第二千二百八十九話 亡霊(三)
ラーゼン=ウルクナクトが、盗賊集団“雲の門”の食客として漁村の拠点に住み着くようになって間もなくのこと、漁村で大騒ぎが起きた。
漁村の名はマグウという。帝国領土に数多存在する漁村のひとつであり、漁業を生業としている。小国家群のような大陸内陸部でも、漁業を生業とするものは決して珍しくはない。川や湖でも魚介類は捕れるものだ。しかし、大型船を用いての漁業となると話は別だ。マグウは小さな漁村だが、村の規模からは考えられないほどの大型船を保有し、遙か彼方の海原まで繰り出すという。もっとも、その大型船は、村が独自に作り上げたものではなく、帝国政府から貸し出されているものらしい。
帝国政府は、数多の漁村それぞれに大型船を貸し出しており、その代わりに成果の一部を帝国政府に差し出すよう厳命していた。漁村としては、帝国海軍のお下がりとはいえ、高性能な大型船を借りられるだけでも感謝してもしきれないほどであり、漁村のひとびとほど帝国政府に忠誠心の強いものはいないのではないか、というくらい、彼ら村民は帝国政府を崇拝していた。
ラーゼンはその日、そんな大型船が遠洋漁業からマグウ村へと帰還してくるのを“雲の門”の連中と見学していた。白波を切って村の船着き場に急ぐ大型船だったが、しばらくして船着き場が騒がしくなったことに気づく。ドルンとともに船着き場に向かった彼が目の当たりにしたのは、大型船を追い立てる巨大な怪物の姿だった。
軟体生物とも鳥獣ともつかぬ姿をした化け物が怪奇音を発しながら大型船に襲いかかろうとするのを見た瞬間、彼は剣を抜いていた。同時に、化け物の長大な触手を切り落とし、体液を海面や甲板に降り注がせる。怪物が怒号を発し、彼に標的を変えた。彼は、剣の柄から伸びた光の刃を天を衝くほどに伸長させると、波を割いて殺到してきた化け物が船着き場を破壊するよりも遙かに疾く、その鈍色に輝く巨躯を真っ二つに切り裂いて見せた。
船着き場や浜辺からどっと歓声があがったのは、怪物の断末魔が海面を波立たせ、水飛沫が霧のように舞い上がって、しばらくしてからのことだった。
それ以降、“雲の門”の食客ラーゼン=ウルクナクトは、海斬りラーゼンの名で称えられるようになり、村人たちにも守護神の如く崇められていった。
悪い気はしなかったが、ここが自分のいるべき場所ではないことくらいはわかっていたし、自分らしくない有り様だということも認識していた。
しかし、一宿一飯の恩は返さなければならない、という想いが、彼を漁村に留まらせ、“雲の門”の食客を続けさせた。そして、そうするうちに村内での名声は高まり続ける一方だった。なぜならば、漁村にとって最大の問題である海に棲む皇魔への対抗手段として、彼は大いに期待されたからだ。
海に棲む皇魔というのは、彼が最初に退治したドゥブヘクフは例外としても、基本的に人間を襲ってくることはないという。遙か海の底に棲んでいるからというのもあるし、陸上においてもそうだが、皇魔の多くは、人間に関わりたくて関わっているわけではない。視界に入ってしまうから、攻撃してしまうだけのことであり、皇魔からすれば、関わらずに済むのであれば、自分たちから関わりに行く必要はないのだろう。
海の中、特に海底というのは人間にとって未知の世界だ。どれだけ帝国の海洋技術が発達しても、海中や海底は手つかずの状態が続いているという。海に生息する皇魔たちにとっては、ひとの手の入らない海中、海底は楽園そのものといっても過言ではないのだ。
故に、遠洋漁業における皇魔との遭遇確率というのは、村や都市の防壁外に繰り出して皇魔に出くわす確率よりも極めて低いらしい。
帝国各地の漁村が大した軍備もなく成立しているのは、そういう背景がある。
