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第二千二百五十五話 エレニア

 エレニアは、セツナの胸の中でしばし泣いた。その様子をレインは不思議そうに眺めていたし、ミリュウが物凄まじい熱気の籠もった視線を注いできたが、セツナは、エレニアに対してどうすることもできず、狼狽し続けた。

 まさか、エレニアがセツナの生存と再会をここまで感激してくれるとは、さすがの彼も想定外のことであり、助けを求めるようにファリアを見たが、彼女はミリュウを宥めるので手一杯であり、レムはなにやら疑わしげなまなざしをこちらに向けていて、シーラに至ってはむすっとしていた。

「あ……す、すみません……つい」

「い、いや……構いはしないんだが」

 慌てて体を離したエレニアに気遣ってそんな風に返事をすれば、ミリュウの憤怒が熱気となって伝わってくるものだから、セツナは自分の迂闊さを呪いたくなった。

「おかあさん、どこかいたいの?」

 レインが問いかけたのは、エレニアが体を離してなお涙を流していたからだろう。レインにしてみれば、不思議な光景以外のなにものでもない。セツナだって、彼女がここまで感動してくれるなど想いも寄らなかったのだ。事情を知らないレインにわかるわけもない。

 エレニアは、涙を拭いながら、レインに応えた。

「ううん、どこも痛くないのよ。この涙はね、うれし涙なのよ」

「うれしなみだ?」

「ひとはね、苦しいとき、痛いときだけじゃなくて、嬉しいとき、楽しいときにも涙を流すの。いまのわたしのようにね」

 エレニアの言葉は、レインだけにではなく、セツナにも響く。レインの素直すぎる反応も、だ。

「うれしいの? おにいちゃんのこと、すきなの?」

「そうね、好きよ」

 エレニアの即答ぶりに凄まじい反応を示したのは、ミリュウだけではない。レム、シーラのみならず、ファリアまでもがセツナを睨み付けてきたのだ。エレニアのごく自然な反応が彼女たちを駆り立てたのかもしれない。

「そうなんだ。じゃあ、ぼくもおにいちゃんのこと、すきになる」

「うふふ。そうね、それがいいわ」

「あ、あの、エレニア?」

 セツナが助けを求めてエレニアに問いただそうとすると、彼女はセツナの意図を察してくれたのだろう。こちらを見て、真顔になった。さっきまでとは一変した冷ややかな口調で告げてくる。

「いっておきますが、好きというのは、男女の恋愛に発展する好意ではなく、人間として心より尊敬しているということを、レインにわかりやすく伝えるために用いた言葉です」

「あ、ああ……助かるよ」

「はい?」

「い、いや、こちらのこと」

 セツナは、ファリアに抑えられながらも鼻息の荒さが増しているミリュウのほうを見ることもできず、わけがわからないという表情のエレニアに笑いかけた。

「なにがなんだかよくわかりませんが……とにかく、セツナ様が無事で良かったというのは、本音です。わたしがここでこうしてレインと暮らせているのは、すべてセツナ様の配慮とご厚意のおかげですから」

 エレニアは、神妙な顔つきで告げてくると、いつになく感情豊かに微笑んだ。その柔らかな笑顔に彼女の想いが込められていて、セツナは言葉を失った。

 

 場所を、庭先から庭の見える縁側に移したのは、立ったまま話し合うのも疲れるだろうというエレニアの配慮からだ。

 縁側に腰を下ろし、広い庭を見やれば、勉強の時間から解放されたことを喜ぶレインを、レム、エリナ、ミレーユの三人が相手をしてやっている。特にミレーユは子供好きらしく、レインの遊び相手をみずから買って出てくれていて、セツナもエレニアもほっとしたものだった。レインは、ことあるごとに話に首を突っ込んでくるところがあり、話がまったく進まなかったのだ。好奇心が強いというのは子供ならばある意味当然のことだし、悪いことではないのだが、時と場合によっては邪魔になる。

 我が子の好奇心旺盛ぶりにエレニアが困り果てていたところに助け船を出すようにしてレインを遊びに誘ったのが、ミレーユだった。レインは当初困惑を隠せなかったが、エレニアが許可を出すと、喜び勇んでミレーユの元へ駆け寄った。そこにレムとエリナが加わったのだ。

 はしゃぎ回る我が子の様子を穏やかに眺めるエレニアの横顔は、まさに母親のそれであり、どこまでも深い愛情に満ちていた。そんな彼女の愛情を精一杯に受けて育つレインは、きっといい男になるだろう。そう確信させるくらいのものが、エレニアにはあった。

 エレニアから聞いたのは、守護精霊ゼフィロスの話であり、“守護”としての彼女の役割だ。この二年余り、エンジュールの代表者として、指導者としての重責を果たしてきた彼女には、セツナは感謝しかなかったし、そのことを口に出して伝えると、感謝するのはむしろ自分のほうだと彼女はいった。エンジュールは、領伯であるセツナを殺そうとした自分を受け入れてくれた懐の深い街であり、それはとりもなおさずエンジュール領伯セツナのおかげ以外のなにものでもないのだ、と、彼女はいう。

