第二千二百七十三話 記憶の封印(三)
「ミエンダは紆余曲折ののち、六名の師との邂逅を果たしたのよ。それもこれも三界の竜王による創世回帰を防ぐための行動だった。ミエンダの六名の師は、当時、世界に名を馳せる賢人たちだったのよ。そして、六名の賢人の導きにより、ラグナシア=エルム・ドラースとの接触に成功したの」
六名の師とは無論、後の聖皇六将のことだろう。レヴィア、グリフを含めた六名。それら六名の詳細については、ミリュウは不要と判断したらしく、語らなかった。実際、気になるのはそのあと出てきた名前だ。
「ラグナと……?」
「ラグナシア=エルム・ドラースは、他の二柱の竜王と違って話のわかる竜王だったみたいね。だから、ミエンダは緑衣の女皇の説得を試みた」
「まあ確かに……ラムレスよりは話しやすそうではあるな。ラグナのやつ」
「なんか人間に興味持ってたみたいだしな」
「ラムレス様なんて、人間嫌いにもほどがあるものね」
「そのわりにはファリアには優しかったような」
「ユフィのおかげよ」
ファリアがくすりと笑った。ラムレスが人間の娘であるユフィーリアを自分の娘のように育て、愛しているからこそ、ファリアにも優しくしてくれているということは、セツナもよく知っていることだ。ユフィーリアがファリアを親友と認めているからこそ、ラムレスはリョハンに協力的だったのだ。つまり、それだけラムレスがユフィーリアに甘かったということだが、人間嫌いの竜王の心を動かすほどのものがユフィーリアにはあった、ということでもあるだろう。
そんなラムレスも、五百年以上の昔は、人間嫌いで名が通っていたに違いない。ミエンディアたちがラムレスを避け、ラグナの説得を試みたというのがその証左だ。
ミリュウによる過去語りは続く。
ミエンダと六名の師の邂逅からラグナシア=エルム・ドラースの接触は、すべてレヴィアの記憶によるものらしい。
ラグナシアは、ミエンダの話に耳を傾け、ミエンダに興味を持ったという。顕現すれば世界を滅ぼし、回帰するだけの存在たる三界の竜王と直接話し合おうというものなど、これまでの世界に存在しなかったのだ、と。滅びの運命を受け入れるものもいれば、抗うものもいたが、竜王たちを説得しようとしたものはいなかったらしい。
「そして、ラグナシアは、ミエンダたちとともにラムレス、ラングウィンの説得の旅に出た。長い長い旅だったわ。その旅の最中、数多の出会いがあり、別れがあった。やがて三界の竜王の二柱、ラムレス=サイファ・ドラース、ラングウィン=シルフェ・ドラースとも会えたのよ」
「それで世界は救われたのか?」
「それを救いと呼んでいいのなら、ね」
ミリュウの意味深げな言い方が引っかかった。
「三界の竜王は、ミエンダの説得に希望を見出したものの、破滅的な闘争を繰り返す諸族に絶望してもいた。創世回帰を取りやめたところで、諸族の戦いは収まらず、結局は破局を迎えるのが目に見えていたから。だから、三界の竜王は降臨し、創世回帰の選択を下したんだもの。でも、終末を迎えるたびに世界を滅ぼし、また最初からやり直すというやり方にも絶望していた竜王たちは、ミエンダにひとつの提案をしたのよ」
「提案?」
「諸族の戦いを収めることができれば、ひとびとを改心させることができれば、創世回帰を取りやめ、自分たちも姿を消そう、と」
ミリュウの話を聞くだけで、その提案は絶望的なもののように思えた。諸族の戦いとやらは、どうやら世界規模の大戦争らしく、ミエンディアたちの説得でどうにかなるようなものとは思えなかったからだ。最終戦争がそうだった。一度動き出した大勢力の動きを止めることなど、できるものではない。
「ミエンダも六名の師も、その提案に絶望したわ。諸族の戦いは、もはや最終局面に向かっていたもの。だれがどうあがいたところ、どうすることもできない。指導者たちがミエンダの説得に耳を貸すような状況じゃなかったのよ」
