第二千二百八十五話 マリアの戦い(四)
「なにか、わかったようだが……それは本当に白化症の治療法たりうるのか?」
アズマリアがマリアたちの席に歩み寄ってきたのは、マリアとアマラが盛大に抱き合い、喜び合っていたからだろうし、ひとりで調査するのも馬鹿らしくなったからというのもあるのかもしれない。
「はっきりうんとはいえないよ。けど、アマラが見つけてくれたこの情報は、大きな可能性を秘めているのは紛れもない事実さ」
「ふふん、うちの勝ちじゃな!」
アマラがマリアの膝の上で胸を張ると、魔人は、むしろ嬉しそうな表情を返して精霊を困惑させた。
「それならそれでなんの問題もないさ。それで、白化症がこの世からなくなるというのなら、世界は、新たな段階に上ることになりうる。白化症とは、神次元からの侵略にほかならない。白化症の治療法の確立とはつまり、神次元からの侵略への抵抗であり、人間の、神からの自立をも促すものになりうる」
アズマリアの言葉は、マリアをはっとさせた。アズマリアの金色の瞳が、じっとこちらを見ている。そして、穏やかに微笑んでいた。
「マリア。君の手には、この世界の命運がかかっているといってもいいのだよ」
「はっ……あたしひとりの手にかい? 冗談きついね」
「冗談なものか。それに君はひとりではあるまい」
「……ああ、そうだね」
色とりどりの花に包まれた童女がこちらを仰ぎ、にっこりとしている。その表情だけで、マリアはいくらでも戦える気がした。
「わたしもできる限りの手伝いはしよう。それで、まずはどこへ行く。その情報が示す場所はどこだ?」
「それが難問なんだよ」
マリアは、文字情報が羅列された光の板に視線を戻し、眉根を寄せた。苦い顔になるのは百も承知だが、仕方のないことだ。事実、それは難問も難問なのだ。もしかすると、ここで得られた情報が無駄になるかもしれない。
「難問? どういうことだ」
「ここに書いてあることはあんたにも読めるだろうけどさ、当時栄えていたひとつの国が神様の怒りを買ったって話なんだけどね」
マリアは、光の板に映し出された古代文字を目で追いながら、アズマリアがすぐ背後に立ち、覗き込んでくるのを察した。口で説明されるより、目で見たほうが早いという判断だろうし、実際、そのほうがマリアとしても格段に楽ではある。
アズマリアいわく霊子演算機と呼ばれる情報端末によって引き出されたのは、この古代図書館が建造された時代から数百年昔の出来事として、記載されているものだ。
「月の神の裁き……か」
アズマリアが、記事の見出しを読み上げて、低く唸った。
記事の内容はこうだ。
去る水帝月、アガシアン大陸南部ミズトロアにて、南北ミズトロアを震え上がらせる大事件が起きた。南部ミズトロアの都市アルガノンが、一夜にして忽然として消滅したというのだ。アルガノンは南部ミズトロアでも大きな都市であったこともあり、アルガノンの消滅は、南部ミズトロアに大打撃を与えることは間違いない。
問題は、なぜ享楽の都市と謳われたアルガノンが忽然と消滅したのか、そのとき、アルガノンになにが起こったのか、ということであり、なぜ、アルガノンの都市が消滅しながらも生き残った住民がいるのか、ということだろう。
そうなのだ。アルガノン消滅事件は、アルガノン全市民を巻き添えにしたものではなく、少数の生存者をなにもなくなった荒野に置き去りにしていったことがもっとも奇異なのだ。アルガノンの全住民ともども根こそぎ消滅したのであれば、敵国の攻撃をまず疑うだろう。しかし、少数の生存者は、その可能性を根底から否定した。
生存者は百人ほどの民間人であり、彼らは口々に月神の裁きであり、アルガノンが滅びたのは致し方のないことだった、と、譫言のように繰り返しているというのだ。
月神とは、南北ミズトロアで最大の勢力を誇る魔人属の間で広く信仰される、月と夜を司る神ワレリアのことだ。
しかし、アルガノンもまた、魔人属がもっとも多く住む都市であり、ワレリアを祭神とする大神殿も存在することから、アルガノンがワレリアの怒りに触れ、滅ぼされるなどとは考えにくく、生存者の発言には謎が深まるばかりだ。
生存者の健康状態は極めて良好であり、精神状態にこそ問題が見受けられるものの、それらはアルガノン消滅を目の当たりにしたことの心的外傷や後遺症であると考えられており、精神状態が落ち着くまでは、正確な情報を聞き出せないだろう――。
「マリア。君の考えは、こうだな。このアルガノン消滅事件が神の手によるものと断定し、その生存者から白化症と同様の症状が確認されていないことから、生存者には、白化症……つまり神威への抵抗力があるのではないか。生存者の子孫を探し出せば、白化症の治療法の手がかりとなるかもしれない」
「まったくもってその通りだよ。さすがは紅き魔人だね」
