第二千二百七十一話 記憶の封印(一)
「世界がひとつになる前……?」
セツナは、映写光幕に映し出された世界図に視線を戻し、茫然とした。世界がひとつになる前という言葉をそのまま受け取れば、混乱もする。
「なにいってんだ? それじゃあまるで、ワーグラーン大陸が元々ひとつじゃなかったっていってるみたいじゃねえか」
シーラが叫ぶのも無理はなかった。それでは、自分たちが信じてきた歴史そのものが嘘のだといっているようなものだ。
「そういったんだけど」
「はあ?」
「どういうことですか! 師匠!」
エリナの質問に対し、ミリュウはまったく別のことをいった。
「あたしがいったいなにものなのか、何人かは知っているわよね」
「師匠は師匠です! だれよりも偉大で素敵で無敵のわたしの大好きな師匠!」
「うふふ、本当にありがとう。あたしも大好きよ、エリナ」
「師匠!」
いつものように師弟愛を見せつけるふたりだが、セツナは、ミリュウの様子が気がかりでならず、いつもの如く茶々を入れる気にもならなかった。
「エリナ……良かったわね……」
ミレーユが涙ぐんでさえいるのは、かつては未来を見失ってさえいたエリナがいまや最高の師匠に巡り会え、人生と向き合っていることを理解してのものなのだろうが。
「ミリュウ・ゼノン=リヴァイア。かつてはミリュウ=リバイエンを名乗った、ザルワーン五竜氏族リバイエン家の令嬢であり、魔龍窟の武装召喚師。ザルワーン戦争においてセツナに拘束された。戦後、ガンディアに服し、王立親衛隊《獅子の尾》の一員として数々の戦功を上げる。エリナ=カローヌを弟子に取ったのも、ミリュウ=リヴァイアと改名したのもガンディア時代のこと。ガンディアを離れた後はリョハンに帰属。七大天侍のひとりとしてリョハンに多大な貢献をなし、七大天侍を解任された後、セツナの旅に同行する……こんなところかしら?」
ファリアが、まるで書類でも読み上げるようにすらすらと告げると、さすがのミリュウも面食らったようだった。しかし、すぐさま思い返したように言い返す。
「残念。ひとつ、とっても重要なことを忘れてるわよ」
「なによ?」
「ガンディアに服し、のところ。ミリュウはセツナを永遠の愛を誓い合った末、ガンディアに服した――じゃないと正解はあげられないわね」
などと半ば本気でいうミリュウに対し、ファリアは唖然とした表情を見せた。やれやれと肩を竦める。
「なにいってんだか」
「そーだそーだ!」
「そうでございます!」
「あんたたち、こういうときだけ結託するんだから」
ファリアに続くシーラとレムの猛烈なまでの抗議には、さすがのミリュウも憮然とした。そんな彼女たちのやり取りはいつものことだったし、セツナの周囲にはなくてはならない空気のようなものになっていたが、とはいえ、この真面目な話の雰囲気をぶちこわされると、なんともいえない気分になるのも事実だ。もっとも、それこそが彼女たちの持ち味だということもわかっているから、セツナは、話を進めるべく、口を開いた。
「……もうひとつ大事なことがあるよな。ミリュウがなぜ、リヴァイアを名乗るようになったのか」
「あら、セツナってば、ちゃんと覚えてくれてたのね」
ミリュウが嬉しそうに微笑んだ。その笑みの奥底に輝く真剣さは、彼女がこの場に皆を呼び集めた理由があるように思えた。心がひくつく。なにか、胸騒ぎがした。
「当たり前だろ。今回のこと、リヴァイアの“知”が関係してるんだな?」
「うん」
ミリュウが、静かにうなずいて肯定する。
リヴァイアの“知”。聖皇六将のひとり、レヴィアの末裔たるリヴァイアの血族に受け継がれてきた“血”に流れる知識のことを、彼女はリヴァイアの“知”と呼んだ。本来ならば、リヴァイアの“血”の継承者がレヴィアにかけられた不老不滅の呪いを受け継ぐとともに引き継ぐのが慣例であり、ミリュウも、そうなるはずだったのだ。彼女の父オリアス=リヴァイアは、ミリュウに自分を殺させるべく、様々な手を打った。ミリュウに武装召喚術を学ばせたのも、憎悪を植え付けたのも、そのためだ。
