第二千二百六十七話 守護神の悩み(二)
「ところで、マリク様はなにか考え事をされておられたようですが、なにか悩み事でもあるのですか? もしよければ、相談に乗りますが」
ルウファは思い切って尋ねてみると、マリクは苦笑して横目にニュウを見やった。
「申し出は嬉しいけど、相談役ならニュウがいるよ」
「残念ね、ルウファくん」
「ええ……」
勝ち誇るニュウの表情は、まさに嬉しくてたまらないといった様子であり、彼女がそのように喜んでくれたということだけでも、先ほどの発言に意味はあったと想うルウファだった。ルウファとしては、マリクにつきっきりのニュウの労をねぎらいたいという想いがある。ニュウにとって、どのような出来事が喜びなのか、少し考えればわかることだ。そのためならば喜んで道化になろう、と、ルウファは考えていた。
ニュウは献身的かつ自己犠牲的なところがある。決して報われない想いに命を賭してさえいる彼女だ。少しくらい、報われてもいいだろう――と、ルウファは想うのだ。
「というのは冗談として」
マリクがにこやかに告げてきたのは、ルウファの反応に満足したからだろう。
「実は、少し前から気になることがあってね。一度、君に頼み事をした件について、覚えているかい?」
「……方舟の内部調査のこと、ですか?」
「さすがは六大天侍。記憶力がいいね」
「ほかに頼み事なんて記憶にありませんから」
だからこそ、すっと答えに辿り着けたのだ。
マリクは、たとえなにかしら要望があってもまずはニュウに頼む。ニュウが守護神担当官だからであり、当然といえば当然のことだ。そして、ニュウは、マリクの頼みならばなんとしてでも叶えようと奔走する。結果、マリクの要望が下に降りてくることはなかったりする。あったとしても、ルウファが手を煩わせるようなことはなかった。
記憶上、残っているのは方舟の内部調査だけだ。
「方舟がどうかしたんです? セツナ様が使っていて、いま手元に残ってませんけど」
「それ自体は問題じゃないんだよ。むしろ、セツナが使ってくれているのは、この世界にとって喜ぶべきことだとぼくは想っている。セツナならきっと、あの船を上手く利用し、この世界のためになることをしてくれるだろうからね。リョハンにあっても宝の持ち腐れだろう」
「そうですねえ」
ルウファは、マリクの意見を否定しなかった。確かに方舟がリョハンにあったとして、運用するものがいない。リョハンは陸の孤島であり、空飛ぶ船を用いる必要がないのだ。遠方の都市や国と連絡を取るために利用できなくはないが、連絡先がない以上、そんな利用方法さえ御山会議には思いつかないかもしれない。結局、リョハン付近に設置したまま存在を忘れるのが関の山だ。その点、世界中を飛び回らなければならないらしいセツナならば、話は別だ。彼なら方舟の利用価値を見出し、上手く活用してくれるに違いない。いまも、どこかの空を飛んでいるか、目的地に辿り着いていることだろう。
その旅についていけないというのは、立場上仕方のないことだったとはいえ、多少、寂しくもあった。
ルウファは、セツナの部下としての自分に誇りさえ持っていた。自分がガンディアにおいて様々な戦歴を残せたのも、セツナの部下として数々の戦場に赴き、自分自身を鍛え続けてきたからにほかならない。もしほかの部隊に配属されていたならば、きっといまの自分とはまったく異なる自分になっていただろう。エミルとも出会えてはいまい。セツナという責任感の塊のような少年との出会いが、ルウファの人生を変えた。価値観そのものを変えたといってもいい。
彼の役に立てないという事実が、心の底で暗影のように揺らめいている。
立場や状況が許せば、自分も方舟の一員として世界中を飛び回ったというのに。
残念ながら、それは許されなかった。
六大天侍という立場を放り出すことそのものは、容易い。しかし、ルウファには生活がある。なにより、エミルがいる。エミルを置いて、ひとり世界中を飛び回ることはできない。エミルの心身を考えれば、彼女を連れて行くという選択肢はないのだ。