だが、世界は破局しなかった。
創世回帰が起こらなかったことは、聖皇ミエンディアの名が歴史に残っていることからも明らかだ。創世回帰と呼ばれる御業は、世界を根本からやり直すものに違いない。竜属が繁栄した神代、巨人属が繁栄した古代、そして諸族の時代たる近代――ミリュウの解説によって明らかになった時代区分は、創世回帰によるやり直しがその時代の生物を死滅させ、新たな生命の誕生と繁栄を促した結果によるものだと、推測された。
ただ、諸族とも呼ばれる多種多様な種族がいないという事実には、引っかかりを覚えざるを得ない。創世回帰が起こっていないにも関わらず、諸族が消滅するようなことがありうるのか。
「でも、三界の竜王が下した試練を成し遂げる以外には、この世界を破滅から救う方法はなかった。だから、ミエンダは、六名の師とともに手を尽くした。それにはラグナシアも、協力したのよ」
「ラグナが……な」
「といっても、レヴィアの記憶の中のラグナシアは、厳粛たる竜王そのもので、セツナ大好きなラグナとは似ても似つかなくて混乱するんだけどね」
「そうか……」
「別人――いえ、別竜ではございませんか?」
「それはありえないわ。転生竜は、三界の竜王だけだもの」
レムの疑問をミリュウが一言で否定した。ラグナが転生竜であるということは、セツナたちがその目で確認している。目の前で生まれ変わったのが、ラグナだ。ラグナが転生竜である以上、三界の竜王の一角もまた、ラグナであるはずなのだ。
ラグナが緑衣の女皇と呼ばれる存在であることそのものは、セツナたちもとっくに知っていた。しかし、実際にそのような話を聞けば、レムのように不思議に思うのもまた、道理なのだ。
「でも……ミエンダたちが八方手を尽くしても戦争は終わらなかった。諸族の戦いは、最終段階に入ろうとしたわ。世界に破滅のくさびを打ち付けるような、そんな段階にね。だから、ミエンダは最終手段を用いた。それが召喚魔法の行使よ」
「神々の召喚か!」
「そこで聖皇の神々の召喚に繋がるのね」
「皇魔の出現もな」
「うん」
「当時、魔術は極めて一般的な技術だったわ。しっかりと学びさえすれば、人間でさえ魔術を使うことができたのよ。ミエンダも、六名の師から様々な技術を学ぶことで、魔術や方術、果ては剣術から弓術に至るまで完璧に極めていた。レヴィアが誇らしく思うくらいにね。そして、彼女は師の教えを召喚魔法へと昇華してみせた。それが始まり」
「始まり?」
「終わりのね」
ミリュウは皮肉げに微笑んだ。その微笑は、いつになく儚く、故により美しく見えたのかもしれない。
「ミエンダは、召喚魔法によって異世界の神々をイルス・ヴァレへと招き寄せた。もちろん最初は、一柱の神様だけを呼び寄せたのよ。その神様の力を借りて、破滅へ向かう世界をどうにかしようとした。でも、一柱の神様だけではどうにもできないから、つぎつぎと神様を召喚していった。そうして神々の召喚によって得た力で、ミエンダはなにをしたか」
ミリュウがマユリを一瞥すると、女神は小さくうなずいた。映写光幕に映し出された映像に変化が生じる。それまでの複数の大陸と島々、広大な海から、広大な海に浮かぶひとつの大陸へと変化する。それは一目見てワーグラーン大陸であることがわかる。かつて何度となく見た大陸図に極めてよく似ている。それはつまり、大陸図がそれだけ精巧に計測され、描かれたものだという証拠なのだろう。映写光幕に映し出された大陸図は、ミリュウが受け継いだレヴィアの記憶から構成されたものに違いないからだ。そしてそれが意味することはつまり。
「おいまさか……」
セツナは、ミリュウがいわんとしていることを察して、唖然とした。
「世界中の陸地を一所に圧縮して、世界そのものを作り替えたのよ」
ミリュウが発した言葉は、その場にいる全員にただただ衝撃を与えるものだった。