第二千二百六十二話 セツナと魔王と妃と娘
リュカ。
外見年齢は五歳から六歳といったところか。くりくりとした目の可愛らしい幼女であり、黒髪に合わせたのだろう黒い衣服がとても似合っていた。翡翠のような瞳がとにかく美しく、つい見つめてしまうのだが、そうすると彼女は驚いたように目をぱちくりとさせ、ユベルの背後に隠れてしまった。リュスカが目を丸くする。
「あら、めずらしいこともあるものですね」
「はい?」
「リュカは人見知りのする子ではないのですが」
「むしろ、初対面の相手に対してもずかずかと踏み込んで物をいう類だ。どこのだれに似たのやら」
ユベルが当てこすりのようにしてリュスカを眺めると、リュスカはリュスカで含むものでもあるようユベルを見やった。
「それをわたくしにいえと仰るのですか?」
「見解の相違という奴らしい」
「あらあら」
「わたしが初対面の相手に対しても強気なのは、立場あってこそのもの。本来の性格的には、もっとおとなしいのだよ」
「うふふ。そういうことにしておいてあげましょう」
「……セツナ殿。貴殿はどう想うかね」
ユベルが投げかけてきた質問に対し、セツナは思わず半眼になった。夫婦の口論に関する助け船を部外者に求めるのはどうなのか。
「俺に聞くんですか」
セツナの反応を見てなのか、ユベルは、小さく苦笑した。
「まあ、冗談はこの辺にして、だ。リュカ」
「はい」
「いつまで隠れているつもりだ。お客人に失礼だろう」
「いえ……無理をされる必要はありませんよ」
セツナは、ユベルの背後からこちらを覗き見ては姿を隠す幼女の態度を見て、なんとかしてあげたいを想い、助け船を出したつもりだった。ユベルやリュスカのいうように、リュカは本来物怖じしない性格の持ち主なのだろうが、だからといって、常にそういうわけでもあるまい。
「そういうわけにはいかないのだ。リュカは将来、このメキドサールを背負って立つ身。いくら幼いからといって、甘やかすのはよくない。甘やかされて育ったものが、三者同盟の維持に奔走できると想うかね」
「それは……そうかもしれませんが」
「リュカは、平気です。英雄様」
そういって椅子の前に飛び出してきた幼女は、優雅に頭を下げてきた。
「先ほどはごめんなさい。失礼なことをしてしまいましたわ。ですが、もうだいじょうぶです!」
にっこりと笑いかけてくる幼女ではあったが、無理をしているように見えてならなかった。セツナは心配したが、無関係な他人の心配など不要というものかもしれない。というのも、長椅子に腰掛けるユベルとリュスカの間にその小さな体を押し込むと、リュカはとても満足そうな笑顔になったからだ。両親のことが大好きなのだろうということが、その様子からも一目瞭然だ。その様を見るだけで、どうにも幸福感を覚える。まったくの赤の他人だというのにだ。
それは、セツナひとりが感じたことではないのだろう。ファリアたちが囁く声が聞こえてきていた。
(本当、かわいいわね)
(持ち帰りたいわ)
(師匠……!)
(あん、エリナのほうが百倍可愛いわよ)
(師匠!)
(なんだよこの師弟)
(麗しき師弟愛でございます)
小声とはいいながらセツナに聞こえているということは、ユベルたちにもなにがしか聞こえているというわけで、セツナは軽く咳払いをして、皆に注意を促した。それから、ユベルに断っておく。
「……こいつらは気にしないでください」
「賑やかな方々だ」
「お父様」
「なんだ?」
「リュカも、あの賑やかな方々と一緒に参りたいですわ」
「なにをいっている」
「そうですよ、リュカ様」
セツナは、リュカの想わぬ発言に驚きながらも、その発言を受け入れることはできないと暗に告げた。たとえ魔王夫妻がそれを了承したとしても、不可能なことだ。
「我々の旅は、死地への旅も同然。生きて還ってこられる保証はなく、いつ終わるともわかりません」
「ですが、英雄様は生きて還ってこられるのでしょう?」
「それは……そうですが」
「でしたら」
リュカは、目を輝かせたが、隣のユベルの目は笑っていなかった。
「だめだ」
「お父様……」
「君の思いつきの我が儘で英雄殿を困らせてはならぬ。英雄殿は確かに生きて還ってこられるだろう。しかし、それは英雄殿や方々が歴戦の勇者だからだ。君は、魔王と女王の娘というだけに過ぎない。実戦経験もなければ、戦う力も持たない。そんなものがついていってみよ。足手まといなだけでなく、英雄殿の命を危険に曝すことになる」