もっとも、それはオリアスにとっての最終手段であり、オリアスは、愛娘に呪いを継承させることなく、呪いそのものを消し去る方法を探していたらしい。だが、それがならなかった場合の保険として、ミリュウに自分への殺意を抱かせるよう、仕向けていたのだ。
しかし、ミリュウはオリアスを殺せなかった。殺せないまま、別のなにものかによって殺されたらしい、ということがわかっている。下手人は未だ不明。しかし、オリアスは死に、リヴァイアの“血”の呪いは絶えたようだった。
話は、そこで終わらない。ミリュウがリヴァイアの“知”を受け継いだからだ。龍府の屋敷に封印されていた膨大な量の知識を引き継いだミリュウは、その知識によって類い希な力を得た。擬似魔法などその最たるものだろう。
「“大破壊”からさ、ずっと、変だったのよ。ううん、元々、あたしの頭の中って変なんだけどさ」
「そりゃ知ってる」
「あのね、あんたの考えてるようなことじゃないから」
「シーラ」
「わ、わーったよ。茶化してすまん」
セツナの一瞥に対しては、シーラも素直に謝り、ミリュウも満足そうにうなずいた。
「ずっと、頭の中でだれかが囁いているようなものなのよ。あたしの頭の中ってね。自分の知らない他人が譫言を言い続けてるの。気色悪いでしょ、そんなの。でも、まあ、リヴァイアの“知”を受け継いでしまったから、仕方ないんだけどさ」
ミリュウが自分の肩を抱くようにして、いった。彼女の頭の中には、声が響き続けている。だから彼女は静寂を嫌う。頭の中の音を掻き消すためには、頭の外の音を取り込む必要があるからだ。そうしなければ、頭が割れそうになるという。発狂しそうになるのだと。だから、彼女が安眠を求めて、セツナの寝台に潜り込んでくることは少なくなく、それはだれもが仕方なく認めていた。
「でもそれは、あたしにとって必要不可欠なものでもあったのよ。リヴァイアの“知”は、五百年前から受け継がれてきた叡智そのものといってもいいから。あたしはそのおかげでラヴァーソウルの新たな使い道を見出したわ。擬似魔法もそのおかげ以外のなにものでもないもの」
擬似魔法は、太古、この世界に存在した魔法技術の再現である、と、かつてミリュウはいった。つまり、彼女の頭の中に囁かれる叡智の結晶というわけだ。静寂を堪能できない苦痛と引き替えに、彼女はとてつもない力を得たのだ。実際のところ、擬似魔法はとてつもなく強力だ。セツナたち一行の中で、彼女の擬似魔法に匹敵しうるのは、黒き矛を覗けば、白毛九尾の顕現による全力攻撃をおいてほかにはないだろう。
「あの力のおかげであたしは戦える。セツナの力になれる。そうよね?」
「ああ。助かってるよ、ミリュウ」
「ありがと、セツナ。そういってもらえるだけで、生きていけるわ」
なんだか不吉な物言いだとセツナは思ったが、突っ込んで話を聞こうとはしなかった。いまはそれよりも、ミリュウの話を聞くことに集中するべきだろう。その話の中に不安の原因があるのかもしれない。
「でね、そのリヴァイアの“知”……つまり、レヴィアから引き継がれてきた記憶の中には、不透明な部分があったのよ。どれだけ時間をかけて探っても、引き出すことのできない記憶。まるでなにかの力で封じられたような……そんな感じでさ」
ミリュウは、以前にも、受け継いだ記憶は、なにもかもすべて引き出せるわけではない、といっていた。記憶の奥底に沈んだ情報を引き出すのは困難である、と。常に頭の中に声が響いているのに、それらはただの過去の残響であり、絶叫であり、怨嗟であり、悲鳴に過ぎないのだと。欲しい情報を引き出すのは至難の技であり、レヴィアの記憶となると、触れることすらかなわないのだ、と。
「それがついさっき、マユリんと話している最中、突然、まるで自分の思い出のように蘇ってきてさ」
ミリュウが静かな口調で語る中、マユリ神は、どこか不安げなまなざしを彼女に向けていた。その態度こそがセツナの心の中の不安を増大させる。
ミリュウは、本当にだいじょうぶなのか。
彼女が話を進める中で、そればかりが気にかかった。