第二千二百七十五話 真相の先へ
ミリュウがいいたかったのは、つまり、聖皇の力というのはとんでもないものだということだ。
世界の形を変えるだけに留まらず、生物の有り様を変え、意識を変え、歴史を改竄し、記憶を作り替え、それ以降の歴史にさえ多大な影響を与えている。三界の竜王による創世回帰が起こらない世界を作り出したのは紛れもない事実であり、そのことは、三界の竜王自身が認めるところだと、ミリュウはいった。しかし、だからといって許せることではないから、三界の竜王は聖皇六将とともにミエンディアを討つべく行動を起こしたのだという。
そしてそれは正しい行いだったようだ。
神々の力を得、神々の支配者と化したミエンディアは、師である聖皇六将や三界の竜王の言葉にさえ耳を貸さなくなっていたというのだ。ミエンディアを放置すれば世界に悪影響を及ぼす。三界の竜王がミエンディア討滅に動き出すのは、必然的なことだった。
果たしてミエンディアは討たれた。
だが、ミエンディアの記憶が歴史の闇に葬られたのは、三界の竜王の成したことではない。聖皇自身が、世界に残るみずからの記憶を塗り替え、隠したのだ。そうすることで、将来、神々が己を復活させてくれることを知っていたのだろう。
聖皇は、世界に儀式を施した。
聖皇復活の儀式は、聖皇が召喚した神々にのみ伝えられていたのだろう。少なくとも、レヴィアは知らなかったらしい。
至高神ヴァシュタラ、ナリア、エベルの三柱の神は、それぞれ、ヴァシュタリア共同体、ザイオン帝国、神聖ディール王国を築き上げ、来たるべき復活のときを待ち続けた。儀式が成就し、聖皇が復活するそのときを。
神々は、帰還を熱望する。
本来在るべき世界への送還こそが、神々の唯一無二の望みであり、願いだ。それだけがこの世界における神々の行動原理といってもいい。そしてそれをなすことができるのは、神々を召喚した張本人である聖皇ミエンディアをおいてほかにはいなかった。故に神々は、聖皇の施した復活の儀式に望みを託した。そうするほかなかったからだ。そうしなければ、自分たちの世界に帰還することもかなわない。それでは、自分たちの存在意義すらも揺らぐ。
神々の切望は、セツナにも痛いほどわかったし、できるならば力になってやりたいとも思わないではなかった。神々は、ミエンディアが生きていれば、そのうち元の世界に還ることができたかもしれないのだ。それが、三界の竜王と聖皇六将によって打ち砕かれた。神々が絶望しかけたのは、想像に難くない。しかし、聖皇が蒔いた希望の種を知り、俄然やる気になったに違いなかった。
神々にとって五百年ほどの雌伏の時など、たいしたことではなかったかもしれない。
かくして最終戦争は起き、大陸に施された儀式がまさに発動しようとしたのが、五百三年十一月二十七日のガンディア本土決戦なのだろう。
しかし、聖皇は復活しなかった。
していれば世界は滅びていたのだから、滅びていない現状、復活が阻止されたのは間違いない。クオンたち、十三騎士たちの貴い犠牲によって、世界は護られたのだ。“大破壊”の発生までは防げなかったが、世界が滅び去るよりはましと思うほかない。おそらく、クオンだって“大破壊”を防ぎたかったはずだ。だが、そこまではできなかった。彼も痛恨の想いを抱いたに違いない。
もっとも、獅徒ヴィシュタルとなった彼が、そのような想いをいまもなお抱いているのかどうかは不明だが。
「……まあ、こんな話を突然されても困惑するのはわかるわ。あたしだって、いきなり頭の中にわき上がったときには、とうとう自分の頭が壊れたのかと思ったもの」
ミリュウがセツナの顔を覗き込むようにしながら、苦笑を浮かべた。疲労の表情は、記憶を探ることが彼女の精神的苦痛を呼び起こすものだからかもしれない。セツナは、そんな彼女の労をねぎらうように髪を撫でた。彼女のおかげで、いままで謎に包まれていたことがわかったのだ。
ミリュウは、長椅子に腰掛けるセツナの太ももを枕代わりにしている。ファリアに促されて椅子に腰を下ろしたはいいものの、疲労の余り、座っていることもできなくなった彼女に求められるまま、セツナが彼女の隣に座ったのが事の始まりだ。甘えているのだ。が、だれもそのことに文句をいわなかった。普段ならばレムかエリナ辺りがミリュウに噛みつくかからかうのだが、いまばかりは、そんな真似に出るものはいなかった。
ミリュウの体調が良くなさそうなことは、一目瞭然だ。らしくない長々とした解説が彼女に並々ならぬ負担を強いたのだ。
「でも、いろいろわかったわ。まさか大陸が聖皇が作りあげたものなんて、想像もしなかったもの」
「まったくだな。大陸統一以前の記録がないことは不思議だったけどよ」
「小国家群の歴史が突如として始まったのも、三大勢力が忽然と姿を現し始めたのも、すべては大陸史そのものが五百年前にいきなり始まったから、か」
「なんといいますか……理不尽なものでございますね」
「だからさ」
