第二千二百六十三話 シグルド
シグルド=フォリアーといえば、傭兵集団《蒼き風》の団長として名を馳せている。
“大破壊”以前、大陸が形を成し、小国家群が群雄割拠の戦国乱世を謳歌していた時代、《蒼き風》のような傭兵集団はごまんといたという。そんな中で名を知られ、各国が大枚はたいてでも欲したのは《蒼き風》のようなごく一部の傭兵集団だ。《白き盾》、《紅き羽》といった優秀な傭兵集団は、自前の正規軍よりも強力であり、なおかつ消耗品として利用してもなんの問題もないということ、小国家群各国にとって重要なことだったのだろう。
もっとも、《蒼き風》は、ある時期からガンディア専属の傭兵集団となり、ついにはガンディアに籍を置いたような立場に収まったのだが。
シグルドにいわせると、なるようになっただけであり、そのことに疑問もないという話ではあるが。
「なんだ。ただ魔王陛下のご機嫌を伺いにきただけか。つまらねえなあ」
シグルドが心底退屈そうにいってくると、ルニアが厳しい顔をした。
「つまらないとはなんだ。良いことではないか。さすがは人間の英雄殿だ。心構えができている。おまえと違ってな」
「そこはまあ、否定しねえよ。俺は性格破綻者だからな」
「そんなことはあるまい。おまえにいいところはあると想うぞ」
「……どっちなんだよ」
(……なるほど)
セツナは、憮然とするシグルドとは多少距離を取りながらも、彼の様子が気になって仕方がないといった素振りのリュウディースを見て、ひとり確信を得た。リュウディースのルニアは、シグルドに多大な好意を寄せているようだ。リュスカが話していた以上の好感度の高さは、シグルドの部下たちが直視していられないと考えるほどのもののようであり、屈強な戦士たちがシグルドの鈍感さに困り果てているようでもあった。シグルドは、どうやら好意には鈍感らしい。
悪意には決して鈍感ではなかったはずだが、
「それで、セツナ様はエンジュールにお帰りになられたんで?」
「ゴードンさんとエレニアには挨拶しておきましたよ。あのふたりがいる限り、エンジュールはだいじょうぶそうです」
「わたしたちもいますからね」
とは、ジン=クレールだ。その一言に周囲の戦士たちが一斉に隆々たる肉体を誇ってくる。鍛え上げた肉体でエンジュールを護ってみせる、とでもいいたいのだろう。
「まあ、俺たちだけじゃあどうにもならんこともあるがな」
「そのときは我らが力を貸すさ」
「んなこと、勝手にいっていいのかよ?」
「メキドサールの行動方針は決まっている。わたしの一存ではない」
「……それならいいけどよ。勝手なこといって、立場が悪くなられても困る」
「そ、そうだな。気をつけよう」
シグルドのなにげない気遣いが嬉しかったのか、ルニアは顔を背けた。笑っているところを見られたくなかったのかもしれない。ちなみに、だが、ルニアもリュスカ同様、ほかのリュウディースとは違うところがあった。眼球の有無だ。ルニアにも目があったのだ。それがどういう意味を持つのか、想像できないセツナではない。ルニアのほうから、シグルドに歩み寄ったという以外には考えようがない。
皇魔は元来、眼球を持たない。種族も違えば出身世界も異なるはずのすべての皇魔が一様に眼球を持たず、眼孔の奥底から紅い光を発するのだ。それがどういった由来の物なのかはまったくわかっていないものの、リュウディースのような魔法を用いることのできる皇魔には、眼球を作りだし、人間に近づくことも造作もないようだった。
それ故、人間とリュウディースは、わかり合いやすいのかもしれない。
しかも、人間とリュウディースの間に子供が生まれるという事実もある。魔王とリュウディースの女王が真っ先に実践しているのだ。リュウディースたちの中にも、リュスカの影響を受け、人間と子を成そうとするものがいたとして、不思議ではない。
ルニアがそう考えているかどうかは、わからないが。
少なくとも、シグルドを悪からず想っているのは明らかだ。
シグルドは、二年前と比べ、やや荒んでいるように見えなくもなかった。外見が荒々しく、より野性味溢れている。傷は見当たらないが、しかし、彼が凄まじい戦いを生き抜いてきたのだろうことは、彼の鋭い眼光からもよくわかる。彼がどのような地獄を見、彼がどのような戦いを経験してきたのか、知りたかった。
とはいえ、あまりじっくりと話す時間もなく、セツナは、シグルドに自分の伝えたいことだけを伝えることにした。
ルクスのことだ。
「師匠のことなんですが」
「師匠? ああ、ルクスのことか」
シグルドが、思い出したようにいう。ルクスがセツナの師匠になってくれたのには、シグルドの貢献が大きい。そのことには、いまも感謝している。セツナは、ルクスという師匠と出会わなければ、ここまで生き抜いてこられなかっただろう。それはわかりきった事実だ。
「あいつ、死んだぜ」
「ええ。知っています」
「そうか」
シグルドは、そっぽを向いたまま返事をすると、倒木から腰を上げた。皆が注目する中、一団から離れていく。セツナはミリュウとエリナに目だけで離れるよう伝えると、彼の後を追った。シグルドは、ひとを寄せ付けない空気を纏っていて、団員のだれひとりとして彼の後を追わなかった。ルニアもだ。
