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第二百二十八話 黒き誘惑

 ミリュウ=リバイエンがガンディア軍の接近に気づいたのは、召喚武装の力のおかげだった。正確には、召喚武装を手にすることによる副次的効果のおかげ、だが。

 意識は冴え渡り、思考は明瞭になる。五感が研ぎ澄まされ、通常よりも何倍もの空間を認識することができたのだ。しかし、召喚しても、本陣に籠もったままでは、敵部隊が目前に迫ってくるまでは気づけなかったに違いない。

 彼女は、召喚後、すぐさま扇型陣の最前列に向かったのだ。ミリュウだけではない。クルード=ファブルネイアも、ザイン=ヴリディアも、彼女と同様に部隊長を引き連れて最前列に赴いている。ただ、それぞれ位置が違った。ミリュウは最前列中央に進み、クルードは最前列の左端、ザインは右端に布陣した。そうすることで、一箇所に集まるよりも広範囲を策敵することができるからだ。クルードの提案だった。

 ミリュウの視野に飛び込んできたのは、こちらに殺到してくる騎馬隊だった。遙か前方。接触までの猶予は短い。彼女はすぐさま部隊長らに状況を伝えると、対応は彼らに任せた。迫り来る敵部隊は数百人の騎馬隊だけだ。武装召喚師の出る幕があるのかどうかは不明だった。

 部隊長たちは、盾兵の後方に控えさせていた弓兵を前面に展開させた。槍兵にも弓を持たせた。何百人もの弓兵が列を成すさまは壮観ではあった。夜間、弓は有効とはいえない。視界は狭まり、遠方の目標を狙うのも難しい。だが、敵集団に対してはでたらめに射るだけでも効果的だろう。特に、敵騎馬隊はこちらの行動に気づいているはずもないのだ。

 ミリュウは、弓兵部隊の後ろで、接触のときを待った。馬蹄が、彼女の耳朶を震わせる。鼓膜だけではない。心を高揚させ、血を沸き立たせる。戦いのときが近づいてくる。彼女の人生を破壊した殺戮とは似て非なる戦闘が、いまにも始まろうとしている。

 彼女の目は、敵騎馬隊の甲冑の輝きを捕捉している。月光を反射して輝く鎧の群れ。奇襲ではない。奇襲ならば、もっと上手く隠したはずだ。そして、まっすぐ突っ込んでくるようなこともなかったはずだ。正面からぶつかってくるには少ない人数だったが、なんらかの思惑があるのだろう。まさか、たった数百人の騎馬隊で撃破できると考えているわけもない。

(黒き矛とやらを信奉しているのなら、話は別よね)

 ミリュウは、目を細めた。馬蹄は次第に大きくなる、敵騎馬隊の姿も、彼女の視界に明確になってくる。

 黒き矛は、ガンディア救国の英雄だという。黒き矛の使い手セツナ=カミヤの存在があって、はじめてガンディアは立ち直ったのだという。立ち直り、躍進を始めたのだという。そういう断片的な情報からは、黒き矛の実態は掴めないが、黒き矛の武装召喚師との戦いは楽しめるに違いないと期待させてはくれた。

(おかしな話よね)

 彼女は胸中で苦笑する。終わることなく繰り返される戦いの日々に嫌気が差し、身も心も疲れ果てていたはずだ。闘争を望んでなどいなかったはずなのだ。地上に出て、陽の光を浴びて、幸せを感じた。生きている実感を覚えた。もう、殺戮の日々には戻りたくはないと心から思った。だが、ミリュウたちが地上に出ることができたのは、ミレルバス=ライバーンに戦力として期待されたからに他ならない。それ以外の理由などはないのだ。戦い、結果を出さなければ、ミリュウたちの居場所はなくなる。

 居場所。

 そんなもののために、忌むべき戦場に身を投じているのか。

 彼女は頭を振る。そうではない。きっと違うはずだ。いまなら、居場所くらい自分たちの力で掴み取ることができるはずだ。たとえザルワーンから見放されたとしても、武装召喚師として生きていくことくらいできるはずだ。ミリュウはひとりではない。クルードとザインがいる。ふたりが共にいてくれるのなら、どんな苦境にだって立ち向かっていけるだろう。

 しかし、ミリュウは、目の前の戦いに血が騒ぐのを抑えられなかった。動悸がしている。熱に浮かされたように、意識が燃えている。血液が沸騰しているかのような錯覚の中で、彼女は敵部隊の接近を見ていた。馬の足が地面を抉るように蹴り、土煙を上げる。轟く馬蹄。ようやく、弓兵たちも気づいたようだ。兵士たちが一斉に弓を構えた。だが、彼らの目は、まだ敵を捉えていないようだ。ミリュウは見ている。先頭の馬は二人乗りだった。ひとりは馬を操ることに専念しており、もうひとりは、騎手の後ろに立っている。手には、漆黒の長物。

(黒き矛!)

