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第二千二百五十七話 湯煙る郷にて、明日を想う(一)


 セツナたちは、その日、エンジュールに逗留することとなった。

 エレニアとの話が長引いたこともあれば、その話の結論をゴードンに伝えに行く必要が生じた結果、役所を出たころには夜になっていた。ゴードンの勧めもあり、温泉宿に一泊することになると、ミリュウたちは大いに喜んだ。方舟に戻って船内で一夜を明かすよりも、天然温泉に浸かり、疲れを癒やすほうがいいのはだれだって同じだ。もちろん、方舟内の浴場を卑下しているわけでもなんでもないが、天然温泉とは比較しようがないものだ。

 ちなみに、ゴードンは、セツナがエンジュール領伯を続けるという報告を聞いて、全身でもって大喜びをした。ゴードンのはしゃぎっぷりはめずらしいものだったのか、役人たちが目を丸くして驚く様が印象的だった。

 温泉宿は、というと、セツナが結論を伝えるため役所にゴードンを訪れたときには、彼の手によって既に用意されていた。ゴードンは、セツナたちはエンジュールに長逗留するものだと思い込んでいたようであり、数日あまりの日程表を作りこんでさえいた。その日程表というのは、領伯としての公務の日程表などではなく、温泉宿巡りの日程表であり、セツナはゴードンの気遣いぶりに呆気にとられる想いがした。そこまで気の回る司政官に統治されているのだ。エンジュールの治安が良く、ひとの気がいいのも必然に違いない。 

 もっとも、その日程表は、明日にはログナー島を旅立つつもりのセツナたちには縁のないものであり、ゴードンの苦労は水の泡となってしまった。そのことを謝ると、むしろ彼は恐縮し、勝手なことをして申し訳ないと謝罪してきたものだから、セツナは、彼に今度エンジュールを訪れたときには、長逗留することを約束した。すると、ゴードンは目を輝かせて喜んだ。

 ゴードンに指定された温泉宿《碧い華》亭に辿り着くと、セツナ一行を待ち受けていた連中がいる。黒を基調とする隊服に袖を通した男女の集団は、セツナが馬車を降りると、最敬礼を行ってきた。

 黒勇隊の面々だ。

 隊長クライブ=ノックストン以下、ユウナ=バハナード、ハルシュ=デュームといった顔も知った面々の無事な姿を目の当たりにして、その無事な再会を喜んだ。

「セツナ様の無事についてはシグルド殿から聞いておりましたが、こうして実際に確かめることができて感激です!」

 クライブが涙さえ浮かべながら感激すると、ユウナも目元を拭いながら感動を言葉に表してきた。

「本当に……御無事で良かった」

 ほかの隊士たちも、口々にセツナやファリアたちの無事を喜び、セツナたちも彼らの生存を心より喜んだ。

 彼らは、ゴードンにセツナたちの護衛をするよう命じられたということで、セツナたちが安心して宿で休めるよう、見守り続けるとのことだったが、セツナたちはむしろそのほうが気疲れするため、取りやめさせた。責任感の強いクライブなどは、セツナたちの護衛を中々諦めようとしてくれなかったため、説得するのに骨が折れた。仕方なく、セツナはエンジュールの治安に不安があるのか、という問い、クライブ直々に治安は完璧だといわせることで、護衛の必要性を再確認させた。

 治安が完璧だというのであれば、護衛など必要ではない。

 セツナの説得を聞き入れたクライブたち黒勇隊は、名残惜しそうに本来の持ち場に帰っていった。彼らにしてみれば、久々に主君に逢えたようなものであり、その主君の身辺警護という名誉ある仕事に興奮していたのかもしれず、セツナは後々、可哀想なことをしたかもしれない、とも想った。とはいえ、エンジュールの貴重な戦力である彼らの時間をセツナたちのためだけに無駄に費やすのはもったいないというのも事実だ。しかも、エンジュールの治安は良く、犯罪などほとんど起きないというのだ。

 そも、エンジュールにはセツナの雷名は響き渡り過ぎているといっていい。いくらなんでも、返り討ちされるのを把握した上でセツナたちを襲うような物好きはいまい。いたとして、セツナたちが後れを取ることなど万が一にもないのだ。仮にそのような相手が襲ってきたとすれば、黒勇隊ではどうにもなるまい。