セツナは、顔を上げて、映写光幕を見やった。現在、映写光幕に映し出されているのは、世界の現状だ。聖皇ミエンディアが作り上げたひとつの大地は、“大破壊”によって徹底的に打ち砕かれ、またしてもばらばらになってしまった。世界がそうなったのは、理不尽な力の存在があってこそだろう。
聖皇の力、その降臨が世界を破壊し尽くした。そして、混沌の世を招いたのではないか。
「なんとかしなきゃならないんだろう」
聖皇の復活こそ、クオンたちが防いだ。
しかし、力の降臨までは防ぎきれなかった。
世界を改変するほどに強力無比な、絶対者の力の降臨。
それが獅子神皇を名乗るものとなったのは、想像に難くない。
ヴァシュタラの神々が付き従い、死んだはずのクオンたちまでもを使役する存在がただの神であろうはずがないのだ。聖皇の力を手に入れたものが、神々の王を名乗り、レオンガンド・レイグナス=ガンディアを名乗っているを見て間違いないだろう。そのものがなぜ、レオンガンドの名を騙り、ネア・ガンディアを騙る勢力を率いているのか、まったく理解できないが。
放っておけば、聖皇の力によって世界が蹂躙されるのは目に見えている。
実際、現在既に世界中がネア・ガンディアの勢力によって蹂躙されているという事実があるのだ。
「でも、どうやって?」
「そうなんだよ。それが問題なんだよな」
セツナは、ファリアの疑問に頭を抱えたくなった。
戦力差は、絶望的だ。
「少なくとも、現在の戦力じゃあどうにもならねえ」
それは、ミリュウたちの力不足を指摘した発言などではなかったのだが。
「あたしたち、なんの役にも立たなかったものね」
「そんなことはないぞ」
セツナは本心からそういったつもりだった。セツナの頬に触れたミリュウの手が顎から首へ落ち、流れるように彼女の胸元に戻っていく。
「そういってくれるのは嬉しいけど、実際には、ね」
「時間稼ぎにしかならなかったな」
「わたしなんて……」
「確かに……」
意気消沈する女性陣を見回して、セツナは、なんともいえない気持ちになった。彼女たちが役に立っていないなどとは微塵も思っていないし、むしろ、彼女たちがいなければセツナが敗れていたのは紛れもない事実なのだが、そんなことをいっても彼女たちは素直に受け取ってはくれないだろう。力不足を実感しているのは彼女たち自身なのだ。そこへ慰めの言葉をかけたところで、なんの意味もない。余計に彼女たちを苦しめるだけなのだ。
だからといって、彼女たちの苦悩を解決する方法があるわけもなく、セツナは、沈黙せざるを得ない。
「……ならば戦力の拡充を計りつつ、当面の目的を果たすしかあるまい」
マユリ神が話に入ってきたのは、見ていられなくなったからだろう。
「当面の目的か」
「帝国との約束を果たすのだろう?」
「ああ。その通りだ。まずは、帝国の、ニーウェの窮地をどうにかしよう」
「そうね。帝国といえば二万人の武装召喚師だっけ? 戦力として期待できるかもしれないし」
ミリュウがさして期待する風でもなく、告げてくる。帝国は、総勢二百万の大軍勢を誇ったが、その百分の一が武装召喚師という破格の戦力だった。それでも最終戦争の勝利者になれたかどうかわからないのが、三大勢力の異様さを思い出させる。
「まあ、その二万人が全員生き残ってるわけもないし、どうなるかわからんがな」
「でも、その十分の一でも協力してもらえたら、戦力は大きく向上するわね」
「確かにな」
神々の前では焼け石に水だが、神属以外の戦力への対抗手段も必要不可欠だ。ネア・ガンディアの戦力は、神属だけではないのだ。神属に匹敵する力を持った獅徒たち、人間でありながら神の加護を得たものたち、神人たち。それら神属以外の戦力が相手ならば、武装召喚師も十二分に戦力になり得る。
「帝国本土まではあとどれくらいだ?」
「あと二日ほどだ。それまではゆるりと休むがいい。特にミリュウ。おまえの疲労具合は、目に余るものがある。しばらくはここに来なくて良いぞ」
「ありがと、マユリん」
「いや、友として当然のことだ」
マユリ神は、ミリュウに対してはにかんでみせた。
神と人間の間に友情が成り立つのかどうかという疑問は、彼女たちの関係を見ていれば氷解するだろう。
少なくとも、ミリュウとマユリ神の間には、確かな友情があった。
ただ、ネア・ガンディアの神々がこちらの話に耳を傾けてくれるかどうかというと、疑問の残るところだ。
ネア・ガンディアの神々は、おそらく神皇が受け継いだのだろう聖皇の力によって元の世界に還ることを目的として、協力しているのだ。それができるのかどうかはともかく、できるかもしれないという可能性にかけている。よって、セツナたちがどれだけ説得を試みたところで、聞く耳は持つまい。
話し合いで解決できれば、それが最善なのだが、すべてがそう上手くいくはずもなかった。 戦って斃す以外の選択肢はないだろう。
それは極めて困難であり、絶望的でさえあるということはだれの目にも明らかだった。