第二千二百七十四話 記憶の封印(四)
「はあ!?」
シーラが素っ頓狂な声を上げる横で、ファリアが茫然とした。
「なによそれ……」
「それが本当のことでしたら、とんでもないことでございますが……」
「師匠のいうこと、よくわかりません!」
「なにがなにやら……」
一般人代表といっても過言ではないゲインとミレーユは、ミリュウの語る話の内容の凄まじさに目眩を感じているのではないかというような状態だった。それもそうだろう。ゲインは昔からセツナの部下という立ち位置ではあったが、戦闘や戦争に参加しなければ、政治的な話にも関わることがなかった。専属調理人として腕を振るうことだけを生きがいとするような人物だったのだ。そして、その立場にこそ満足するのがゲインであり、このような場にいるのもおこがましいと感じているのか、肩身の狭い想いをしていた。話にもついていけるわけがない。
一方のミレーユに至っては、セツナたちの戦いとは無縁も無縁の人物だ。エリナの母親であり、リョハンにひとり残せないからという理由だけでこの方舟の旅に連れ立っているだけで、本人は至ってごく普通の女性に過ぎなかった。いきなり世界の成り立ちや秘密について話をされても、混乱するしかあるまい。
そういうこともあって、ミリュウが全員を呼び集めたのにはどういう意図があるのか、セツナにはよくわからなかった。
「事実よ。レヴィアは、世界が変わる瞬間を目の当たりにし、記憶しているもの。そして、レヴィアたち六名の師……いえ、既に六将と呼ばれていた彼らも、ミエンダの考えを支持していたわ。世界はもはや諸族の戦いによって破局を迎えるか、三界の竜王の創世回帰によって最初からやり直すか、ふたつにひとつの道しかなかった。世界を存続させる唯一無二の手段として、ミエンダは異世界の神々の協力を仰ぎ、世界を変えたのよ」
「……世界を変えた、か。そこまでは理解しよう。神々の協力を仰げば、世界の形を変えることくらい造作もないだろうさ」
神々の力は決して万能ではないが、極めて万能に近いものだ。空間転移、物質破壊、復元、蘇生、変容――なんだってやってみせるのが、神々なのだ。地殻変動を起こして陸地を一点に集め、繋ぎ合わせて自然な大陸の形にすることくらい、容易いものだろう。それも一体や二体ではない。数え切れないくらいの神々が聖皇に協力したのは、間違いないのだ。ヴァシュタラを構成した神々に二大神も、ミエンディアの願望を聞き入れ、手を取り合ったのだろう。
「でも、それですべてが解決するだなんて、ありえないだろ。世界の形が変わったところでさ、諸族の戦いが終わるわけもないだろ?」
「セツナのいうとおりね。破滅的な戦争を終わらせる唯一の方法とも思えないわ」
「まったくその通りだ!」
「シーラ様……」
「なんだよ」
「わからないからといって同意だけをするのはよくないかと」
「いいだろ別に!」
「うんうん!」
「エリナはいい子だなあ」
「シーラお姉ちゃんも美人で素敵だよ!」
「……話を進めていいかしら?」
「はい、師匠!」
エリナの威勢のいい返事に毒気を抜かれたかのように目を丸くしたミリュウだったが、気を取り直すためか軽く咳払いをした。
「いったでしょう。世界そのものを作り替えたって」
ミリュウが冷ややかに告げてきたのは、さらなる衝撃の真実だった。
「ミエンダは、神々の力を借りて、この世界の構造そのものを作り替えてしまった。三界の竜王による創世回帰とはまったく異なる方法で、世界をやり直したといってもいいわ。でも、そこに滅びはなかった。諸族は人間種族へと作り替え、ひとびとを別け隔てていた言葉も大陸共通語に一本化し、諸族の戦いの根本原因を取り除いたのよ」
「そんな強引な……」
「強引でも、ほかに方法がなかった。神々の力を用いれば諸族を改心させることもできたでしょうけれど、それでは根本的な解決にはならないわ。また何百年、何千年の時間をかけて、破滅へ向かっていくだけのことよ。だったら、種族の違いという根本理由を取り除けばいい。ミエンダの結論は、合理的だと思わない?」
「……確かにな。それで、諸族そのものは消えたけど、滅びはしなかったんだろう? 無用な殺戮はなかった、ということでいいんだよな?」
「ええ。ミエンダにせよ、六将にせよ、諸族を滅ぼすことで三界の竜王を納得させるなんていう愚は避けたかったもの。最低最悪の結末でしょう、それは」
