第二千二百九十三話 亡霊(七)
イミシャダで高まった名声が、“雲の門”を新たな戦場へと誘う。
北西へ。
まるで吸い寄せられるように転戦していく中、“雲の門”は勢力を拡大し続けた。向かう先々で皇魔や白い怪物と戦い、そのたびに勝利し、そのたびに傘下が増えた。活動資金に関しても、なんの問題もない。潤沢な資金は、末端の構成員に至るまで十二分に装備を調えられるまでになり、皇魔退治程度ならば、ラーゼンが出るまでもないくらいだった。
いくつもの街を窮地から救えば、当然、“雲の門”の名声は帝国領第四方面全域のみならず、他の方面にも広がりを見せていく。とはいっても、遙か遠方からお呼びがかかるということは、まずない。帝国領土はあまりにも広大だ。たとえ要請があったとしても、第四方面を北進中の“雲の門”本体が他方面に出向くことなどできるわけもない。いまは、第四方面を制圧することが当面の目標だった。
もちろん、制圧というのは、帝国軍を相手に戦うことではない。
“雲の門”は、かつて、帝国の社会の闇に生き、影を支配していた組織だ。ネミアの考える再興も、“雲の門”をかつてのような勢力に育て上げるとともに帝国の影を支配することであるとしている。帝国軍と正面切ってやり合おうと考えるほど、ネミアは愚かではない。総勢二万人の武装召喚師を誇った軍勢を相手になど、どこの組織がやり合えるというのか。ラーゼンでさえ、一瞬で塵と化すだろう。
とはいえ、現状ではその二万人が全員同時に相手になることはない、ということもわかっている。
勢力の拡大は、情報源の拡大でもあった。
現状、帝国がどのような状態にあるのか、少しずつわかってきたのだ。
まず、帝国領土が南北で真っ二つに分かれたということが伝わってきた。なにやら大変動が起き、大陸がばらばらになったらしい。にわかには信じがたい情報だが、ラーゼンの身の上を考えれば、理解できないことではない。ラーゼンは、海など存在しないはずの地域にいたはずが、いつの間にか海原を漂うはめになっていたのだ。
大地が割れ、海が流れ込んできたからそうなったのだ、と考えれば、辻褄があう。
大陸が崩壊したことによる世界の激変の詳細は不明だ。ひとついえることは、この帝国南部が大海原によって隔絶された地域に成り果てたということだ。かつて、すべての大地が地続きだったころとは、状況が大きく変わってしまっている。
また、帝国南部は、ふたつの大勢力による大闘争の中にあるということもわかった。
ひとつは、ラーゼンらがいる第四方面の大半、第五方面の一部、第一方面の大半を手中に収めた新皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオン擁する東ザイオン帝国。
もうひとつは、南部の西側である第五方面の大半、第六方面の大半を掌握している新皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオン率いる西ザイオン帝国。
いずれも新皇帝を名乗っており、自分こそが正当なる皇位後継者であり、帝国領土を支配するものであると主張し、故にぶつかり合っているようだ。
ネミアらの話に寄れば、本来は先帝に皇位継承者に任命されたニーウェハイン新皇帝の主張こそが正しく、ミズガリスハインは新皇帝を僭称しているに過ぎない、という。しかし、ここは東帝国領。そのような発言を公然とするべきではなく、ネミアも口の軽い幹部たちに注意した。
ミズガリスハインが新皇帝を名乗ったのは、どうやら帝都ザイアスを手中に収めることに成功したからのようだ。ミズガリスハインは、元々、ニーウェハインの皇位継承に反発していたという噂もある。帝都を掌握したことで調子に乗ったのか、勘違いしたのか。いずれにせよ、ミズガリスハインは新皇帝を名乗り、帝国領土全域の掌握に乗り出したということだ。そして、それはいまのところ上手くいっていて、帝国領南部の東側はほぼ全域がミズガリスハインの支配下にあるらしい。
マグウの村も、イミシャダも、これまでラーゼンたちが活動してきたすべての街や都市がミズガリスハインによって支配されているのだ。
もっとも、“雲の門”には直接関係のない話といえば、関係のない話ではある。
なぜならば“雲の門”は、時の支配者とは無関係に帝国の影を支配してきたのであり、だれがどう帝国を支配しようと関係がなかったのだ。