 彼女の心音が高鳴ったのと、先頭の馬が回頭するのはほぼ同時だった。先頭の一頭のみが進路を変えたのだ。瞬間、黒き矛を手にした敵が、馬上から消えた。いや、消えたのではない。馬から飛び降りたのだ。そして、ミリュウがそれを認識した時には、黒き矛は弓兵隊へと殺到していた。断末魔の悲鳴が上がり、血煙が立ち込めた。一瞬の出来事だった。

 ミリュウは呆気に取られ、周囲は一気に騒然となった。

「敵襲! 敵襲!」

「射て射て射て!」

「迎撃せよ!」

 部隊長たちの叫び声が響く中、敵騎馬隊が怒涛のように突っ込んでくる。前列の弓兵は、矢を射ろうにも、部隊を蹂躙する黒き矛のせいでそれもままならない。後方から無数の矢が飛んでいったが、狙いもつけていない曲射は牽制にしかならない。敵騎馬隊は、ミリュウの目の前の弓兵隊を蹴散らすと、未練も見せず背を向けた。

 ミリュウは、為す術もなく半壊した弓兵隊の死体には目もくれず、血しぶきの中で矛を振り回す武装召喚師を凝視していた。漆黒の鎧を纏い、黒き矛を手にしたそれは、戦場に現れる死神なのかもしれない。一切の躊躇も逡巡もなく弓兵を斬り殺し、突き殺す。黒き矛の切っ先は鎧兜を紙切れのように切り裂き、人体を瞬く間に肉片へと変えていく。抵抗などに意味はない。腕で急所を庇ったところで、腕ごと急所を貫かれ、絶命するだけだ。だれもかれもが死んでいく。

 彼の戦いはむしろ優雅であり、流麗ですらあった。

 ミリュウは、黒き矛の戦いぶりに見惚れてしまっている自分に気づいていた。しかし、どうすることもできない。凶悪な力によって蹂躙されていく兵士たちの哀れで無残な姿を記憶に留めることしかできないのだ。対抗策はあるにはあるが、いまは、その殺戮を見届けたかった。

「敵は黒き矛だ! 包囲し覆滅せよ!」

 身動きひとつしないミリュウの横を、背後に控えていた盾兵たちが進んでいく。みずから殺されに行こうとする彼らを止める手立てはない。

 それに、部隊長の命令は、必ずしも間違いではないのだ。圧倒的物量で押し包むことができれば、たとえ黒き矛とて無事ではすまないだろう。彼も人間だ。人間である以上、疲労は溜まる。そこを突けば勝てる。だが、それだけの物量を用意することができるのかどうか。ミリュウたちの軍勢のすべてを注ぎ込んでも、疲弊させきることができるのかもわからない。黒き矛の武装召喚師の体力が並外れて多かった場合、二千人程度では封殺できそうもない。既に百人以上の弓兵が殺されている。

 ミリュウが見惚れている間に、それだけの犠牲が出ている。このまま放っておけば、黒き矛による被害は増えるばかりだ。盾兵も、殺されるだろう。動かなくてはならない。この状況で対処できるのは、自分たち武装召喚師だけだ。

 そう思ったとき、閃光がミリュウの視界を切り裂いた。左方から飛んできた光の帯は、彼女の目の前に着弾すると、声を発した。

「ミリュウ無事か!」

 槍を手にしたクルードが、こちらを振り返っている。召喚武装の力を応用した高速移動ですっ飛んできたのだ。前方、うなり声が響いた。金属同士の激突音が鼓膜を刺激する。見ると、ザインが黒き矛に襲いかかっていた。ザインの目にも留まらぬ連続攻撃に、さすがの黒き矛も攻勢に転じられぬまま後退していく。騎馬兵がひとり、黒き矛の背後に迫っていた。

 黒き矛は、ザインの攻撃を凌ぎきると、一瞬の隙を衝いてザインを蹴り飛ばした。

「セツナ様!」

 騎馬兵の叫び声に黒き矛が振り返る。クルードが黒き矛に飛びかかった。クルードの全身が光に包まれ、光弾となって黒き矛に殺到する。だが、黒き矛にはそれが見えていたようだった。振り向き様の矛の一閃でクルードを打ち払うと、こちらを一瞥してきた。兜の下の紅い眼が、ミリュウを見たような気がした。血のように赤い瞳。ぞくりとした。が、ミリュウは、今度こそ飛び出している。地を蹴り、黒き矛に躍りかかろうとする。衝動の赴くままに、戦いに興じようとしていた。しかし、黒き矛は既に馬上にあり、弓兵隊に一撃を加えたのち後方に逃れていた騎馬隊とともに、陣地から離れていく。

「逃がさん!」

 クルードが槍を掲げると、槍の切っ先からまばゆい光条が迸った。光は、闇を切り裂きながら黒き矛へと突き進む。馬上、黒き矛がこちらを振り向き、横薙ぎの一閃で光条を断ち切った。ふたつに割かれた光は、左右に流れ、地面に落ちて草むらを焼いた。いくつかの矢が、クルードの攻撃に続いたが、どれもこれも掠りもしなかった。

 黒き矛を乗せた馬は、悠々と去っていく。

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