「でも、おかしかねえか」
「ん?」
「そんなこと、歴史の勉強で習ったこともねえぞ? それほどの大事、俺たちの祖先が後世に伝えないのは変だろ」
「おかしくもなんともないわよ。世界を作り替えたんだもの。作り替えられたのは、なにも諸族だけではないわ。当時存在したほとんどすべての存在がミエンダによってなんらかの手が加えられているのよ。記憶の改変なんて当たり前で、世界の形が変わったことさえだれも知らないのよ」
「聖皇ミエンディアと六将によって大陸が統一された、という記憶に書き換えられた……ってことか」
「そういうこと。ミエンダが聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンと名乗るようになったのもそのためね」
「ずっと不思議に思ってたんだよ。聖皇ミエンディアの大陸統一事業は伝説的な出来事として語られるのに、内容が伴っていないのがさ。神々の召喚以外、ほとんどすべてが謎に包まれてた」
「納得できた?」
「まあ、な」
聖皇による世界改変の影響か、聖皇の目論見によるものかはともかく、記憶の書き換えが行われたというのであれば、聖皇の大陸統一事業の詳細が謎に包まれているというのも納得がいくというものだ。聖皇六将に関する記録がほとんど残っていないのも、当然といえる。大陸の統一が、実は世界規模の改変であり、その事実さえ秘匿されていたのだから、記録されるわけもないのだ。
歴史とは勝者によって作られるものだという。
勝者による事実の改竄、上書きは、どんな世界の様々な国で行われてきたことに違いない。聖皇の世界改変は、規模こそ大きく異なるものの、その最たるものといっていいのではないか。
「それで……三界の竜王は、納得したのかしら?」
「まさか」
「え?」
「でも、世界は存続してるんだよ……な?」
「ええ。世界は、ミエンディアによる改変後のまま、地続きで繋がっている。間に創世回帰を挟んではいないわ。そんなことがあったとすれば、レヴィアの記憶が引き継がれるはずもないし、聖皇復活の儀式に世界が振り回されることなんてなかったのよ」
「じゃあ、どういうこと?」
「三界の竜王はね、ミエンディアを許さなかったのよ」
ミリュウが冷徹に告げた。まるで自分の記憶のように語る彼女だが、実際、自分が経験したことのような感覚が彼女を襲っているのかもしれない。
「三界の竜王は、この世界における古き神々といっても過言ではない存在よ。原初よりこの世界を見守り続けてきた守護神。秩序と法を司るラングウィン=シルフェ・ドラース、破壊と混沌を司るラムレス=サイファ・ドラース、平衡と調和を司るラグナシア=エルム・ドラース……偉大なる三柱の神は、ミエンディアの行いを、暴挙を、認めなかった」
三界の竜王の判断は、セツナにも道理のように思えた。
「当然でしょうね。三界の竜王は、ミエンダに諸族の戦いを取りやめさせろとはいったけれど、世界を作り替えろなどとはいってはいないし、そんなことを認めるわけにはいかなかった。異世界の介入なんて望むわけもなければ、認めようがないわ。三界の竜王は、イルス・ヴァレの土着神同然の存在。異世界の神々の力を利用して、世界の有り様そのものをねじ曲げたミエンダの存在を許すわけにはいかなくなった。だから、三界の竜王は、聖皇六将とともに聖皇ミエンディアに戦いを挑んだ」
「……そういうことか」
セツナの脳裏には、ガンディオン地下遺跡で目の当たりにした光景が過ぎっていた。グリフを含めた六名と対峙する人物。その人物こそ聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンであり、あの戦いこそ、聖皇と聖皇六将、そして三界の竜王の戦いだったのではないか。
「結果は、知っての通りよ」
ミリュウが大きく息をついた。
「聖皇ミエンディアは敗れ、歴史の闇に葬られた。聖皇六将はミエンディアに呪われ、六将とともに三界の竜王もまた、聖皇に関する記憶の大半を封じられた。ひとつの大地となった大陸は、改変された歴史の上で新たな歴史を歩み始めた。それがおよそ五百年前の、あたしたちもよく知る出来事の真相なのよ」
長話を終えた彼女の顔には疲労が見え隠れしていた。
ファリアがミリュウを労りながら椅子に腰掛けるように促すのを見つめながら、セツナは、茫然とするほかないという気分の中にいた。