 そんなことを考えながら宿に入れば、店主を始めとする宿の人間が、領伯御一行宿泊のため、準備万端で待ち受けていた。気の良さそうな初老の店主に導かれるまま、セツナたちは、今夜宿泊する部屋へ向かった。その際、ミリュウが不満の声を上げ、店主を困らせたのだが、それは、男女別々の部屋に案内されたからだ。ミリュウは、せっかくの温泉宿だというのにセツナと別室なのが許せないといったが、ファリアたちが宥め、すかし、ようやく落ち着きを取り戻した。

「そうよね。船ならいつでも一緒に寝られるもんね」

 ファリアたちがどのような言葉でもってミリュウを納得させたのか、彼女のその一言で理解できた。

 セツナたちは、さっそく宿の浴場に足を向けた。エンジュールの宿の多くがそうであるように、《碧い華》亭の浴場も天然温泉だ。浴場に向かえば、ミリュウがレムとともに混浴ではないことを嘆いたが、セツナはむしろほっとした。ゲインは少しばかり残念がったが。

 ちなみに、ダルクスは当然のように温泉に入ろうとしなかった。鎧を脱ぐことを恐れているような、そんな風に想えなくもない。彼の鎧は召喚武装だ。呪われているわけでもなんでもないはずだが、もしかすると、そういう召喚武装なのかもしれない。召喚武装の中には、使用者になにかしらの作用をもたらすものがある。たとえば、レイヴンズフェザーは能力の発動に際し、自身の血を用いる。失った血を補うため、他人から血を吸うことを半ば強要されるのがレイヴンズフェザーであり、そのための吸血能力をも与えられてしまう。

 もしかすると、彼の召喚武装は、常に身につけていなければならないのかもしれず、言葉を発することができないのも、召喚武装のもたらす不利益なのではないか。

 衣服を脱ぎながら考え出した結論こそ正解に近い気がして、セツナはひとり納得した。そして、男性用更衣室と壁一枚挟んだ女性用更衣室から聞こえてくる楽しげな女性陣の声から逃れるようにして、浴場に飛び込む。浴場は、露天温泉となっていて、遠い星空の下、濛々と立ち上る湯煙が温泉の温度の高さを表しているようだ。

 四方を高い壁に囲まれているため、外部から浴場内を覗かれる心配はないし、男性用の浴場から女性用の浴場を覗き込むことも、その逆もまた不可能だった。セツナが隣の浴場との間に聳える壁を確認して安堵したのは、ミリュウがそのような暴挙に出ることはないと確信を持てたからだ。いかに彼女といえど、わざわざセツナを覗くために召喚武装を用いたりはすまい。そして、彼女がそのような暴挙に出れば、ファリアたちがなんとしてでも止めてくれるだろう。

 これで安心して、ゆっくり、たっぷり温泉に浸かれるというわけだ。

 小岩に囲まれた湯船に肩まで浸かり、その温かさに得も言われぬ快感を覚える。筋肉を解きほぐすようにして指圧していくと、全身から抜けきっていなかったらしい疲れという疲れが浮かび上がり、溶けだしてくような、そんな気がした。

《碧い華》亭は、今宵、セツナ一行の貸し切りだった。そのため、見知らぬ他人が温泉に入ってくることはなく、セツナはゲインともども力の抜けきった顔をしながら、温泉の心地よさに惚けていた。

 壁一枚挟んだ女性用の浴場からは、ミリュウたちがはしゃいでいる声が聞こえてくるが、極力気にしないことにした。気にすれば、ろくな目に遭わないのはわかりきっている。

 空を仰げば、闇の中に星々が瞬き、月が膨大な光を投射している。

 夜風は穏やかで、セツナたちが温泉を満喫するのを歓迎してくれているかのようだ。

 ネア・ガンディア軍との死闘を終え、龍府でたっぷりと休んだはずだったが、疲労が完全に消え去ったわけではなかったらしい。消耗し尽くしたのだ。確かに、数日休養するだけでは物足りなかったのだろう。

 湯船に顎辺りまで沈めながら、セツナは、ぼんやりとし続けた。

 そういう時間があっても、罰は当たるまい。


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