第二千二百七十二話 記憶の封印(二)
「要するにこれはね、マユリんにあたしの記憶を読み取って、再現してもらった映像なのよ」
ミリュウは、映写光幕に映し出された世界図を指し示して、いった。マユリ神のみならず、神属というのは、ひとの記憶を読み取る能力を持つらしい。ミリュウの記憶を読み取り、そこで得た情報を元に映写光幕上に世界図を描き出すことくらい、マユリ神には造作もないことなのだろう。女神は、誇るでもなくミリュウを見守っている。
「この世界……イルス・ヴァレと呼ばれる世界はかつて、こういう形をしていたのよ。レヴィアの記憶が正しければ、だけど、レヴィアの記憶が嘘だとは思えないわ。レヴィアが見てきた様々な情報がそれを肯定しているわ。当時の世界地図、天球儀、竜王が見せた世界の光景……どれもこれも、マユリんに再現してもらった世界図の通りなのよ」
「それってつまり、レヴィアが生きた時代の光景ってことだよな」
レヴィアの記憶ということはつまり、そういうことにならざるを得ない。レヴィアが生まれる前の世界の形をレヴィアが記憶しているわけはなく、リヴァイアに受け継がれるわけもないからだ。それに彼女自身がいっている。レヴィアが見たものなのだ、と。
「うん」
「五百年前ってことか?」
「およそね」
「ちょっと待てよ。それ、おかしかねえか? 五百年前っていったらよ、聖皇が大陸を統一した頃じゃねえか。五百年前には、大陸の外海に世界が広がっていたってことか?」
シーラがミリュウに疑問をぶつけたのは、当然のことではあった。レヴィアが生きていたであろう五百年前といえば、彼女のいうとおり、聖皇ミエンディアによる大陸統一がなされた頃合いだ。つまり、レヴィアの記憶は、大陸統一以前の記憶ということになる。だからこそ不可解なのだ。なぜ、大陸統一前後で世界図が変わるというのか。
「そうじゃないわ。よく見て。どこにもワーグラーン大陸なんてないでしょ」
「だから疑問なんだろ。意味がわかんねえよ。どういうこった」
シーラが困惑しきったようにいった。映写光幕に映し出された五百年以上昔の世界図には、確かにワーグラーン大陸はない。
セツナだって、ミリュウのいっていることを完全に理解できているわけではなかった。シーラと同様の疑問を感じてもいる。世界がかつてそのような形だったとして、なぜ、ひとびとの記憶から消え失せているのか。記録されていないのか。そもそも、聖皇ミエンディアとその六将についての詳細な記録さえ残っていないという重大な事実もある。
聖皇ミエンディアの記録といえば、神々を召喚し、魔をも引き寄せてしまったという伝説と大陸統一を成したという記録くらいしかまともに残っていないのだ。六将の存在さえ、不確かなものとして語られる程度に留まっている。
「どこから話せばいいのかしらね……いろいろありすぎて、整理するのも大変なのよ」
「……ミリュウが思い出せる最初からでいい。それをマユリ様にでも纏めてもらうさ」
「む? なにやら雑だな?」
「まあまあ、マユリん。セツナのいうことももっともよ。情報処理能力に関しては神様の右に出るものはいないんだから」
「確かにな」
「じゃあ、そうね……あたしの知る限りの最初から、話しましょうか」
ミリュウがゆっくりと息を吸った。まるでこれから話すことにそれなりの覚悟が必要だとでもいわんばかりに。
「そのころ……世界は、滅亡の危機に瀕していたわ」
「いきなりだな」
「しっ」
「いくつもの大陸と島々によって織り成す世界には、それこそ多種多様な種族が色とりどりの文化文明を築き、交流し、あるいは争いや諍いを繰り返しながら時代を重ねていたわ。ただの人間だけじゃない。翼を生やしたひともいれば、角を生やしたひと、巨人の末裔、小人属、海のひとびと、精霊たち……多様な種族、多様な文明、まさに世界は多様性に包まれていたのよ。輝かしい時代。華やかな季節」
「まるでおとぎ話ね……。それが五百年と少し前の話?」
「レヴィアが生まれた当時のね」
「それが本当なら、その多様な種族はどこへ消えたんだ? この大陸のどこかにいるってんなら、噂くらいは小国家群にだって流れてくるはずだろ」
