第二千二百八十話 空中都市の謎(一)
ルウファは、マリク神にいわれるまま、空中都をさまよい歩いていた。
空中都市リョハンの最高指導者といえば、戦女神ファリア=アスラリアだ。戦女神が不在のいま、その代行たるミリア=アスラリアが最高指導者の立場にある。戦女神の親衛隊ともいうべき六大天侍のひとりであるルウファに命令権を持つのは、本来ならば最高指導者だけであるのだが、守護神ともなれば話は別だ。
守護神は、最高指導者たる戦女神の上に君臨する存在なのだ。
守護神マリクがいなければリョハンの秩序と平穏は成り立たないのだから、彼の立場が戦女神より格上となるのは当然のことだ。それは、戦女神のみならず、六大天侍、御山会議、護峰侍団、リョハン市民のいずれもが認めることであったし、だれもが守護神マリクをリョハンにおける絶対者の如く崇め、敬っている。
しかしながら、リョハンがその秩序を維持できているのは、厳密に言えば戦女神の存在あってこそのものであり、守護神マリクだけでは、リョハン市民の心を落ち着かせることは極めて難しい。いまでこそ、守護神マリクを敬うものも増えてきたものの、“大破壊”直後は、戦女神の不在を嘆く声が多く、リョハンは混乱に包まれたものだ。マリク自身、自分では戦女神の代わりは務まらないと認め、故にファリアに戦女神の継承を暗に求めた。
マリク神にできることは、リョハンを守護結界で覆い、外敵からこの山を護ることくらいなのだ。それ以上を求めてはいけなかったし、それだけでも十分過ぎるくらい、この混沌とした時代というのは、恐ろしいものだ。
ルウファは、マリク神の勅命という最優先指令を受けて、行動を開始していた。当然のように通信器を手にし、度々、マリク神と連絡を取り合い、ニュウ=ディーに茶々を入れられながら空中都を飛び回る。
シルフィードフェザーの翼を広げ、風を切って飛んでいると、空中都の大人や子供が声を上げ、手を振ってくる。だれもが、いまやルウファの名も姿も知ってくれている。市民がそうして声をかけてくれるのは、堅物ばかりの六大天侍の中でもっとも親しみやすいというのも、大いに関係あるだろう。六大天侍筆頭のグロリア=オウレリアは無論のこと、厳格なシヴィル=ソードウィンや無口なカート=タリスマ、なにを考えているかわからないアスラ=ビューネルなどには声をかけづらいのが実情だ。ニュウは、基本的に守護神つきということもあり、市民の前に姿を現すことそのものが少なくなっていた。
その点、自分ほど声をかけやすい六大天侍はいないだろう、と彼は自負している。グロリアのような完璧主義者でもなければ、シヴィルのような厳粛さもなく、カートのように言葉少なでもない。ニュウのように人前に姿を見せないこともなければ、アスラのような正体不明さもない。明瞭快活で、常に人前に姿を見せているような六大天侍が人気にならないわけがなかった。
実際のところ、ルウファは、努めて市民との交流をはかっていた。六大天侍は、その立場上、気位の高い存在だと想われがちだ。が、実際のところはそうではなく、市民と同じリョハンに住むひとりの人間なのだということを知ってもらわなければならない、と彼は考えていた。でなければ、いつかリョハンになんらかの問題が生じたとき、六大天侍と市民の連携が取りづらくなるのではないか。
いまのうちから、交流を図り、六大天侍も結局のところただの人間に過ぎないのだということを知らしめておくべきなのだ。
六大天侍は、戦女神の守護天使であり、近衛であり、先触れだ。戦女神という絶対的な地位にある人物の近習ということもあり、市民にとっては雲上人のような印象を抱かれやすい。が、それは大いなる間違いなのだ。六大天侍の元となった四大天侍の誕生経緯からして、戦女神の権威を高めるためのものではなかった。戦女神の身辺警護を護峰侍団とは独立した存在に任せることが始まりであり、いつからか、権威的な存在になってしまった。
