第二千二百八十四話 マリアの戦い(三)
「先にもいったが、この端末および情報処理機構は、天人属が叡智を結集して作り上げたものであり、そこには数多の精霊の犠牲がある。天人属は、精霊を捕らえ、その力を命尽きるまで絞り出して利用した。これら機構の動力源が霊子と呼称されているのも、そのためだ」
アズマリアが端末の操作も諦めてこちらに向き直った。アマラが、マリアの膝の上で憤慨する。
「天人どもめ……うちの同胞になんということを」
「酷い話もあったもんだね……」
「見ての通り、この情報端末が動いているのは、霊子の供給機関が動いていることの証左だ。いや……おまえたち精霊がこの世に復権したことで、霊子を取り込み、再び動き出したのか」
アズマリアは、卓に備え付けられた金属板や球体を見やり、虚空に投影されている光の板に視線を移す。さらに広い室内全体を見回し、天井から降り注ぐ照明や、中央部に浮かぶ天球儀の幻像を見やったようだ。
「精霊とは元来万物に満ちた生命力そのものだ。大気中にも、水中にも、土中にも……おまえたち精霊は偏在し、この世を形成しているといっても過言ではない。姿は見えず、形もないがな」
「そうなんだね。じゃあ、アマラの存在はなんなんだい?」
「精霊の中には、大きな力を持つものがいる。高位精霊とも大精霊とも呼ばれるそれらは、ときに形を持ち、人前に姿を現し、啓示を与え、力を貸すという。それがアマラだ」
「うむ。まったくもってその通りなのじゃ」
「へえ……アマラってとてつもなくすごい存在だったんだね?」
「そういうことだ。一見、まったく想像できないだろうがな」
「どういうことじゃ!」
アズマリアの言い分にアマラが反論するのをマリアはただただ宥めた。アマラの反発もわからないではないが、アズマリアの意見もまったく理解できないわけではない。アマラは見たところ、草花の冠を被った童女なのだ。とても高位精霊、大精霊などと呼ばれる存在には見えない。精霊と名乗ってきたときだって、にわかには信じられなかったし、彼女が特別な存在だということを認識したのは、知り合ってからしばらくしてのことだった。
精霊の持つ不可思議な力を見せられなければ、いまも信じていなかったかもしれない。なぜならばアマラは、人間そっくりだからだ。
「精霊の復活がこの古代図書館の動力を復活させたのは間違いない。図書館全体に動力が行き渡り、ここの端末も動作していることがそれを証明している」
「それは聞いたよ。で、アマラになにをさせようってんだい?」
「天人属は、これら情報処理機構に大精霊を利用した。大精霊が出現する仕組みを解明し、出現させては捕獲し、散々に使い尽くしたのだ。大精霊をつぎつぎと分解し、さまざまな機材、機構に取り込んでいったのだ」
「なんという……なんということを……!」
アマラの震える体から伝わってくる深い怒りの感情には、マリアも同意せざるを得なかった。天人属なるものたちがどのような連中だったのか、その話だけでわかってくるような気がする。少なくとも、マリアとはまったく価値観、考え方の異なる連中であることは疑いようがない。
大精霊とはいわばアマラのようなものたちのことなのだ。こんな可愛らしく、害のない存在を、ただ愛おしく可憐なものたちにどうしてそのような仕打ちをすることができるのか、マリアにはまったく理解できなかった。ただ側にいて、愛でるだけで心が癒やされ、精神的な支えになるというのに。それだけで、明日への活力になるというのに。
分解し、機械に取り込むとはどういうことなのか。
「ここにある機材にも大精霊が取り込まれていることだろう」
「つまり、うちにどうせよというのじゃ!」
「同じ大精霊たるおまえならば、それらに働きかけることもできるのではないか、ということだよ」
「むう……?」
「わたしはわたしなりに情報の総当たりに取りかかるが、おまえはおまえで機材に取り込まれた大精霊に呼びかけ、情報の引き出しに協力してもらってほしい。そうすれば、わたしひとりがどうこうするよりも短時間で目当ての情報に行き当たることもできよう」
「ふむう……」
「どうだい? できそうかい?」
「できるできないではないのじゃ」
アマラは、マリアの膝の上から飛び降りると、胸を張った。小さな体がいつも以上に大きく見えたのも、彼女の強い意志の表れだろう。
「うちはマリアの役に立ちたいのじゃ」
「アマラ……」
「だから、なんとしてでもやってのけるのじゃ」
アマラの健気なまでの振る舞いに、マリアは感動せずにはいられなかったし、自分にできることはないかと考えずにもいられなかった。しかし、この古代図書館で彼女のできることといえば、古代文字で記された書物に当たる以外にほかになく、そういった書物はこの広間には見当たらないのだ。
自然、アズマリアとアマラの結果を待つ以外にはなくなる。
「なに、気にすることはない。マリア。君の役割は、ここでの情報収集ではないのだ。その後こそが、君の力が必要となる」
「そうじゃぞ。マリアはうちのことを見ていてくれればそれだけでいいのじゃ!」
アマラがこちらを見て、にっこりと笑った。その満面の笑みを見るだけで、マリアは自分の浅はかな考えを笑い飛ばしたくなった。アズマリアのいうとおりだ。ひとには得手不得手がある。不得意な分野に全力を注ぐなど、力配分を間違っているとしかいいようがない。得意な分野にこそ全力を発揮できるように考慮するのが、賢い人間のやり方なのだ。ここはアズマリアとアマラに任せ、マリアは自分にできることをすればいい。