「そうですよ。リュカ。あなたが冒険をしたいという気持ちはわかります。ですが、あなたはまだまだ幼い。ここを出て冒険をするというのであれば、自分の身は自分で護れるくらいの力を身につけてからになさい。それからならば、わたくしもユベルも強くはいいませんよ」
「わかりました! お父様、お母様、リュカは冒険に出られるくらい立派に成長して見せますわ!」
リュカは、飛び上がって椅子から降りると、両親を振り返って大きく身振りした。その全身を大きく使った表現にリュスカもユベルも相好を崩すしかないといった様子だ。
「ええ、楽しみにしているわ」
「……聞き分けのいい子だろう?」
「え、ええ……本当に」
両親の忠告をしっかりと聞き入れ、納得し、さらに課題をみずからに貸すなど、並大抵の子供にできることではない。話を聞けば、彼女はまだ三歳なのだという。見た目も知能的にも、年齢とは一致しないのだが、それがリュウディースの血というものなのかもしれない。
皇魔の成長速度が人間より早いものなのかは知らないが、少なくとも、リュカはそうらしい。外見だけでなく、内面の成長速度も一般的な人間より随分早そうだった。
いますぐには冒険に出られないことを納得したリュカではあったが、その後、セツナたちを質問攻めにした。セツナたちがどのようにしてこのメキドサールまで来たのか、どうやってネア・ガンディアと戦ったのか、これまでの冒険の中で面白かったこと、楽しかったこと、辛かったことなど、様々な質問を容赦なく浴びせてきたのだ。セツナたちは、冒険に出られない故のリュカの好奇心を満たして上げるべく、できる限り質問に答えてあげた。
そうして、時間ばかりが過ぎていった。
魔王の館を辞したときには、メキドサールの空が赤く染まっていた。夕焼けの赤に染まったメキドサールの町並みもまた美しいものであり、その赤く燃える街の中を歩く皇魔の姿は、幻想的といってよかった。リュウディースが多い。魔王の話によれば、メキドサールは元々クルセルク方面の、リュウディースの国だったというのだから、当然といえば当然だ。魔王がメキドサールの主になってから、他の皇魔を受け入れるようになったといい、最近になってメキドサールへの移住を希望する皇魔が増えてきたのだという。
ログナー島のすべての皇魔がメキドサールの勢力下に収まるの時間の問題かもしれない、とのことだ。そうなれば、ログナー島のひとびとが皇魔に対して脅威を抱く必要はなくなり、エンジュール、ログノールとの三者同盟もますます安定するに違いない、とは魔王の談だ。魔王としても、三者同盟を維持こそすれ、壊したくはないのだろう。
しばらく歩いていると、声をかけられた。
「よお、セツナ様」
「シグルドさん」
声のほうを振り向けば、シグルド率いる《蒼き風》の戦士たちが屯していた。先ほどの家の敷地内ではなく、メキドサール内の公園のような広場だ。倒木に多少手を入れただけのものを椅子代わりに腰掛けたシグルドの側には、リュウディースのルニアもいる。
歩み寄ったのは、彼と話したいことがあったからだ。
「魔王陛下とのお話、随分長かったじゃねえか。いったいどんな話をしに来たんだ? まさかろくでもない提案じゃあねえだろうな」
「ろくでもない、ってどんなよ」
ミリュウがセツナの左腕にしがみついたまま、シグルドを睨みつけた。ミリュウは、魔王の館を出てからずっとそんな調子だった。どうやら、リュカとの会話の間、セツナにべったりできなかったのが不満だったらしい。セツナの右腕はというと、エリナが師匠の真似をしている。ファリアはそんな師弟に呆れるばかりだったが、シーラはどこかうらやましそうに眺めていたし、レムはというと、振り回されるセツナを楽しそうに見ていた。
「たとえば……そうだな。魔王陛下にガンディアの軍門に降れ、とかさ」
「貴様、そのような不埒なことを言いに来たのか!」
ルニアが、シグルドの冗談を真に受けて鋭いまなざしを向けてきたことに驚きつつ、セツナは、ふたりの関係のことを想った。
シグルドとルニアが種族を超えた友好関係にあるという話は、魔王妃リュスカから聞いている。それをこの上なく喜んでいるのがリュスカだ。ルニアは、リュスカにとって娘に当たるのだという。しかし、リュスカが腹を痛めて産んだ娘はリュカだけであり、ルニアらほかの“娘たち”は、別の方法で誕生したのだそうだ。どのような経緯であれ、娘は娘であり、同じように愛情を注いでいるというのも事実なのだろう。
故に、自分の娘であるルニアが、自分と同じく人間に対して心を開きつつある現状を快く想っているのは、当然といえば当然かもしれない。
とはいえ、シグルドの冗談もわからないようでは当分先が思いやられるのではないか、と考えるのがセツナだった。