「くだらない争いになんざ、首を突っ込む気にもなれないよ」
ネミアが切って捨てるように告げたのが、ラーゼンには小気味よかった。
ニーウェハインことニーウェ・ラアム=アルスールとは、必ずしも縁がないとはいえないが、だからといって肩入れする義理も道理もなく、ましてやミズガリスハインなどという火事場泥棒同然の存在に力を貸す理由もなかった。
義賊たる“雲の門”に属しているのであれば、なおさらだ。
しかし、 帝国の情勢に“雲の門”が無関係を維持していられる時間は、長くはなかったのだ。
第四方面の大都市エランラムに拠点を構えるようになり、勢力もマグウのころに比べれば大幅に拡大したことが東ザイオン帝国に目をつけられる原因となったのは、いうまでもない。
東ザイオン帝国は、西ザイオン帝国との大闘争に打ち勝つべく、躍起になっているという話は、だれもが知るところだ。ミズガリスハインの皇位継承を正当なものとするためには、正当なる皇位継承者の存在が目障りであり、まずはニーウェハインを討たなければならなかった。西ザイオン帝国を打倒し、その暁にニーウェハインを討つ。そして正当なる皇位継承者として名乗りを上げ、ザイオン帝国の再興を宣言する。それが、ミズガリスハインの望む景色であろうが、そのためにはどうしても東帝国の戦力の拡充が急務だった。
数多の皇魔、怪物を退治し、名声を上げ続ける“雲の門”に注目するのは、必然だったのだ。
「近頃、第四方面を騒がせている連中がいるそうだな。なんでも、白異を容易く討滅するほどの実力者がいるというが」
ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンが口を開いたのは、朝議を終え、重臣たちが会議室を去ってからのことだった。広々と室内には、穏やかな朝というには程遠い静けさと寒々しさが横たわっている。つい先ほど終わった会議の余韻だろうが、その余韻を強く感じるのは、ラミューリン=ヴィノセアが過敏過ぎるからというのもあるだろう。しかし、気難しく神経質なミズガリスハインに仕えるには、過敏過ぎて困ることはなかった。むしろ、この程度の過敏さを持っていなければ、ミズガリスハインの気まぐれで降格されるどころか、放逐や処断もあり得た。
特に皇位を継承し、新皇帝となってからの彼は、その気難しさと気分屋ぶりを遺憾なく発揮し、実の兄弟であっても、容易く処分した。とはいえ、肉親ということもあってか、命を奪うようなことはなく、皇族としてのあらゆる特権の剥奪および帝都ザイアスからの放逐程度で済んでいる。それは、彼なりの温情であるのだろうが、当然、その仕打ちを受けた側は、ミズガリスハインをただただ憎悪を募らせ、報復を誓ったことだろう。
第二皇子であったミルズ=ザイオン、第五皇子のエリクス=ザイオンだ。ふたりは、自身の家族、私兵とともに帝都から放逐されると、東帝国領に留まることに拘らず、早々に西へと去った。西帝国領の情報はあまり入ってこないが、どうやら偽皇帝ニーウェハインに上手く取り入ったようだ。
つまり、ミズガリスハインは、その気性のせいで敵を増やしたということになるのだが、それについては、ラミューリンは特に問題視してはいなかった。ミルズにせよ、エリクスにせよ、所詮は皇族という後ろ盾あってこその人間であり、彼らが連れ立った私兵など、東帝国の戦力からすれば取るに足らないものだった。当人たちにも実力はない。だからこそ、後継者争いにおいて、まったく名が上がらなかったのだ。ふたりに比べれば、まだ闘爵の位を与えられていたニーウェのほうが遙かに増しだろう。
もっとも、いまでこそ皇帝を僭称しているニーウェは、元来、後継者争いからは外れているといっても過言ではなく、だからこそ、ミズガリスハインには彼の存在が憎たらしくて溜まらないのだ。
ニーウェは、どういう理屈なのか、先帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンによって、正当皇位継承者に任じられ、帝国全土に公布されていた。
つまるところ、先帝亡き後、皇位を継承するべきはニーウェであり、ミズガリスハインは、本来ならば長兄として、天智公として、ニーウェの皇位継承を後押しする立場にあったのだ。
要するにミズガリスハインこそが皇帝を僭称しているということになる。
が、この場合は致し方のないことだと、ラミューリンは考えている。