だが、彼がマグウの浜辺に打ち上げられた当時、海の様子がおかしく、海に棲む皇魔が海上に姿を見せることが多くなったのだという。そうなれば、分厚い装甲に護られた大型船はともかくとして、小型船を繰り出すことは難しくなる。皇魔は、どこであっても人類の天敵なのだ。
マグウの村民が、巨大皇魔さえ一蹴するラーゼンの活躍に期待するのも、自然の成り行きだったのだ。
そして、そんなラーゼン人気に便乗しようと“雲の門”の連中が画策するのも必然だったし、利用されて然るべきだと、彼も考えていた。一宿一飯の恩は、そのころには膨大なものとなっていたのだ。
浜辺に漂着してからというもの、ラーゼンは、腹が減って仕方がなかった。元々食欲の旺盛なほうではあるのだが、それにしたって異様なほどの食物を腹に収めなければならないくらいの空腹感に苛まれるのだから、食料を際限なく恵んでくれる義侠心溢れる“雲の門”の連中には頭が上がらなかった。彼らは、先にもいったように侠気溢れる連中であり、困っている人間があれば、どのような出自であれ放っておけないのだ。
ドルン=フォングだって、最初は浜辺に打ち上げられた死体の中に生存者はいないかと走り回っていたのだ。生存者が絶望的だと理解したからこそ、亡骸を墓地に運び、埋葬するために動き回り、その埋葬費用代わりに身につけているものを剥ぎ取っていたに過ぎない。義侠心溢れる彼らだが、だからこそ金がいるといっていい。実際、ドルンたちが死体から剥ぎ取った金品は、ほとんどが組織の運営費用に回されている。そして、浜辺に打ち上げられた死体は、漁村の共同墓地に手厚く埋葬されていた。
ともかくも、そんな義侠心に溢れる組織の食客となった手前、ラーゼンも彼らの侠気に従って行動することが増えた。
主な行動とは、小型船が皇魔に襲われた場合の救援であり、船着き場から皇魔の出現を警戒することが日課のようになっていた。船着き場から海上に出現した皇魔を撃退すること、数え切れない。そのたびに村人たちから大いに感謝されたが、その感謝の数だけ“雲の門”の名声は高まった。とはいえ、マグウのひとびとは“雲の門”が義侠心に溢れる頼もしい連中だということは知っていて、互いに助け合って生きていたこともあり、その名声の高まりはマグウの村の外へと広まっていった。
村の外から怪物退治の依頼が届いたのは、そんなある日のことだ。“雲の門”本拠に持ち込まれたのは、北西の街イミシャダかの救援要請であり、皇魔とも異なる怪物が近隣を荒らし回っているというものだった。ネミアは即決でラーゼンの派遣を決定。みずからも同行すると宣言し、幹部たちにも出撃命令を下した。
どうやらネミアは、いまこそ“雲の門”の再興の好機だと考えたらしい。
そのころには、ラーゼンとネミアはただならぬ関係になっており、ネミアが常々“雲の門”の勢力拡大を夢に見るだけでなく、現実的な物として考えていることを理解していた。そのために自分が最大限に利用されることも知っていたし、認めてもいる。ラーゼンは、恩返しもあったが、ネミアを始めとする“雲の門”の連中が気に入ってしまっていた。軽薄なくせにどこか憎めないドルンら幹部たちも、子分たちも、皆、“雲の門”の活動理念を胸に刻んでいるような連中ばかりだ。マグウの村民たちが彼らに敬意をもって接している様を見てもいる。
気持ちのいい連中だった。
そんな連中とならば、生き残ってしまった結果の余生を上手く過ごせるのではないか。
少なくとも、ラーゼンはネミアたちと馬鹿をやっている間は、自分の命の有り様について深く考えずに済んだ。ドルンたちと馬鹿話をしたり、村人の喧嘩を仲裁したり、皇魔を退治したり、宴を開いたり、ネミアとむつみ合ったり。
そんな風にして過ごす日々を悪くはない。
そう考え、故に残りの人生をネミアのために捧げるのもいいかもしれない、と彼は考え、ネミアの思惑通り、イミシャダの怪物退治に向かった。