そのことを是正するのがルウファの役割といってもよかった。
それは、戦女神ファリアが求めたことであり、もっといえば先代戦女神ファリア=バルディッシュの遺言にも等しかった。ファリア=バルディッシュは、戦女神を必要としないリョハンを作るため、人間宣言を行った。それはつまるところ、四大天侍の特別性の否定であり、権威の否定でもあったのだ。しかし、結局リョハンには戦女神が必要不可欠であり、戦女神といえば四大天侍の存在もなくてはならないものだった。故に七大天侍が結成された、という経緯がある。
七大天侍は、リョハンの混乱を収めるために権威的にならざるを得なかったものの、その権威的、権力的な立場に甘んじていていいわけがない、と、ルウファは考え、ファリアの意見を聞いた。ファリアもルウファの考えに同調を示し、七大天侍と市民の融和を計るべきである、との意向を示した。
それ以来、ルウファは積極的に市民と交流をはかり、いまのように市民に愛される六大天侍となりつつあるのだ。
ルウファは、市民の声に手を振って応えながら、マリク神に示された場所に向かって飛んでいく。
リョハンは、三つの都市空間からなる三層構造の大都市だ。リョフ山という世界最高峰の峻険の各所に存在する都市空間は、山麓に抱かれる山門街、リョフ山中腹辺りの洞窟内部に作られた山間市、そして山頂に築かれた遺跡群をそのまま居住区として利用している空中都の三カ所であり、山間市、山門街と比べると、空中都の異質さは凄まじいといえた。
なにが異質かといえば、まず、都市全体が古代遺跡群のような有り様なのだ。古代の風を残す建物群はいずれも多少人の手が入っているものの、遙か遠き過去、栄華を極めたなにがしかの文明に想いを馳せさせる。守護神の座たる監視塔も、その眼下に並び立つ様々な建物も、ほとんどなにもかもが遺跡そのものを再利用しているに過ぎない。そして、その文明がどういったものだったのかという記録が一切残っておらず、リョハンのひとびとも、なぜここに住むようになったのかさえ記録していないという。
いつからかこの遺跡群を住居とするようになり、地上とのやり取りのために山間市、山門街が作られていったという話は受け継がれているようだが、なぜ住むようになったのかは不明なのだ。リョハンのひとびとこそが遺跡の文明人の末裔なのかもしれないが、だとすれば、そのことにまつわる話のひとつやふたつ伝わっていてもおかしくはないはずだ。
しかし、この遺跡群に関する話はなにひとつ残っておらず、御山会議の議員たちに聞いても頭を抱えるばかりだった。空中都の歴史学者、考古学者さえ、この遺跡群がなんであるのかわかっていない。埋葬された文明の一種、と考えていいようだが、実際のところ埋葬されてもいないのだから、なんとも言いがたい話だ。
ルウファが向かっているのは、そんな謎ばかりの遺跡群の一角であり、普段は人気のない都市の外れも外れ、北部外周の監視塔だった。監視塔は、空中都の中央に最大のものが一基あるが、空中都の外周部の複数箇所にも小さいものがいくつも立っているのだ。それは恐らく、この遺跡都市が外敵から身を守るために必要不可欠な代物だったのだろうが、それについても疑問の残るところだ。
この空中都のどこから外敵が攻め込んでくるというのか。
山門街ならば、わかる。地上にあり、リョフ山の周囲には様々な都市が存在する。遙か太古から、敵対勢力が存在したとして、なんら不思議ではない。山門街が巨大な門と城壁に囲われているのも、そのためだ。しかし、空中都に外敵が押し寄せてくる可能性など、万に一つもあるだろうか。
皇魔を警戒してのものではないことは、明らかだ。なぜならば、空中都の監視塔ができたのは、聖皇による皇魔の召喚以前のことだからだ。そして、召喚以降に作られたのだとして、皇魔がこのような高度まで攻め込んでくることはない。そんな事実があれば、数多くの城壁都市が壊滅的な被害に遭っていることだろう。皇魔は、城壁に囲われた都市を攻撃しないのだ。できないのかもしれない。