故に彼は、ここに残る以外の道はなく、そのことが少しばかり哀しいのだ。
「方舟内部の最奥……機関室といったかな。あの部屋を見たときから、ずっと気になっていたことがあるんだ」
「機関室ですか。まさか見覚えがあるとか?」
「そう、そのまさかだよ」
「それで、ずっとうなっていたんです?」
「うん」
マリクは小さくうなずくと、記憶の奥底から掘り起こすような慎重さで語った。
「機関室を目の当たりにしたときから、引っかかりを覚えていてさ。どうにも、どこかで見たことがあるんだけど……思い出せない。ここのところ、そればかり考えているんだけど、それでもね」
「神様なのに記憶力はないんですね」
「カミサマだからかもね」
「どういうことですか」
「処理しなきゃならない情報量が人間よりも多いということだよ」
「なるほど」
ルウファは相槌を打ちながら、確かにその通りなのだろうと想った。人間であるルウファにも、規模は違えど、似たような経験をすることがある。情報量の過多による記憶の圧迫、とでもいうべき現象は、武装召喚師ならばだれしもが経験することだろう。召喚武装による超感覚は、広範囲の様々な情報を取得し、際限なく伝えてくるものだ。それによって、武装召喚師は、常人とは比べものにならない速度の世界で戦えるのだし、圧倒もできる。しかし、同時に情報量の過多は、脳に負担を強いることにもなりうる。処理しきれない情報が記憶までも圧迫する場合もなくはなかった。
もっとも、それは召喚武装を制御できているかどうかの問題でもあり、どれだけ取得する情報量が多くとも、召喚武装を完全に制御できていれば、記憶に齟齬が生じることはない。
マリクの記憶が曖昧なのは、単純に、召喚武装とは比較しようのない規模から情報を収集しているからだろう。
彼は常に、空中都から山門街に至るまで、リョフ山全域の現状を把握しているといっても過言ではないという。なにかしら問題が起これば即座に対応するためであり、守護神の守護神たる所以といってもいいだろう。
「それで、俺に話をしたってことは、なにか思い出せたってことですかね」
「ご明察。君には、ぼくの記憶を頼りに捜し物をして欲しい」
「その、機関室に似た場所を探し出せ、と?」
「ああ。でも安心して欲しい。世界中を飛び回るようなことにはならないから」
「どういうことです?」
「ぼくが見たのは、このリョハンのどこかで、だからね」
マリクのその言葉は、さすがにルウファも想像しておらず、耳にした瞬間目を丸くした。
このリョハンのどこかに方舟の機関室と似たような場所があるのだ、と、彼はいう。そんなものが本当に存在するのか、という疑問もあるが、あったとして、それがなにを意味するのか、彼にはまるで想像がつかない。
方舟は、超技術の塊であることはいうまでもない。
神の力で空を飛ぶ船だ。その中核たる機関室と似たような場所がリョハンにあるということは、いったいどういうことなのか。
いやそもそも、この空中都市リョハンには謎が多いのだ。リョフ山は峻険も峻険、世界最高峰の山なのだ。その頂は、通常、ひとが住むような場所ではない。山麓、山中ならばともかく、山頂に都市を築こうとするなどおかしなはなしだ。この太古の遺跡のような町並みをどうやって作り上げたのか。どこかから切り出してきた大量の石材を運搬してこなければならないのは、だれの目にも明らかだ。人力では、とてもではないができることではない。
なにかしら、不思議な力が働き、リョハンを作り上げたのではないか、というのが、現在、リョハンで広く信じられている説だ。古代には、魔法のような技術が普通に存在し、ひとびとは魔法を用いたとされる。その魔法によってリョハンを作り上げた、というのは、ありうる話ではあるのだが、だとすれば、その記録も残っているはずだ。が、リョハンがどうやって作られたかに関する記録は一切残っていない。
マリクがリョハンのどこかで見たという機関室めいた部屋が、そういった一連の謎を解明する糸口になるのではないか。
ルウファは、守護神からの勅命に心を躍らせた。




