第二千二百五十一話 再び、ログナーへ(ニ)
セツナたちが五月十日、ザルワーン島を気分良く離れることができたのは、ザルワーン島が仮政府の元に統一され、不安が一掃されたからだ。さらにいえば、龍神ハサカラウの存在がある。
ハサカラウには、ザルワーン島の守護神として残ってもらうことにしたのだ。もちろん、ハサカラウ当人は、シーラと行動をともにするつもり満々だったが、セツナたちとしては、ザルワーン島をそのままにしておくことできなかった。
確かにネア・ガンディアの軍勢は退けることができた。それにより、ザルワーン島は再び、いや、以前にも増して安定的な平穏を手に入れることができたのは、疑いようもない事実だ。しかし、ネア・ガンディアの本体を叩いたわけではないのだ。ザルワーン、ログナーで叩いたネア・ガンディアの軍隊など、総兵力のほんの一部に過ぎないことは想像に難くない。なぜならば、ネア・ガンディアには数多の神々が属し、その戦力たるや想像を絶するものがあるからだ。獅徒も、斃し切れてはいない。傷が癒え次第、再度戦力を派遣してくる可能性は決して低くはないのだ。
セツナとしては、ネア・ガンディアがもう二度とザルワーンやログナーに手出ししないよう、完膚なきまでに叩き潰したかったのだが、結局、取り逃すこととなってしまった。無意味な勝利ではないにせよ、完勝とはいえないだろう。
故にザルワーン島を離れるのは、少々不安が残るところだった。
そこへ来て、龍神の存在を思い出したのだ。
ネア・ガンディアの神々というのは、至高神ヴァシュタラを構成していた神々であり、聖皇に召喚された神々の中でも、特に力の弱い神々だという。聖皇ではなく、オリアス=リヴァイアによって召喚されたマユリ・マユラ神のほうが圧倒的に強いという事実があるのだ。同じくオリアス=リヴァイアに召喚された龍神ハサカラウも、ヴァシュタラの神々を軽く凌駕する力を持っている。
彼ならば、ザルワーンの守護神に相応しいだろう。
たとえネア・ガンディアの軍勢が再度侵攻してきたとしても、彼ならば守り抜いてくれるはずだ。
セツナはそう考えると、シーラにわけを話し、彼女とともにハサカラウを口説き落とした。シーラをなんとしてでも神子にしたいらしいハサカラウは、シーラの願いを聞かずにはいられず、むしろ喜び勇んで、ザルワーンの守護を了承した。シーラは無論、願いを聞き入れたからといって神子になる、などと約束したわけではないのだが、ハサカラウの中ではシーラの評価を上げることが将来的にシーラを神子にすることに繋がっているのだろう。彼が満面の笑みが了承したのはそういう理由に違いない。
龍神には、グレイシアとナージュのいうことだけは絶対に聞くようにいってある。
ネア・ガンディア以外にも脅威は存在するのだ。万が一のことがあれば、龍神に力を借りればいい、とも、グレイシアたちにはいってある。龍神ならば、神人神獣の類を滅ぼすことは容易く、もし万が一帝国軍が同盟を破り、攻撃してきたとしても一掃できるだろう。帝国軍でなくとも、仮政府に反発するものたちが軍を起こしたとしても、容易に対処できる。
グレイシアら仮政府首脳陣は、ザルワーン島に新たな守護神が誕生したことを素直に喜んだ。
「白毛九尾のつぎの守護神か。良かろう。つまりは、シーラが我が神子になるという布石なのだからな!」
なにやらひとり納得している龍神を遠目に見やるシーラの憮然とした表情は、忘れがたいものがあった。
シーラは、ハサカラウに強烈なまでの苦手意識を持っているようだ。それもそうだろう。彼女としては、神子になどなりたくないのに、ことあるごとに神子になれと迫ってくるのだ。かといって、全力で否定して、敵に回られたくはないという想いもある。曖昧な返答をして、つけあがられたくもない。シーラの立場になって考えると、なんとも厄介な相手だ。
ともかくも、ザルワーン島は龍神ハサカラウという強力無比な守護神を得、セツナたちは極めて安心して方舟の旅に戻ることとなった。
目的地は、もちろん、西ザイオン帝国帝都シウェルエンド。
