第二千二百四十五話 戦後処理
マルウェール付近の戦場跡地にて戦後処理をしていた同盟軍にログナー方面の勝報が届いたのは、五月三日の夜中のことだ。
マルウェール付近で行われたネア・ガンディア軍との戦闘が同盟軍の勝利で幕引きとなってからというもの、仮政府軍、帝国軍の両軍は戦後処理に追われ続けていた。勝利したはいいものの、両軍ともに損失は大きく、特に帝国軍は半数以上の兵士が命を落としており、死傷者の数は、数え切れないほどのものとなっていた。戦死者の遺体を集めるだけでも大変な重労働であり、熾烈な戦いをやっとの思いで終わらせることのできた同盟軍兵士たちも頭を抱える事態になっていた。死者だけでも膨大な数だというのに、重傷者もかなりの数がいて、軽傷のものも含めると、一万人以上になることは間違いなく、戦後処理は、莫大な時間がかかるものと想われた。
特に帝国軍は、死者の亡骸をすべて保存し、帝国本土に送り届けて見せると息巻いていて、そのことが遅々として進まない戦後処理の原因となっていた。
ちなみにではあるが、死体の保存そのものは、決して難しいことではない。魔晶石を利用した保存技術が確立されてからというもの、遠方で戦死した兵士の亡骸を本国まで送り届けることさえ容易となっていた。もちろん、死体の数だけ魔晶石が必要であるため、必ずしも簡単なことではなかったし、運ぶのも容易くはないのだが。魔晶石の数さえ確保できれば、長期間、死体を腐敗させることなく保存することはできるのだ。帝国軍は、できるだけ多くの兵士の亡骸をそのままの状態で本国に持ち帰り、遺族に送り届けたいと考えているようだ。
見知らぬ異国で命を落とした兵士たちやその家族へのせめてもの対応といえばそうなるだろうが、だれにでもできることではない。帝国軍の指揮官であるレング=フォーネフェルがそれだけ兵士たちのことをよく考えているということであり、彼が指揮官として兵士たちに慕われているのも窺い知れる出来事のひとつだった。
仮政府軍は仮政府軍で、戦死者の遺体を龍府に運搬するための準備を進めており、こちらは、レングの影響を受けたから、というわけではない。元々、仮政府軍の兵士はザルワーン方面各地から掻き集められた連中なのだ。その亡骸の身元を調べ、後々、家族の元に送り届けるのは不可能なことではなかった。少なくとも、大海原を渡る必要のある帝国軍とは難易度に大きな差がある。
仮政府軍の指揮権は、現状、同盟軍総大将であるエリルアルムにある。エリルアルムは、戦後、休む間も惜しむようにして全軍の指揮を行っており、戦後処理に奔走していた。
ファリアはというと、戦闘によって疲れ果てたシーラとともに休養を余儀なくされていた。本心としてはエリルアルムの手助けをしたかったのだが、そういうわけにはいかないほど、身も心も消耗しきっていた。ファリアは、オーロラストーム・クリスタルビットの防御結界の構築と維持が決定的なものとなり、シーラはハートオブビースト・ナインテイルの発動および白毛九尾化が彼女に多大な負担を強いたようだ。エリルアルムも、ソウルオブバードの駆使によって消耗し尽くしているはずなのだが、総大将に任命されていることへの意地か責任感からか、疲労している素振りすら見せず、事後処理に当たっていた。
そんなエリルアルムの様子を見守ることすらできないほどだったファリアとシーラが、休養している場合ではないと跳ね起きたのが、夜中、龍神が雷鳴の如き大声とともに降り立ったからだ。龍神ハサカラウは、セツナを連れてログナー島へ向かっており、その帰還ということは、ログナー島の戦いになんらかの進展があったことにほかならない。疲れ果てながらも、ログナー島の状況については気が気でなかったファリアたちだ。龍神がシーラを探しながら降り立ったときには休養中だった天幕を飛び出していた。
星空も遠い夜の下、龍神ハサカラウの巨躯は、戦闘時よりもずっと小さく見えた。天を衝くほど、とはいわないまでも、人間よりも数十倍の体躯を誇っていたはずの龍神が、人間よりも二倍程度の大きさになっていたのだ。それに合わせ、背中の龍の首たちも小さくなっている。
それにはさすがのシーラも驚きを隠せなかったようで、まず疑問の声を上げた。
「なんで小さくなってんだ?」
「都合の問題だ」
「都合ってなんだよ」
「我が巨大化したのは、シーラ、汝と戦うためにほかならぬ。巨大な敵と戦うには、巨大な体が必要。故に我は巨大化し、汝とぶつかり合ったのだ。巨大な敵がいなくなれば、巨大なる体が不要となれば、本来の姿形に戻るのが道理」
「つまり、それが本来の大きさってわけか」
「そういうことだ」
龍神は厳かに頷くと、神々しい輝きを放つ肉体を誇った。夜の闇の中、ファリアたちが龍神の姿を発見できたのは、その主張の激しい、光を放つ巨体のおかげであり、きらびやかに発光するその姿は彼の性格に似てあくが強いものの、ありがたくもあった。シーラは、そんなあくの強さに辟易しているようだが、龍神がシーラにある種惚れてくれているおかげで物事がことのほか上手く進んでいるのだから、感謝してもいいだろう。
