第二千二百三十九話 再会のログナー(四)
疑問が深まる一方でしかないネア・ガンディアの話題を打ち切れば、つぎの話題となったのは、ログノールとガンディア仮政府についてのことだった。
ログノールの事情を知り、ドルカたちの話を聞けば聞くほど、セツナは彼らに肩入れしたくなってしまって困ったものだった。
ザルワーンのガンディア仮政府は、ガンディアの再興を目指している。それはつまるところ、ガンディア本国への復帰であり、またガンディアが最盛期に誇った版図の回復を目標にしているということだ。ガンディア王家を頂点とする国家を再興し、それによってこの混迷の時代に秩序の旗を打ち立てようというのが、グレイシアら仮政府首脳陣の意向なのだ。
つまり、ログナー方面もガンディア仮政府と手を結び、ガンディア王国の一員にしたい、と仮政府首脳陣は考えているに違いない。このたび、セツナたちの二方面同時作戦を了承したのだって、ログナー方面がいまもガンディアのものであるという認識があってのことだ。もし、ログナーがもはやガンディアの手を離れたと考えていれば、わざわざ戦力を割く愚を許すはずがない。
しかし、”大破壊”から二年以上もの時間経過は、ログナー方面のひとびとの考えに大きな変化をもたらしていた。彼らは、ログノールという新たな統治機構を作り上げ、ログノールの秩序の中で生きていく道を選んだ。それも、ようやく、安定し始めたところだという。彼らがそこに至るまでどれだけの辛酸を舐め、苦心の限りを尽くしてきたのか、想像しようもない。
「もちろん、セツナ様を始め、このログノール――いえ、ログナー島全土をネア・ガンディアの魔の手から護ってくださったことには感謝するほかありません。セツナ様方をログナー島に派遣することを決めた仮政府の判断にも、心からの謝意を示す所存です」
しかし、と、ドルカはいうのだ。
「ログノールはログノール。ガンディア王国の支配国でもなければ、属国でもありません。たとえガンディアが再興したとしても、その事実を覆すことはないでしょう。無論、再興したガンディア王国がログノールと友好的な関係を結びたいというのであれば、話は別ですが……」
「ログノール政府の考えはわかりますし、いまのところ、仮政府があなたがたになにかを求めているわけでもありませんよ。見返りもね。仮政府はログナー島の現状をなにも知らなかったわけですし」
「だから、セツナ様方を派遣した――ということもありますよね?」
エインの質問にうなずいて肯定する。
ログナー島の情勢は、皆目見当もつかない状況だった。”大破壊”によって大陸がばらばらになり、海がすべてを隔ててしまったのだ。海を渡る手段を持たない仮政府には、ザルワーン島の外の情勢など、把握しようもない。風の便りさえ、大海原を渡ることはないのだ。潮風に飲まれ、海の藻屑と消えるだけだ。
「ログナー島の現状とログノール政府の意向については、龍府に持ち帰り、太后殿下や皆様にお伝えすることとして、この話はこれで仕舞いにしましょう。太后殿下も王妃殿下も、ガンディアの再興を心の底より望まれておられるが、だからといって、ログノールの事情に耳を貸さないわけではないでしょう」
なにより、グレイシアやナージュが再興のために戦争を望むかというと、そうは思えなかった。グレイシアもナージュも王家の人間としての覚悟を持った人物だ。特にグレイシアは、国家元首としての立場にあって、その立場に見合った役割を演じることになんの躊躇いもなく、ガンディアのためであれば、多少の犠牲にも目を瞑るくらいの度胸があった。国のためならば、兵に血を流させることも厭うまい。とはいえ、ログナー島の事情を知れば、ログノール政府に対し、仮政府に従うよう命令するようなことはしないだろう。
グレイシアは、聡明な人物だ。少なくとも、状況を理解できない愚か者ではない。
そも、グレイシア率いる仮政府がガンディア再興のために事を急いでいるのであれば、帝国軍残党によるクルセルクの支配を見過ごすことはしなかったはずだ。いかな犠牲を払ってでも取り戻そうとし、その結果、多大な損失を被ることだってありえた。しかし、仮政府は、彼我の戦力差を理解すると、帝国軍に立ち向かうのは無謀だと判断し、ザルワーン方面の維持に全力を注いだ。
前例がある以上、仮政府は、ログナー方面に対しても同じ態度を取るに違いない、とセツナは踏んでいた。
ログナー方面がザルワーン方面と地続きならばまだしも、海を隔てた遙か彼方である以上、仮政府の保有戦力ではどうすることもできない、という絶対的な事実もある。方舟を持っているのはセツナたちだけであり、そのセツナたちは、両島がネア・ガンディア軍から解放されれば、帝国本土に向かうと仮政府首脳陣に了承も取っていた。