だが、道中、どうしても立ち寄らなければならない場所があった。
それは、ログノール首都マイラムだ。
仮政府からの使者として赴くのだ。
仮政府はログノールの存在を認知するとともに、仮政府とログノールの間に友好関係を結びたいと考えた。しかし、渡海手段を持たない仮政府には、ログノールと連絡を取る方法がない。そこで、方舟での旅に出るセツナたちに、一先ず、ログノール側に仮政府の意向を伝えておいて欲しい、と、書簡を託したのだ。ログノール側の意見は、セツナたちが帝国での役割を終え、龍府に戻ってくるときに受け取ってくれればいい、と、極めて気長に考えているようだった。
それくらいの気長さ、気楽さでなければ、やっていけないのかもしれない。
世界は、ばらばらになり、海によって隔てられた。かつてはすべてが地続きであり、隔てるものなど国境くらいのものだった世界に訪れた大きすぎる変化は、ひとびとの有り様にも様々な変化をもたらしている。
仮政府の気長さも、その一環かもしれない。
ログノール政府宛の書簡を胸に龍府を飛び立ったセツナ一行は、一日後にはログナー島に辿り着いている。そのままマイラムを目指し、五月十一日午前中には、マイラム近郊に着陸、マイラムまで馬で移動した。
これでも方舟の最大速度からするとかなりゆったりとしたものであり、方舟同士の戦闘以来、方舟の不調は未だ継続中とのことだった。マユリ神は方舟の不調を直そうと躍起になっているようなのだが、内部構造を把握するのも苦労しているようであり、どうも一筋縄ではいかないようだった。セツナたちにもどうこうできることではなく、ここはマユリ神に頼る以外にはなく、まさに神にも祈るような気持ちで、マユリ神を応援していた。
速度こそ以前のようには出ないものの、地上を馬で駆け抜けるよりは遙かに速く飛行できる上、地形に関係なく移動できるという点では代えがたいものであり、方舟はセツナたちの旅にはなくてはならないものだった。
また、方舟を降りると徒歩にならざるを得ないのを考慮し、龍府にて馬を購入、船内下層に厩舎も作っている。馬の世話は、ゲインとミレーユの役割であり、ミレーユは洗濯や掃除以外に自分のできる仕事が増えたと喜んでいた。ミレーユは、最愛の娘であるエリナの役に立ちたいと切望しており、そんな彼女のためにもなにかできることはないかと、セツナも考えていた。もちろん、戦闘要員ではないミレーユには、方舟を降りてもらうことが一番だったが、ミレーユの精神状態を考えればそれこそ一番ありえないことでもあった。
ミレーユは、エリナなしでは生きていくことも覚束ないくらい、弱り切っている。そんな精神状態の人物を方舟で連れ回す事自体あってはならないことだというのはわかっているのだが、エリナがリョハンに残るという選択もまたあり得ないことだった。致し方のないことだ。少しでもミレーユの精神状態を安定させるには、エリナの側にいて、エリナの役に立っているという実感を与えてあげることだろう。
ちなみに、だが。
方舟の乗船員は、この度、ひとりだけ増えている。
それがシーラだ。
龍府には、ほかにもセツナと行動をともにしたいというものが少なからずいた。エリルアルムがその筆頭であり、ユノなども、セツナの役に立ちたいといって憚らなかった。が、仮政府の一員である彼女たちを方舟に乗せて連れ回すなどできるわけもなく、彼女たちの熱意には悪いが、ザルワーン島に残ってもらうことにした。
シーラも、仮政府の一員といえばそうなるのかもしれないが、元々セツナの家臣である彼女には、仮政府よりもセツナと行動をともにすることのほうが大事であり、その優先順位の付け方も彼女の立場からすれば必然的なものだった。エリルアルムやユノとは、最初から立ち位置が違うのだ。
とはいえ、ザルワーン島が安定し、脅威がなくなれば、エリルアルムやユノを方舟に引き入れるのもやぶさかではない。特にエリルアルムは、ソウルオブバードの使い手として戦力的にも申し分なかった。
これから先、戦いは激しさを増すだろう。
戦力の補充、増強は、視野に入れておかなければならない。