
“雲の門”は、かつての盗賊集団でもなければ、義賊集団でもない。いまや、帝国市民の生活の安全を保証するような組織へと生まれ変わり、その立ち位置、役回りは、帝国軍にとっても決して悪くはないはずのものだった。軍だけではない。帝国政府にとっても、“雲の門”の存在は悪かろうはずはなく、むしろ利用価値のある組織といっていい。
“雲の門”は、既に構成員三千名を越える大所帯となり、第四方面の大都市エランラムを本拠に、第四方面各地で様々な問題解決に奔走している。そのほとんどが一般市民からの要請であるが、中には帝国政府からの直接の要望もあった。怪物退治などは、その最たるものだ。 帝国政府、帝国陸軍との関係性が突如悪化したのか、とも考えたが、そんなわけもないだろう。
帝国軍がこの本拠を包囲する理由があるとすればただひとつだ。
“雲の門”が東ザイオン帝国に肩入れしておらず、旗色を鮮明にしていないからではないか。 ラーゼンの想像は、ネミアとの合流後、彼女の発言からほとんど当たっていることが判明した。
「要するに東帝国の連中がうちらを傘下に組み込もうとしてるのさ。それもかなり強引な手法でね」
ネミアは、面白くもなさそうに告げた。その場に集まった幹部一同、彼女の気持ちに同調するようにうなずき、口々に東帝国政府への不満を吐き散らす。
ネミアの話によれば、これまでにも東ザイオン帝国政府から散々、傘下に入るよう指示があったらしい。それを突っぱねてきたのが、ネミアだ。ネミアは、この南ザイオン大陸がひとつの帝国によって統一されるまでは、どちらかに付くべきではないと考えており、その考えには幹部の多くが同意していた。つまり、東帝国に属さないというのは“雲の門”の組織としての方針ということだ。
しかし、その方針が東帝国政府の逆鱗に触れた、というのは、間違いないだろう。
東帝国政府が、帝都ザイアスより戦力を繰り出してきたという事実がそれを裏付けている。帝都ザイアスを出発した東帝国の主戦力は、エランラムに到達すると、速やかに“雲の門”本拠を包囲している。その行動の淀みなさは、東帝国政府の怒りの深刻さを現しているかのようだ。
「まったく、頭にくるよ。こっちはこっちで邪魔しないよう、遠慮がちにやってたってのにさ」
「まったくでさあ。頭、どうします?」
「どうするもこうするも……ねえ」
ネミアに話を振られて。ラーゼンは、仮面の奥で目を細めた。
戦力差は、圧倒的というほかない。
エランラムの“雲の門”本拠には、頭領、幹部を含め、構成員三千名のうち、一千名が出入りしていて、常駐しているのは三百名前後だ。そして、現在、この本拠に滞在しているのは五百名であり、戦闘要員はそのうちの半数程度といってよかった。“雲の門”は、戦闘要員だけを構成員としているわけではない。“雲の門”に持ち込まれる要請というのは、なにも荒事だけではないのだ。
ちなみにだが、“雲の門”の構成員のうち、二千名は、第四方面各地の拠点で活動していて、その活動の様子は定期的に報告として本部に上がってきている。
“雲の門”本拠を包囲しているのは、帝都ザイアスから派遣された五千名の軍勢であり、それにエランラムの駐屯部隊が合流しているとのことだった。併せて七千名の大軍勢だ。おおよそ、三百名程度の戦闘要員で切り抜けられる相手ではない。しかもだ。帝都から派遣された五千名の軍勢には、十名以上の武装召喚師が帯同しており、東帝国政府が本気で“雲の門”を潰すつもりであるらしいことは明らかだった。
(俺ひとりならどうとでもなるが)
それはつまり、ネミアやドルンたち気のいい連中を見捨てるということであり、ラーゼンは胸中頭を振った。しかし。
「ラーゼン。あんたはただの食客だ。“雲の門”の幹部でも構成員でもないんだ。あたしらと心中する必要はないよ」
ネミアは、そんな風に告げてきて、ラーゼンを突き放そうとした。心中。確かに、そうなるだろう。東帝国政府が本気で“雲の門”を壊滅させるつもりなら、どうあがいても滅びを免れる方法はない。こちらが投降するつもりになったとて、敵が受け入れてくれるとは限らないのだ。
東帝国政府にとって、“雲の門”がそこまで邪魔な存在にまで成長しているとは、ラーゼンとて想定外のことではあったが。
幹部たちが固唾を呑んで見守る中、ラーゼンは肩を竦めるほかなかった。
「心外だな。俺は、“雲の門”の一員だと想っていたんだが」
「そういってくれるのは嬉しいよ。でもさ」
「俺は亡霊なんだよ。やっと死ねるのなら、それに越したことはないのさ」
ラーゼンは本音を告げることができて、ようやくほっとした。いまのいままで、ネミアに対しても自分の本心を隠し通してきたことは、心苦しかったのだ。
ようやく、ラーゼン=ウルクナクトから本当の自分に戻れる。
そう思えた。
死ねば、この仮面ともおさらばできる。
“雲の門”の気のいい食客で頭領の愛人という仮面から。
やっと、彼らの元に行ける。
地獄へ。
そう想ったのに、彼は、またしても死ねなかった。
なぜならば、東帝国政府は、この期に及んで“雲の門”に全面降伏を促してきたからだ。降伏し、東帝国政府に従うならば、命を奪うことも組織を解体することもない、と。
破格の条件であるとして、ネミアは、その条件を呑むことにした。“雲の門”の理念は失われるかもしれない。しかし、“雲の門”の構成員を皆殺しにするよりはずっとましだ、と、彼女は苦渋に満ちた決断を下した。
結果、ラーゼンは生き延びた。
また、死ねなかった。
亡霊は、現世を彷徨い続けるしかないのかもしれない。




