第二千二百七十八話 それぞれに想う(一)
ミリュウがセツナとふたりきりの時間を満喫することに対して、シーラやレムはどう想っているのかわからないが、ファリアは、なんら不満を抱かなかった。むしろ、こういうとき、彼女を支え、安定させることができるのはセツナを置いてほかにはなく、彼とふたりきりの時間を与えてやることくらいしかできない自分の不甲斐なさを情けなく想っているくらいだった。
ミリュウは、リヴァイアの“知”なるものを継承した。そうすることがセツナのためになると信じての行いであり、その結果、ミリュウは膨大な量の知識を得た。それによって彼女は召喚武装ラヴァーソウルを用いることで擬似的にも魔法を行使するという技術を身につけたのだが、同時に心身にかかる負担は増大した。
彼女が何気なく普段通り振る舞っているときですら、彼女の頭の中には過去からの残響が氾濫しているという。それも日に日に大きくなっていて、いつかは正常でいられなくなるかもしれないという不安が常に付きまとっているのだ。リヴァイアの“知”の継承者は、代々、自分を実の子に殺させることで、その苦しみから解放されてきたのだと、いう。
リヴァイアの“知”の継承者は、本来であれば、“血”の継承者でもある。リヴァイアの“血”は、不死の“血”であり、どれだけ切り刻もうとも決して死ぬことはなく、意識さえ保つことができれば無限に長く生き続けることも不可能ではないらしい。だが、レヴィア以来、だれひとりとしてそうしたものはいなかった。蓄積された記憶、過去からの声に絶えきれず、発狂してしまうからだ。だから、継承者は、死を望む。そして唯一の死の方法が、リヴァイアの血族に殺されることだというのだ。
そうして受け継がれてきた“血”は、しかし、ミリュウには受け継がれなかった。ミリュウが受け継いだのは、“知”――つまり、レヴィアからオリアスに至るまで積み重ねられたリヴァイアの知識のみなのだ。
それが余計に彼女を不安定にさせているのではないか。
先代継承者であるオリアス=リヴァイアは、ミリュウの実の父親だが、“血”を継承してから数十年は生きている。子を持ち、円満な家庭を築き上げていたというのだから、長らく正気を保っていたのは間違いない。最期の瞬間まで正気を保っていた可能性すらある。それは、“血”が“知”を制御するのに必要不可欠な要素だったからではないか、という疑いが、ファリアの中に生まれていた。確証はない。しかし、ミリュウの不安定さを想えば想うほど、そういう推論に至らざるを得ない。
だからといって、なにができるわけもないのが、口惜しい。
ファリアにとっても、ミリュウは大切な友人であり、仲間であり、家族のようなものだ。年上の妹、といってもいい。ときには、立場逆転することもあるが、往々にして彼女は妹のような立ち位置だ。故にファリアは年下の姉として振る舞うのだし、その関係性に満足していた。幸福な関係だ。互いに互いの不足を補い合えている。
だからこそ、ファリアはミリュウの力になりたいと想っていて、いまの無力な自分に腹立たしささえ覚えていた。
とはいえ、ただの人間であるファリアにミリュウの状態をどうにかすることなどできるはずもなく、セツナの存在が彼女の精神を安定させてくれることを信じる以外にはなかった。
その間、できることをするしかない。やるべきことをやるしかない。
そう想うと、彼女の足は、船内中層の訓練室に向かっていた。
訓練室は、船内中層の部屋の中でも特に広い間取りとなっている。船に乗っているのが武装召喚師ばかりなのだ。その訓練ともなれば、激しい戦闘行為を伴うものだろう、という女神の想像が訓練室を広く、強固なものとした。分厚い防護壁に覆われた訓練室では、オーロラストームを高出力でぶっ放しても問題がなく、ファリアたちは女神の気遣いに感謝する以外にはなかった。
おかげで、船での移動中も思い切り召喚武装を用いた特訓を行うことができる。本来ならばだだっ広い野外で行わなければならないような激しい訓練さえも、船内訓練室では可能だった。しかも、女神マユリがいてくれるおかげで、多少の怪我は考慮する必要がなかった。女神の手にかかれば、擦り傷切り傷のみならず、普通ならば致命傷といえる損傷さえも立ち所に回復してしまうからだ。
また、多少の傷ならばエリナを頼るという手もある。エリナのフォースフェザーには、癒やしの力もあるからだ。そして、その場合、エリナ自身の鍛錬にもなり、一石二鳥といえた。
召喚武装同士を激突させるような鍛錬ともなれば、多少の負傷はつきものだ。それがエリナやマユリ神がいてくれるおかげで気兼ねなく行えるのだから、ファリアたちにとって、方舟の旅は一切無駄にならなかった。むしろ、リョハンでの修行よりも効率的かもしれないくらいだ。
