第二千二百四十話 再会のログナー(五)
セツナたちがログノール首都マイラムを離れたのは、ドルカたちと会見した日の夜のことだ。
ドルカたちには会見後の会食を提案されたが、セツナの一存で断りを入れた。セツナは、仮にもガンディア王家の家臣であり、仮政府の一員なのだ。ログノール側に事情を説明するためとはいえ、マイラムにて国家元首と勝手に会談を行うだけでも問題のある行動と取られてもおかしくはない。その上、会食を行い、マイラムで一夜を過ごすようなことがあれば、龍府への帰還後、どのようなことをいわれるかわかったものではない。
グレイシアやナージュはなにもいわないだろうし、それどころかもっとしっかり休んでくればよかったのに、などといってくるだろうことはわかりきっているのだが、そんな素晴らしい指導者たちの気遣いとは別に、仮政府首脳陣や政府役員から疑問の声が上がってくることが容易に想像できた。グレイシアは、そういった雑音のような声を一蹴してくれるに違いないのだが、そんなことでグレイシアの手を煩わせたくないというのがセツナの考えだった。
エインもドルカも、セツナたちとの別れを惜しんでくれたばかりか、ログノール政府がログナー島の窮地を救った英雄に対し、なんのもてなしもできなかったと恥じ入るばかりであり、突如押しかけたセツナのほうこそ申し訳なく思ったものだ。
また、シグルドたちと話し合う機会も時間もなく、エンジュールに立ち寄るどころか、魔王に挨拶することもできなかったことは残念だったが、致し方のないことではあった。魔王もシグルドたちも、現状ではマイラム内を自由気ままに出歩くことの許されない立場であり、セツナたちが気楽に面会することは憚られていた。
「つぎに訪れられたときには、ログノール政府が全力でもってもてなさせて頂きますよ、セツナ様」
政府官邸を離れる間際、ドルカはそんな風にいって、セツナたちを見送ってくれた。
「その……セツナ様っての、やめてくださいよ。総統閣下」
「それならいっそ、総統閣下、というのも……」
ドルカが立場も忘れた発言をしようとすると、ニナが速攻で注意する。
「閣下」
「あ、いや、いまのは冗談……」
「ええ、わかっていますよ、総統閣下」
セツナが満面の笑顔で告げると、ドルカはなんともいえないような苦笑を浮かべた。そのすぐ右斜め後ろでニナが微笑む。ドルカとニナの関係は、ますます良好のようだ。エインとアスタルの夫婦仲も見るからに良好であり、セツナは、なんだかそれだけで幸福に包まれたものだった。
セツナにとっては、エインはもちろんだが、ドルカもそれなりに長い付き合いになる。そんなふたりがそれぞれに幸せそうな日々を少しでも送ってくれていることは、大きな励みとなったし、力にもなった。それがわかっただけでも、二島同時防衛作戦を強行した甲斐がある。もし、ログナー島を見捨てていれば、エインたちはどうなっていたか。想像するだに恐ろしい。
「まさか軍師様が結婚してたなんてねえ」
ミリュウが当てつけのようにいってきたのは、方舟へ向かう馬車の中でのことだ。レムが乗っかるのは、わかりきっている。
「それもアスタル様とでございますよ」
「びっくりだったね!」
「本当、びっくりもびっくりよ。知ってた? レム。あのふたりが影でこそこそ付き合ってたって話」
「まったく存じ上げませぬ」
エインとアスタルがふたりきりで会ったという話があったとしても、ガンディア軍や戦略に関する相談を行ったのだろう、としか思えなかった、というのもあるだろう。エインもアスタルも色恋とは無縁の人物として、軍関係者のみならず、多くのひとびとに捉えられていた。が、いまとなってみれば、それもそのはずだったのだ。エインの恋愛相手はアスタルで、アスタルの恋人がエインだったのだから、ほかに色気のある噂がでるわけもないのだ。盲点といえば、盲点だろう。