「噂さえ流れてこないってことは、そういうことだろうな」
「どういうことだよ」
「世界の激変とともに消え失せたんだろうさ」
セツナはシーラにいったが、ほかに理由も考えられなかった。
「でも、そんな季節も終わりを迎えようとしていたわ。極めて高度に発展した文明が、破滅的な戦争を始めたのよ。世界全土を巻き込むような大闘争を引き起こした」
「それだけで滅び去った……ってわけじゃあなさそうだな」
「そんな世界の現状を重く見たのが、三界の竜王よ」
「……三界の竜王だって?」
「ラグナたちのことか?」
シーラの一言にミリュウがうなずいた。
「緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラース、蒼衣の狂王ラムレス=サイファ・ドラース、銀衣の霊帝ラングウィン=シルフェ・ドラース……そう呼ばれた三柱の竜王は、世界に対する根本的な決定権を持っていたの。行き過ぎた世界を消去し、最初からやり直すことのできる権利をね」
ミリュウの説明は、セツナの思考を大いに混乱せしめるものだった。それはまるで、創造神や造物主の如き権限ではないか。脳裏には、あの可愛らしくも健気な小飛竜の姿が浮かんだものだから、ますます混乱の度合いが深まった。
「は……?」
「なにそれ……」
「ラグナが?」
「嘘でございましょう?」
セツナを含め、皆が一様に混乱したのは、当然のことだった。いや、ラムレスにせよ、ラグナにせよ、その力の偉大さは知っているつもりだ。しかし、ラグナといえば、愛嬌のある小飛竜という印象が強いのが現実だ。セツナにべったりな小飛竜としてのラグナは、まさに小動物的、愛玩動物的な可愛さがあった。もちろん、竜としての本質についても忘れているわけではないし、ラグナの献身的な犠牲によってセツナがその命を失わずに済んだという事実も、覚えている。
そして、ラグナがどこかで転生を果たしているということも、だ。
三界の竜王は、転生竜でもある。
「本当のことよ。三界の竜王は、いわばこの世界の太古の神々といっても過言じゃないの。このイルス・ヴァレが生み出した世界の管理者なのよ。世界はそれまでに二度、三界の竜王の意思によって滅び、やり直しているわ。一度目は、竜属のみが繁栄し、二度目は巨人属の時代だったそうよ」
「世界をやり直す……そんな権利を持っていたってのか? あいつが……?」
「ラグナラグナなんて呼んでるけどさ、ラグナシア=エルム・ドラースの全盛期の力は、並大抵の神々がどうにかできる力じゃあなかったってことなのよ」
それはそうだろう。世界を滅ぼし尽くし、その上で最初からやり直すことのできるだけの力を持っていたということなのだ。それはつまるところ、セツナでさえどうにかできる相手ではなかった可能性があるということだ。ただ、ラグナは、他の神々とは違う点があった。それも極めて大きな相違点だ。ラグナは、黒き矛以外でも殺されうるというところだ。ラグナが神とまったく同質の存在であれば、神殺しの力を持った魔王の杖以外には殺されることはなかっただろう。その相違点がなにを示しているのかは、わからないが。
そして、三界の竜王だけがなぜ転生竜として、永遠に転生し続けるのかも理解した。世界を管理し、見届けるためには生き続けなければならないからではないか。不老不滅の存在にはなれずとも、無限に転生を繰り返す存在にはなれた、ということではないか。
「三界の竜王は、闘争に明け暮れる世界に失望し、三度目の消去を行おうとしたわ。そんなとき立ち上がったのが、ミエンダというひとりの少女だった」
「ミエンダ……?」
どこか引っかかる名前を反芻するように発すれば、やはり、違和感があった。どこかで聴いたことのあるような、あるいは、だれもが知っている、知らずにはいられない名前。瞬間、セツナの脳裏に閃くものがあった。
「まさか……ミエンディアか!?」
「そう、ミエンダは世界を破滅から救うために立ち上がったのよ」
ミリュウの語る世界の記憶は、セツナたちにさらなる衝撃をもたらしていった。