そういった事情から、たとえ仮政府がログノール政府の存在を容認できなくとも、すぐさま戦争に発展することはなかった。仮にそのような状況になり、仮政府首脳陣がセツナたちの帝国本土行きを取りやめるようにいってきたときは、そのときは、セツナにだって考えはある。
セツナは、確かにガンディア王家の家臣であり、いまも忠誠を誓っている。家臣である以上、グレイシアやナージュの命令には逆らえないのだ。
が。
「太后殿下や王妃殿下はそうでしょうが、全員が全員、ログノールを認めてくれるとは思えませんが」
「特にザルワーン人にとっちゃ、ログナー人ほど憎たらしいものはないだろうからねえ」
「そう? あたしは別にそうは想わないけど」
「そりゃあ、ミリュウ殿がザルワーン人の中で規格外だからさ」
「規格外……だって」
ドルカの発言に対しミリュウが嬉しそうな表情をこちらに向けてきたのは、彼女にとって望むところの評価だったからだろう。ミリュウは、ザルワーン人を忌み嫌っている。いまでこそある程度は受け入れられているようなのだが、出会ったばかりのころは、ザルワーンなど滅びてしまえばいいと宣っていたほどだ。そんな彼女にとって、自分がほかのザルワーン人とは違うという評価ほど嬉しいものはないのだろう。
「ザルワーン人の多くは、ログナー人なんて奴隷みたいなものとしか思っちゃいないんですよ」
「ガンディア時代を経ても?」
「ええ。ガンディアは、ザルワーン人もログナー人も分け隔てなく、対等に扱いました。それはログナー人の溜飲は下がりましたけど、ザルワーン人にとっては不愉快極まりないものだったに違いありませんよ」
「わたしが大将軍に選任されたときは、ザルワーン方面から不満が上がったものだ」
アスタルが遠い目をしていったが、セツナには、聞き覚えのない話だった。
「大将軍への選任に関してそんな話があっただなんて、まったく知らなかったな」
「そりゃあセツナ様はザルワーン人に対して偏見とかもっておられませんから」
「どういうことだよ?」
「意識でもしていないと、そういう噂が耳に入ってこないってことですよ」
エインが笑顔で告げてきたが、セツナには、さっぱりわからない話だった。ミリュウが肘で小突いてくるのだが、その意図も不明だ。レムがくすくすと笑い、エリナが困ったような顔をしている理由もだ。
「ログナー人はザルワーン人を極端に嫌っていますから、いやでも意識し、ちょっとした話が大きくなって聞こえてくるもんなんです」
「で、その結果、恨み辛みが増幅する、と」
「互いに、ね」
ドルカが肩を竦めると、隣に座っているニナも同じような仕草をした。
「なんていうか……厄介な話だな」
「複雑なものは複雑なまま、絡み合ったまま解決の糸口なんて見つからないんですよ。人間と皇魔のようなものです」
「人間と皇魔……ねえ」
「天敵ってことか」
ミリュウが天井を仰ぎながら、いった。ログナー人の立場的には、ザルワーン人は確かに天敵だったのかもしれない。
「ですが、皇魔の皆様方とは上手くやられておられたのですから、ザルワーンの方々とも……」
「ま、向こうが折れるというのなら、受け入れてやらなくもない、と考えるものもいるでしょうがね。実際のところ、支配者としてふんぞり返っていた連中が、被支配者に頭を下げるかというと、そんなことはありもしないことで」
「……そういうものか」
「皇魔と上手くやれているのだって、魔王陛下の尽力あってのこと。なにもかもが順調だったわけじゃないんですよ。いまだって、拒否反応は強い。魔王陛下の御家族や側近衆を匿っているのだって、俺が勝手にやったことですしね。ばれたら、そりゃあもう一大事だ」
「総統の座を降ろされかねませんね」
エインが苦笑交じりに告げると、ドルカは大真面目に言い返した。
「しかし、それだけの価値はあった」
「確かに」
アスタルが肯定し、セツナを見つめてきた。幾分若返ったように見える飛翔将軍のまなざしには、以前にもまして力強さがあった。エインとの結婚が彼女に活力を与えているのかもしれない。
価値とは無論、ログナー島からネア・ガンディア軍を撃退することができたことだろう。
リュスカ率いる皇魔たちの存在は、ミリュウたちの戦いに大きく寄与するものだったという話を聞いている。特に強力な魔法の使い手であるリュウディース、その女王であるリュスカは、ミリュウたち以上の戦力になった部分もある、とのことだった。
セツナ到着までの時間稼ぎには、皇魔の協力は必要不可欠だった、ということだ。
酷い綱渡りもあったものだ、と思わずにはいられないが、ネア・ガンディアとの戦いがそのようなものばかりなのは、最初からわかっていたことではあった。
ネア・ガンディアには数多くの神が所属している。
そして、獅徒なるものたちは、神に匹敵する力を持っていることもわかったのだ。
これから、戦いはますます激しくなっていくに違いない。