その上、方舟の訓練室には元々訓練用に搭載されていた機構があり、それを利用することで思い思いの訓練を行うこともできた。幻影投写機構と呼称される機構は、多様な攻撃手段を持つ人型の幻影を訓練室内に発生させ、その幻影と模擬戦を行うことができるというものだ。
呼び出せる幻影の種類は多種多様で、剣を使う幻影もあれば、弓使いの幻影もあり、槍、斧、棍棒など、武器の種類だけでも数多く存在する。しかも、幻影の武器を召喚武装型に設定することもでき、召喚武装型に設定すると、幻影の身体能力そのものが大幅に底上げされた。さらにいうと、幻影の能力水準は自在に設定することができ、最高水準に設定すると、ファリアが本気を出しても困難を極めるほどの幻影が出現した。
ただし、幻影投写機構は、全部で三台しかなく、三人以上が訓練室に入ると、取り合いになった。仲間内で傷つけ合うよりは幻影とやり合うほうが遙かにいい、とはだれしも想うことだ。だからといってマユリ神に複製できないかと頼んだところで、構造の複雑さと部材の不足から不可能だといわれる始末だ。
どうせならば撃沈したネア・ガンディアの方舟から幻影投写機構だけを奪い取れば良かった、と後々になって悔いているくらい、難しいことのようだ。とはいえ、いまのところ幻影投写機構の不足が問題を起こしているわけもなく、方舟戦があったとしても、無理に奪取を狙うつもりもないが。
訓練室には、ファリア以外にもシーラの姿があった。激しい訓練用の運動服に着替え、髪を一つに束ねたシーラの姿は、女のファリアから見ても魅力的に見える。いや、いうまでもなく魅力的な女性なのだが、運動性の高い格好をしているとより魅力が引き出されているというべきか。ともかくも、ハートオブビーストを手に幻影との訓練を開始したシーラの様子に、ファリアも負けてはいられないと遠く離れた幻影投写機構の前に向かった。
ファリアも、運動服に着替えている。これは、元々方舟内に積み込まれていたものであり、ネア・ガンディア軍の兵士たちがその訓練のために利用していたものだろうが、激しい運動にも耐え、伸縮性も抜群のこの運動服を利用しない手はないということで、廃棄せずに使っているのだ。敵軍のものであろうと、利用価値があるのであれば使えばいい。敵軍のものだからと頭ごなしに否定するような頑固さはいらないのだ。それならば、方舟も使うな、という話だ。
肌着の上に身に纏った特殊な繊維で縫われた運動服は、上下ともに素肌に密着し、筋肉を引き締める効果があった。そのため、多少の疲労などものともせず、効率的に訓練を行うことができる。その上、胸を締め付ける事ができるため、激しい運動にも苦痛を感じずに済むのだ。シーラも胸部をきつく締め付けている。
幻影投写機構は、訓練室の一部分を制圧しているといっていい。全部で三つの幻影投写機構の設置範囲を合わせると、訓練室の大半を埋め尽くしてしまうほどだ。これでもマユリ神の力で訓練室を拡大したというのだから、元々の訓練室は、幻影投写機構の数だけ用意されていたようだった。
幻影投写機構は、広い範囲内の床と天井に設置されたいくつもの機材の総称だ。操作用の機材は、腰の高さほどの円柱の上部にある球体で、そこに触れることで幻影投写機構そのものを起動することができる。球体に触れると、球体上部の虚空に映写光幕が投影される。投影された映像に触れることで、幻影投写機構で行う訓練の具体的な内容を設定することができるのだ。
設定できるのは、同時に出現する幻影の数、得物の種類、防具の有無、召喚武装の有無、思考水準、能力水準、訓練者の持ち点、訓練時間だ。持ち点というのは、幻影の攻撃を受けることによって減少する点数のことであり、この点数が尽きると強制的に訓練は終了となる。剣術の競技試合のようなものだ。制限時間に関しては、秒単位で設定でき、最大無制限にすることもできる。無制限にした場合(に限らずだが)、訓練者が操作球に触れることで強制終了することもできる。
幻影投写機構とは、自主訓練において至れり尽くせりの設備であり、使い慣れたいまとなってはなくてはならないものとなっていた。
とはいえ、幻影は所詮幻影であり、実戦には遠く及ばないのも間違いない事実だ。
特に、黒き矛を構えたセツナとの実戦形式の訓練ほど、興奮し緊張する訓練は、幻影では味わえないものなのだ。
だからこそ、ファリアを含めただれもが、セツナとの一対一の訓練を望む。
セツナに食らいつくことができるようになれば、今後の戦いでも足を引っ張ることはなくなるだろう。
(少なくとも)
ファリアは、幻影投写機構が周囲に映し出した二十体の幻影を見やりながら、呪文を唱えはじめた。
(強くはなれる)
そのとき、不意に雄叫びを上げたシーラを横目に見やる。
ハートオブビーストを猛然と振り抜き、幻影を両断したシーラの姿は、ザルワーンの戦場に現れた白毛九尾を思い起こさせた。
ファリアは、彼女ほどの役に立てなかった。
その事実が重くのしかかっている。