(まさに灯台下暗しって奴だな)
エインがログナー時代からアスタルに一目置かれ、重用されていたという話は有名であり、寵愛を受けていたとまでいわれていたことはだれもが知る話だ。しかし、アスタルはそもそも美少年を親衛隊としていたことから、アスタルだけが特別扱いを受けていたわけではないということもあり、あまり目立たなかったのだ。その上、軍団長時代から側近に美女を侍らせながら、色気の話のひとつもないエインが、アスタルと付き合っていたなどと、だれが思うものか。
セツナとその周囲の女性陣との関係性を熱烈に書き立てた新聞や情報誌も、エインとアスタルの恋愛模様についてはついぞ触れなかった。触れようがなかったのだ。ふたりの会議が逢い引きだったとは、周囲のものですら気づかなかったのだから、部外者に察しようもない。
「でも、なんで隠してたのかしら?」
「本人たちは隠してるつもりなんてなかったっつってただろ」
「どこがよ。どう考えたって、隠してたじゃない。やっぱり、世間体とか気にしてたのかしらね」
「あの世間体とは無縁のエインがそんなことを考えるとは思えねえよ」
エインが世間体を気にするような人間であれば、セツナの熱狂的な信奉者であるような振る舞いは避けようとするはずだ。セツナが英雄として祭り上げられる前から、彼は狂信的でさえあり、セツナの周りではしゃいでは関係無関係に関わらず、周囲の人間を困惑させたものだ。それが彼の評価に多少なりとも影を落としていないわけがない。もっとも、エインはそういった側面を含めてもガンディアにとって必要不可欠な人物だったこともあり、暗い影が牙を剥くようなことはなかったのだが。
「でも、将軍の立場を考えれば、あり得るんじゃないの? 策士だし。陰険だし」
「策士はともかく、陰険は少し違うだろ」
「そうでございます。確かに勝利のためであらばどのような策も用いる方ですが、それを陰険と呼ぶのはどうかと思います」
「そう? あたしには、そうは思えないけど」
と、ミリュウは、馬車の窓に顔を向けた。窓の外には、夜の帳が落ちたマイラムの町並みが広がっている。立ち並ぶ魔晶灯が夜の市街地を煌々と照らしていて、夜にしては明るすぎるきらいがあるが、かつてログナーの首都であり、現在もログノールの首都なのだからそれくらいの輝きは必要なのかもしれない。国の中心たる首都だ。常に明るく、輝かしいものであるということを内外に示すことは、重要だ。治安維持の面でも、必要不可欠なことではあるだろう。
ミリュウの意見もわからないではない。軍師としてのエインは、必ずしも単純明快な、ミリュウ好みの人物ではなかった。が、かといって彼女がいうような陰険さはなかったはずだし、彼女としても勢いでいっただけだろう。それを引っ込めるのが面倒になった、そんな雰囲気を感じ取って、セツナは、レムとエリナに向かって首を横に振った。
ミリュウのことを心配する必要はない。
彼女も疲れているのだ。
彼女だけではない。この馬車の中にいる五人のいずれもが、疲れ切っている。ミリュウも、レムも、エリナも、ダルクスも、消耗しきっている。無論、セツナもだ。それほどの死闘を乗り越えたのだ。
喜ぶべきだが、その喜びを言動に表すにも力がいる。体力、精神力も万全でないいまは、ただ、ゆっくりと休む時間が必要だった。
セツナが、馬車の適度な揺れの中に心地よさを見出したのも、きっと、限界に近い疲労感のせいだろう。
戦闘が終わったのなら、素直に方舟で眠りにつくべきだったのだ。
それをせず、ログノール政府との会見に向かったものだから、疲れを取る暇がなかった。
意識が穏やかに遠のいていく感覚の中、ミリュウが彼の肩に頭を乗せるのを認め、微笑んだ。
彼女の普段通りの態度を目の当たりにして、なにも問題はないと、そう思ったのだ。