 それは違う、と、セツナは想い、伝えるのだが、彼女こそ頭を振った。セツナは、エレニアがエンジュールのひとびとに認められたのは、彼女自身の行動があってこそのものであり、そうでなければエンジュールのひとびとも罪人として冷遇し続けたに違いないと想っていた。エレニアは、それは事実の一部に過ぎない、と持論を展開する。確かに、大乱以来、エレニアを取り巻く環境は大きく変わったが、それは第一にセツナがエレニアを赦し、受け入れてくれたという大前提があってのことであり、もし仮にセツナがエレニアを許さず、認めていなければそうはならなかったはずだ。

 彼女のいうことも、わからなくはない。

 だが、セツナは、自分の影響力を過信しなかったし、エレニアの言動が実を結んだのだという事実も過小評価しなかった。エレニアは、自分の価値を卑下しすぎているのだ。彼女がそうなるのもわからないではない。なにせ、ここはセツナの領地で、エレニアはセツナを殺しかけたことがある。暗殺未遂事件が彼女の心に落とした影は、あまちにも大きいようだ。

 だからこそ、エレニアはその影を払拭しようと、エンジュールのひとびとのため、我が子のためにと戦えたのかもしれないし、指導者的な役割を演じることもできたのではないか。そしてそういった想い、言動がエンジュールのひとびとをして、彼女を“守護”に推戴しようとする気運が生まれたのだろう。

 無論、それもこれも、守護精霊ゼフィロスの存在あってのことだという彼女の発言を否定するつもりはない。

 守護精霊ゼフィロスは、最終戦争の真っ只中、エンジュールが窮地に陥ったとき、エレニアの前に突如として姿を現したという。青白い、どこかウェインを想わせるような男は、嵐を巻き起こし、エンジュールに迫るヴァシュタリアの軍勢を蹴散らしたといい、最終戦争中、エンジュールを護り続けたのだということだ。”大破壊”が起こったときも、エンジュールは、守護精霊によって護られ続けた。その結果、守護精霊は力の大半を失い、いまは常時姿を表すこともなくなったそうだが、しかし、エンジュールが窮地に陥れば必ず姿を見せてくれるのだという。

 もっとも、その守護精霊も決して無敵というわけではなく、ネア・ガンディアの獅徒ウェゼルニルがエンジュールに降り立ったとき、迎撃に向かったが、返り討ちに遭ったとのことだ。エンジュールがネア・ガンディアに全面降伏したのは、エンジュールの最大戦力である守護精霊ゼフィロスさえ太刀打ちできなかったからだったのだ。ゼフィロスの加護に頼り切りだったエンジュールにとって、守護精霊の敗北ほど絶望的なことはなく、“守護”エレニアも茫然自失の中で降伏を決定した、という。

 とはいえ、その選択が間違いではなかったのは、現状、平穏を取り戻したエンジュールを見れば明らかだ。

「もしそのとき、降伏していなければ、エンジュールは焼き払われていただろうな」

 セツナの脳裏には、方舟の砲撃によって壊滅したマルウェールの廃墟が浮かび上がった。エレニアとゴードンが降伏を決断せず、抵抗していれば、十中八九、そうなっていたはずだ。この緑豊かな温泉地が神威砲によって滅ぼされ、住民も死に絶えていたことだろう。もしくは、マルウェール住民のように神人化したか。いずれにせよ、いまのように平穏無事ではいられなかったのは確かだ。

 ファリアが嘆息とともにうなずく。

「そうね……彼ら、敵には容赦しないものね」

「まったく、こんないい温泉郷を攻撃しようとするだなんて、理解できないわ」

「温泉郷だからかもな」

「……そういうことって、ありえるのかしら」

「どうでしょう。ウェゼルニルは、よく温泉を利用していたことはわかっていますが」

「ってことは、やっぱり温泉狙いだったってこと?」

「温泉を狙ったというよりは、エンジュールに温泉があっただけなのではないかと」

「どういうことよ?」

「ウェゼルニルは、エンジュールがセツナ様の領地であることをしきりに気にしているようでした。まるで、セツナ様が領地を取り戻しに現れることを望んでいるような、そんな口ぶりだったと記憶しています」

「つまり、ウェゼルニルはセツナと戦うためにエンジュールを制圧したってわけ?」

「おそらく」

 エレニアが静かに肯定する。

「シグルドの話によれば、以前、ウェゼルニルが彼の前に姿を現したときも、セツナ様のことを気にしていたそうですし」

「その話、詳しく聞かせてくれないか?」

「はい。わたしが知っている範囲でよければ」

 そういうと、エレニアは、しばらく前、このログナー島を窮地に陥れた女神教団なる勢力と、三者同盟の戦いについてつぶさに教えてくれた。


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