マリアがアズマリアを賞賛すると、両頬が引っ張られた。アマラだ。
「む! うちが見つけたのじゃぞ!」
「わかってるよ、アマラ。全部あんたのおかげさ」
「マリアが満足ならうちもそれで満足なのじゃ」
「……まったく良くわからん奴だ。が、今回ばかりは精霊のお手柄だな。よくもまあ、このような記事を見つけ出したものだ。おそらくは当時の新聞記事を情報化して保存してあったのだろうが……」
「ふふん。白化症のなんたるかについては、マリクしゃまから散々聞いておるのじゃ。治療法の手がかりを探すなど、容易いことじゃー!」
アマラはマリアの膝の上でふんぞり返ろうとして尻餅をついた。そのまま落ちかけるのをマリアが両腕で抱き留めると、彼女は嬉しそうにはにかむ。伸びきった蔓は、いつの間にか元に戻っていて、冠の花の数だけが増大してしまっている。つまり、冠ではなく、花の帽子を被っているような状態だ。
「マリクしゃま?」
「マリクしゃまを知らぬとは、さてはおぬし、訳知り顔のくせに世の中のことをなにも知らぬな?」
「ああ、マリク神のことか」
「むむむ!」
「そういえば、最初はリョハンにいたのだったな、君らは」
「ああ、そうさ。そこでマリク様に白化症の話を聞いたのが、最初だよ。治療法の存在しない不治の病だって聞いたけど、医者としては黙ってられないからね。あの当時から、懸命に方法を探していたんだ。でも、なにもできなかった」
リョハンの守護神マリクは、強大な結界でリョハンを覆った。それによって最終戦争を生き残り、“大破壊”をも乗り越えたリョハンだったが、“大破壊”後に蔓延した神威のすべてを受け流すことはできなかったのだ。何人もの人間が神威に毒され、白化症を発症し、リョハンは、独立以来最大の混乱に包まれた。白化症を発症した人間は、苦しみのたうち回りながらやがて訪れる変容のときを待つしかないのだ。失意と絶望に呑まれ、発狂するものも後を絶たなかった。
マリアは、医師としてなんとかしなければならないと想い、治療法を探した。患者から頼まれて、患者を被験者として様々な研究、実験を行った。白化症患者の死体を解剖したことだって、数え切れない。だが、なんの解決策も見つからなかった。マリク神は、諦めろとはいわなかったが、暗にそういっていた。人間の手に負えることではないのだ、と。
マリアは諦めたくなどなかった。諦めれば、マリアが尊敬するあのひとに合わせる顔がなくなるということもあったし、医師としての誇りと矜持が彼女に覚悟を強いた。
なんとしてでも白化症の治療法を確立すること。
それがマリアの人生の目標となった。
そんなある日、突如として現れたのがアマラだ。アマラは、研究中のマリアの熱心さが気にかかったらしく、手伝うつもりで現れたのが最初だったようだ。もっとも、マリアからすれば、なにもしらないアマラの参戦など邪魔以外のなにものでもなかったし、子供の相手をしている余裕もなく、当初は怒り狂ったものだ。
いまでこそ、アマラの天性の愛くるしさにぞっこんといっていいくらい惚れ込んでいるものの、あの当時は、アマラの手助けが入る度に怒号を飛ばしていた。
「よくもまあ、諦めなかったものだ。あそこには本物の神様がいただろうに」
「マリク様からはいろいろといわれたけどね、それで諦めるようじゃ《獅子の尾》専属医師の名が廃るってもんさ」
「……《獅子の尾》、か」
アズマリアが目を細めたのは、彼女にとってもなにか思い出深い名前だったからなのだろうが。
「懐かしい名だ」
「諦めずにいて良かったよ。諦めていたら、セツナに合わせる顔がなかった」
あの日、ベノアで再会したときのことを思い出して、胸が締め付けられる想いがした。セツナに対しては、マリアにも様々な想いがある。それは恋愛の情とは少し違うものだ。だが、極めて特別で大切な想いでもあり、故に彼女は、彼のことを思い出すと甘い気持ちになるのだ。
ふとそのとき、アマラがむすっとしたのは、そういうマリアの想いを感じ取ったからなのだろう。精霊童女には嫉妬深いところがある。
「……話を戻すが、問題というのは、その子孫がどこにいるかわからないということだな?」
「そうだよ。南部ミズトロアがどこにあるのかもわからないし、そもそも、この記事が記録された時代といまじゃ世界の形そのものが変わってるんだろう? 探しようがない」
「記事が記録されたのは世界があの天球儀の形だったころだ。そして南北ミズトロアというのは、あの大陸のことで相違ない」
などとアズマリアが指差した大陸は、天球儀の回転にあわせてマリアの視界から隠れていった。
アスマリアは肩を竦めると、マリアを天球儀に近づくように促し、みずからもそちらへと向かった。
マリアは彼女に促されるまま、アマラを抱きかかえ、部屋の中心に輝く天球儀に歩み寄った。