すると、さっそくマリアの出番がきた。アマラが場所を移すための移動手段として、マリアの助けを求めたのだ。小さな体では遠く離れた別の端末まで移動するのも困難だ。アマラは体力が有り余っているはずだが、そこでマリアに甘えたのは、マリアに役割を与えようという配慮からだろう。マリアは、そんなアマラのいじらしさに微笑みながら彼女を抱きかかえ、別の端末まで移動した。
アマラを卓上に下ろすと、彼女は端末たる金属板にぺたぺたと触れた。
「確かに……同胞の気配は感じるがのう」
「どうしたんだい?」
「うちの呼びかけに応えてはくれぬのじゃ」
アマラは、金属板に触れたまま、頭を振った。
アズマリアは、天人属の所業をこう語った。捕らえた大精霊を分解し、機材に取り込んだ、と。つまり、形を成し、自我を得たものを再び自我を保てなくなるほどに分解したのではないか。だからこそ、アマラの呼びかけにも応じてくれないのではないか。マリアはそう思い至ったが、アマラの手前、言い出せなかった。ただでさえ天人属への怒りをたぎらせている彼女に、無神経なことはいえない。アマラは、感情豊かな精霊だ。怒りも哀しみも、何倍にも膨れあがらせる。故に彼女の怒りは留まることを知らなかったし、これ以上の刺激は、彼女を爆発させかねない。
感情を爆発させたアマラは、マリアでさえ手がつけられないのだ。
「じゃが……うむ、やりようはあったぞ」
アマラが、なにかコツを掴んだかのように告げた直後だった。金属板に光が走ったかと想うと、金属板上部に嵌められた球体に光が収束し、その上方の虚空に光が投射される。アズマリアが端末を動かしたときと同じ現象だ。虚空に投射された光が薄い板状に収束し、板の上に大きな文字が映し出される。古代文字だ。
「ディオンフルウ……天の脳……?」
その古代語がなにを意味するのかわからないまま、光の板に映し出された文字が消え、真っ白になった。すると、遠く離れた席のアズマリアが大声でいってくる。
「ディオンフルウ社は当時、霊子演算機を開発していた会社のひとつだ。つまり、その文字列は、ここの端末がディオンフルウ社の製品であることの証だな」
「へえ……」
「物知りじゃな」
「いま知った」
「なんじゃ」
どこかがっかりとしたようなアマラの反応に、くすりとする。
「これら情報端末を霊子演算機と呼ぶのもな。わたしとて、なんでも知っているわけではないということだ」
「なーんじゃ。あれだけ偉ぶりおってからに……たいしたことはないんじゃな」
「ああ。たいしたことはないよ。まったくな」
「む……」
アマラがバツの悪そうな顔で黙り込んだのは、せっかくアズマリアをからかう好機が訪れたと思いきや、彼女があまりにもあっさりと認め、しおらしくさえ感じられるほどだったからだろう。アマラは、強い相手には心底強く出るが、逆の場合は、どうしていいかわからなくなるらしい。そういうところが、マリアにはたまらなく愛おしく思えるのだが。
「……起動には成功したか。やはり、精霊には精霊が効果覿面らしい」
「うむ。任せよ。うちがおぬしより先にマリアの役に立ってみせるぞ」
「では、どちらが先にマリアの愛を得られるか、競争だな」
「むむっ! マリアはうちのものじゃ! 負けぬぞ!」
「ふっ……どうかな」
「なにを!」
アマラがアズマリアにいいように操られるのを見つめながら、マリアはなにもいわなかった。アズマリアが本気でいっているわけではないことくらい、だれの目にも明らかだが、それをいえばせっかくやる気をだしたアマラに水を差しかねない。アマラはいま、俄然やる気になっているのだから、放っておけばいいのだ。
マリアは、多少、アマラに悪いことをしている気分になりつつも、彼女が本気になって光の板と向き合っているのを見守った。アマラがなにをどうやって端末を操っているのかはわからないが、光の板には無数の文字列が浮かんでは消えていく様子が映し出されている。ふと見れば、アマラの全身が淡く光を発していた。精霊の力、というものだろうか。すると、幻想的な輝きを帯びた草花の冠から蔓が伸び始めた。マリアが驚いている間にも伸びる蔓の数は増え、伸び、所々から芽吹き、花を咲かせながらアマラを包み込んでいく。まさに草花の化身そのものとなっていくアマラだが、彼女自身は真剣に光の板とにらみ合っていて、声をかける隙もない。
光の板に表示される文字列が急速に変化し、形を変え、幾重にも展開していく様は、まるでなにかの儀式のようであり、マリアは、アマラが光の板に魅入られているのではないかと不安に想った。冠の蔓はアマラの全身を包み込むだけではものたらず、端末の設置された机をも侵蝕し始めている。光の板に古代語の文字列が表示される速度がますます上がっていく。もはやマリアの目には追えないくらいだった。と、そこで文字列の動きが止まる。
「マリアよ!」
「なっ、なんだい!?」
「これではないか!?」
アマラが花咲く人差し指で指し示した光の板には、古代文字がびっしりと表示されており、その文字列がなにを意味するのかを解読するのには、マリアでもっても多少の時間を要した。それだけ膨大な量の文字列を寸分の間違いなく訳するのは、簡単なことではない。
そして、その文字列の意味を理解したとき、彼女は、無意識にアマラを抱き寄せていた。「い、痛いのじゃ」
「あ、ああ、ごめんよ、アマラ。嬉しくて、つい、ね……」
「いいのじゃいいのじゃ、マリアが嬉しいのならうちも嬉しいのじゃ!」
様々な花を生やした状態で満面の笑みを浮かべるアマラは、まさに物語にでも登場するような花の妖精そのものであり、マリアは溢れ出る愛おしさのあまり、もう一度強く抱きしめた。