帝国領土のみならず、世界全土をを襲った大崩壊。その直後から続いた世界規模の混乱を収め、人心を落ち着かせるためには、だれかが立たなければならなかった。ミズガリスとラミューリンは、たまたま帝都ザイアスに転送された。帝都ザイアスは、帝国の中心であり、帝国民の心を落ち着かせ、安定的な秩序を再構築するためには、失った柱を打ち立てる必要があった。その柱こそ、皇帝という偉大なる柱であり、そのために正当なる皇位継承者ニーウェを探して回る余裕など、当時、あろうはずもなかったのだ。
故にミズガリス・ディアス=ザイオンは、新皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンを名乗った。そして、帝都ザイアスから、この南ザイオン大陸全土の秩序を再構築するべく、動き出したのだ。
それは、ミズガリスハインの野心というよりは、皇族の人間としての義務感、責任感が極めて強く働いたが故の行動であり、そこに彼の私利私欲は一切ないと、ラミューリンには断言できた。
彼は傲慢で気難しいところのある気分屋だが、先帝シウェルハインの薫陶を最も間近で受けてきた人物であり、三公五爵の頂点たる天智公として並ぶもののない重責を担ってきたのだ。彼が帝国を愛し、臣民を想う気持ちに嘘偽りはなかった。
それと、ニーウェへの憎悪にも等しい嫉妬心は、必ずしも打ち消し合うものではない。
「“雲の門”と、それらは名乗っているそうです」
ラミューリンは、自分と皇帝以外だれひとりいない会議室の静寂を満喫するように目を伏せた。彼女は、気難しいミズガリスハインのことが嫌いではない。
「“雲の門”。おとぎ話で良く聞いた名だ。帝国各地を股にかけた義賊だったな。マリアンなどはよくその話を聞きたがって、周りのものを困らせたものだ」
ミズガリスハインがめずらしく柔和な表情を浮かべたのは、子供の頃の想い出を脳裏に浮かべたからなのだろう。彼がここのところ、常に心安まることなく渋面を作っているのは、皇帝としての職務に忠実で、多忙を極めているからにほかならない。だからこそ、余計なことばかりをいう弟たちが不愉快であり、処分したに違いなかった。
彼がいったマリアンとは、かつての第一皇女にして地理公マリアン・フォロス=ザイオンのことだ。三歳下で母も異なる妹だが、彼はそんな彼女のことを溺愛していたという。後継者争いが加熱し、対抗馬として相争う関係になったあとでも手紙や贈り物をし合う程度には仲が良く、後継者争いがなければ天智公と地理公として、手を取り合い、帝国全土によりよい影響を与えただろうことはだれもが想像した未来だった。
「“月ヶ城”の暗殺者どもに滅ぼされたという話ではなかったのか?」
「それも噂の域を出ない話です。“月ヶ城”が“雲の門”から派生した組織だということは事実だそうですが、“月ヶ城”が“雲の門”を滅ぼしたという事実はないようです」
とはいえ、“月ヶ城”が“雲の門”から大量の離反者を生み出したという記録もあり、“雲の門”が没落したのも、“月ヶ城”の影響によるところが大きいようだ。しかし、“雲の門”は滅びなかった。わずかにも生き残りがいて、帝国の僻地で細々と受け継がれてきたらしい。
「なるほど。生き延びていた連中が、この混乱に乗じ、息を吹き返したというわけか」
「はい」
「卿は、どう想う?」
「捨て置くも、滅ぼすも、陛下のお心次第かと」
「滅ぼすほどの存在かね。話を聞く限りでは、帝国の民には喜ばれているようだが」
「ですから、捨て置かれましても、問題はないかと」
「しかしどうやら、卿の考えは違うようだ」
ミズガリスハインは、いつになく上機嫌に笑った。彼は、ラミューリンの内心を見透かすことができたときがなによりも嬉しいらしい。無論、ラミューリンはそれがわかっているから、彼にもわかるように言葉を選ぶのだが。
「卿に一切を任せる。好きにせよ」
「陛下のお心のままに」
ラミューリンは、自分の思い通りに事が運んだことを喜びもしなかった。
そこで喜べば、たちまち彼は不機嫌となり、ラミューリンに対し疑いの感情を持つようになるだろう。ミズガリスハインのことをわかっているつもりになってはいけないのだ。常に慎重に言葉を選び、態度を改めなければならない。
だからこそ、彼女はミズガリスハインが天智公の時代から寵愛を受けることができているのだ。