「……まあ、いいや。で、龍神様がこっちに戻ってきたってことは、ログナー側の戦いも上手くいったってことだよな?」
「そうだ。その報告がため、我は汝の元に戻ってきたのだ、シーラ」
「俺の元……って」
「龍神様、ログナーの戦いはどのように決着したのでしょうか?」
シーラが極めて嫌そうな顔をするのもわからなくはないが、ファリアは、龍神の機嫌を損ねたくないため、慌てて話題を振った。龍神がシーラの機嫌取りにこそ執念を燃やしているようだからいいものの、龍神の気分次第では、どのように変わっても不思議ではないのだ。場合によっては、再び敵に回ることだって、ありうる。セツナがいないいま、龍神が敵に回れば、ファリアたちは終わりだ。いや、セツナがいまここにいたとしても、立ち向かえるものかどうか。
セツナも、きっと消耗しきっている。まともに戦えるだけの余力は残っていまい。
「うむ。それについて、じっくりと伝えようではないか」
龍神は、またしても厳かにうなずくと、その場に座り込み、あぐらをかいた。小さくなったとはいえ、龍神があぐらをかくと、小さな山が目の前にできたかのような迫力がある。
事後処理をある程度終えたエリルアルムが合流したのはそのときで、龍神ハサカラウは、彼女の到着を待ってくれていたようだった。
ハサカラウによるログナー方面の戦後報告は、それほど長くはかからなかった。
ハサカラウがセツナを手に乗せて空を飛び、ログナー島についたときには、戦闘はほぼ決着に向かいつつあったというのだ。その上、セツナが飛び降り様の攻撃でもってウェゼルニルに致命的な一撃を叩き込んだものだから、ネア・ガンディアは撤退を余儀なくされた、という。
ログナー島に派遣されたミリュウたち四名のうち、だれひとり欠けることなく勝利を掴み取ることができたそうだ。しかも、ログナー島でミリュウたちに協力したひとたちがいて、それがシグルド=フォリアー率いる《蒼き風》や、魔王ユベルの支配下にある皇魔たちだという話を聞き、ファリアたちは顔を見合わせたものだ。シグルドの生存には素直に喜んだが、まさかログナー島に魔王の拠点があり、魔王配下の皇魔たちがシグルドらログナー島のひとびとと協力関係にあるとは、想像のしようもなかったことだ。
シグルドたちが最終戦争を生き残ったことについてはなんの疑問もない。しかしまさか、皇魔たちと協力し、ネア・ガンディア軍と対決するに至るほどの関係を結んでいるなどと、だれが想像しよう。そんなことを想像できるのは、空想家以外のなにものでもあるまい。人間と皇魔が手を取り合うこと自体、本来ならばあり得ないことなのだ。
アガタラのウィレドという前例はあるものの、それは特例中の特例だった。
無論、魔王ユベルが人間で、彼に“支配”された皇魔が人間に危害を加えるかどうかは、魔王次第だということはわかっている。それでも、魔王が人間に協力的な行動を取るとは、少々考えにくい話だった。
もっとも、実際にシグルドたちが魔王軍とともにミリュウたちに協力したというのだから、なにもいうことはないのだが。
これ以上に詳しい話は、セツナたちが戻ってきてから聞く以外にはなかったものの、ミリュウたちが生存しており、ログナー島からネア・ガンディア軍が撤退し、ログナー島が解放されたという事実が知れただけでも、ファリアたちにとっては十分だった。
「つまり、二方面作戦が無事成功したということね」
「多くの犠牲を払ったが、その価値はあった……ということでもあるな」
エリルアルムが、深くため息をつくように告げた。戦後処理に奔走していた彼女には、同盟軍の被害の深刻さが他人事ではないのだろう。ファリアだって、決して他人事などと想っているわけではないが、彼女ほど直接的な問題ではなかった。多大な犠牲を払ったのは事実だし、そのことについては深刻に受け止めているものの、疲れ果てていたファリアには考えている余裕がなかった、といえる。
「もし、二方面作戦を展開していなかったらって想うとな」
シーラが遠くを見るようにして、いう。
確かに彼女のいうとおりだ。
もし、二方面作戦を推し進めなければ、いまごろ、ログナー島はネア・ガンディア軍によって制圧され、シグルドたちもどうなっていたものかわかったものではないのだ。彼らが命を落としていた可能性だって、大いにある。
もちろん、命の価値に差などあろうはずもないが、払った犠牲に見合う分の勝利を得たのは間違いない。
そう、想わなければやっていられなかった。
龍神ハサカラウは、報告を終えると、シーラに神子になる気になったかと聞いたが、シーラは素っ気なく首を横に振った。シーラがセツナを捨てて神子になることなど、到底考えられることではないのだが、龍神には、そういった機微が理解できないのだろう。諦めることを知らない龍神は、いつか必ずシーラを神子にして見せると息巻いていた。
ひとの気も知らない龍神を見やりながら、シーラはただただ面倒だとため息をつくばかりだ。
そんなこんなで二方面作戦の成功に沸き立つ同盟軍陣地にセツナたちを乗せた方舟が到着したのは、翌五月四日、黎明のことだった。