しばらく公園の中を歩く。
吹き抜ける風はやや冷たく、夜が近いことを示していた。
「なんで、知ってんだ?」
「……地獄で会いましたから」
「地獄で? なんだそりゃ」
「地獄に堕ちたんです。俺が」
「地獄……地獄ねえ」
シグルドは、感慨深げにつぶやいた。セツナの言葉を疑わないのは、そういう冗談でもないと想ってくれたからだろうし、セツナがそんなくだらない冗談をいうような人間ではないと想っているからだろう。
「本当にそんなもんがあるんなら、あいつは堕ちてしかるべく堕ちたんだろうな」
遠い目。きっと、過去を見ている。ルクスと出会ったころから、最後に至るまでの風景を思い浮かべているのだ。
「俺もきっと、地獄行きだ。俺だけじゃあない。《蒼き風》の連中はだれだってそうさ。ジンもな。生きるためなんてお題目を掲げて殺しまくったんだ。地獄に堕ちて当然だろうよ」
「俺も……」
「ああ、そうだな。セツナ様におかれましては、地獄の主になってもおかしくはないくらいには殺されておいでですな」
笑うに笑えないことを半分笑いながら告げてくるものだから、セツナもどのような顔をすればいいのかわからない。シグルドやルクスと比べものにならないほど殺してきたことは否定しないし、その結果、地獄に堕ちることも認めることではあるが。
「そうか。地獄にね」
彼は、深く、肺の中の空気をすべて絞り出すようにして、息を吐いた。まるで彼の中の様々な感情までもが大気中に解き放たれるような、そんな息吹き。
「あいつ、俺たちを助けるために死んだんだ。こいつの……グレイブストーンの本当の力って奴でな。化け物みたいな強さだったよ。だから、俺もジンも生き延びることができた。全部あいつのおかげだ。感謝しかねえよ」
シグルドの声には、悔恨が混じっていた。
「でもな。俺はあいつが死んだことを喜べやしねえんだ。なんでだ。なんであいつが死ななきゃなんねえ。俺より若く、俺より才能があった。あいつはもっともっと強くなれた。俺なんかとは比べものにならないくらいにな」
「シグルドさん……」
「こんなことをいってもどうにもなんねえけどよ。あいつじゃなく、俺が死んでたら、って想うよ。そうすりゃ、《蒼き風》ももう少し貢献できたんじゃねえか、ってな」
「……多少は、変わるでしょうが」
確かに、ルクスは強い。少なくともシグルドとは比較できない次元の実力者なのは、紛れもない事実だ。ルクスの身体能力の高さは、召喚武装の補助の有無に関わらず、超人的なものがあった。それに加え、戦竜呼法を体得した彼にはまだまだ伸び代があったのだ。戦竜呼法を極め、グレイブストーンの使い手としてさらに研鑽を積んでいけば、もっと強く、より強くなったのは疑いようもない。だが、それでも、超えがたい壁がある。戦竜呼法と魔剣を用いたルクスでも、神殺しは為せない。獅徒に食らいつくことくらいはできるかもしれない。しかし、ミリュウの擬似魔法でどうにもならない相手をルクスが斃せるかといえば、疑問符しか残らないのだ。
ルクスは強い。おそらく人類最強といってもいいくらいには、強いだろう。しかし、人類を超えた存在である獅徒や、別次元の存在である神々には敵わないのだ。
ルクスがいたとして、状況に大きな変化があったかといえば、どうだろう。
「大きくは変わらねえって? はっ、随分ないわれようだな、あの世の師匠も」
「師匠の実力は一番よく知っていますから」
セツナが告げると、シグルドがそれはそうだといわんばかりに苦笑した。弟子であるセツナほど、ルクスとやり合った人間はいない。おそらくは、十年以上一緒にいるシグルドよりも、セツナのほうがルクスと剣を交えているはずだ。しかも、セツナの場合は、本気のルクスとやり合っている。殺し合ったのだ。地獄でのことだが。シグルドたちはさすがに真剣のルクスと立ち合ったことはあるまい。真剣のルクスと剣を交えるということは、グレイブストーンに切り捨てられるのと同義だ。グレイブストーンではなく、ただの剣ならば話は別だろうが、それも中々あるものではあるまい。
「地獄で相当絞られたか」
「それはもう」
「そうか……そりゃあ災難だったな」
「むしろ、幸せでしたよ、俺は」
「変わった師匠に困った弟子か。似たもの同士、波長も合うわな」
「はは、褒め言葉と受け取っておきますよ」
「ああ、褒めてんだよ。セツナ様も、ルクスのことも」
シグルドがあっさりと認めた。
「俺は、あいつに助けられてここにいる。俺の命は、あいつにもらったようなもんだ。だから、精一杯生き抜いてみようと想う。地獄であいつと再会したとき、あいつに笑われないように、全力で。それがあいつの望みだろうからな」
「ええ、きっと……師匠もそう願っているはずです」
セツナは、シグルドの想いを全力で肯定すると、地獄を謳歌しているだろうルクスを想い、目を細めた。あの地獄は、幻想そのものだったのか、実像をともなうものだったのか、虚像だったのか、現実だったのか。嘘と本当が綯い交ぜになった世界で、しかし、セツナは確かに聞いたのだ。ルクスの声を。ルクスの想いを。それを少しでもシグルドたちに伝えることができたような気がして、セツナは、わずかながら満足した。
現世への帰還以来、心の底で望んでいたことのひとつが叶ったのだ。