「監視塔って、なんの目的であるんでしょうね?」
『中央のは、市内の監視目的でしょうけど、そこらへんのはよくわからないわね』
『竜属と戦っていたわけでもないだろうしね』
確かにそれならば、外周部に監視塔が立ち並んでいるのもわからないではない。が、マリク神が否定しているように、そんなことはありえないともいえる。人間が竜に戦いを挑んで敵うわけがないのだ。監視塔を築き上げ、警戒したところで、遠距離からの魔法攻撃で容易く制圧されることだろう。そんな光景が容易に想像できるからこそ、竜属対策ではないことは明白だ。たとえ敵わなくとも挑んだというのであれば、空中都そのものが滅ぼされていることだろう。
そも、リョハンが竜属と敵対したのであれば、蒼衣の狂王ラムレスとその眷属に滅ぼされていたとしてもおかしくはない。ラムレスはリョハンに対して極めて協力的だったが、それは彼が育てた人間の娘ユフィーリアとファリアが親友といってもいい関係だったからにほかならず、仮にユフィーリアがいなければ、リョハンとラムレスとその眷属の関係は、決して良いものではなかっただろう。
竜属と人間が敵対する可能性は、皆無ではない。が、そうした国や都市が現在も無傷で残っているとは考えにくい。つまるところ、マリクのいうように竜属の接近を警戒するための監視塔などではないということだ。
「じゃあ、なんなんでしょうね?」
『それを確かめるのが今回の任務じゃないんだけど』
『そうよ、ルウファ。あなたは、マリク様の仰る通りきりきり動いて、目的の場所を探し出すのが役割なんだから』
「ええ、まあ、そのことは否定しませんが」
ルウファは通信器から聞こえてくる神とその愛人の声に背を押されるようにして、監視塔に向かった。
空中都外周の監視塔はすべて護峰侍団の管理下にあるが、監視員が常駐しているわけではない。空中都の居住区を監視するには、あまりに遠く離れすぎているというのが大きな理由であり、外部を警戒したところで意味がないということもある。そんな無意味な場所に割くような人員は、護峰侍団にはいないのだ。
そのため、ルウファが監視塔の開け放たれたままの扉を潜り抜けても、だれも見とがめることはなかった。たとえ巡回中の警邏隊に見つかったとしても、彼の立場上、なんの問題もない。ましてや守護神の勅命によって動いているのだ。なにをおそれることがあろう。彼は、正々堂々正面から胸を張って、大きな石塔の一階へと足を踏み入れた。
監視塔一階は、暗く、彼は携帯用の魔晶灯を取り出し、明かりを点けた。魔晶灯の冷ややかな光が小さな空間を照らしだし、その突き当たりから最上階へ通じる階段が伸びていることと、マリクからの情報通り、床に真四角の切れ目があることがわかる。
「ありましたよ、真四角の切れ目」
『それが蓋の役割をしているはずだよ。退けてみて欲しい』
ルウファは、マリクに促されるまま、右手を翳した。シルフィードフェザーの能力によって大気を練り上げ、真四角の切れ目からその下部へと大気を流し込み、押し上げる。すると、大した抵抗もなく、真四角の石版が浮き上がってきた。
「軽っ」
『まだ子供だったファリアが動かせたんだ。軽いはずだよ』
『それって……』
『ああ、先代のことだよ。先代の子供のころのこと』
マリクの語り口は、遙か遠い過去を懐かしむものであり、穏やかで優しげなものだった。彼にとって先代戦女神ファリア=バルディッシュがどれほど重要な存在だったのか、多少なりとも窺い知れるような、そんな声色。
『まだ、リョハンにアズマリアが訪れるよりも前の話さ』
マリクは、思い出に浸るようにいった。
神の声は、監視塔の静寂をわずかに揺らし、石版の下に隠されていた階段が魔晶灯の光の中に浮かび上がっていた。