第二千二百三十八話 再会のログナー(三)
「いやはや……なんといっていいのやら」
ドルカは、開口一番、驚きを隠せないとでもいうように視線をさまよわせた。彼は、この二年で大きく変化していた。まず第一に片方の目に眼帯をしているのが目についた。最終戦争か”大破壊”が原因で失明したのだろう。顔つきは以前よりも精悍になっていて、元々整った顔立ちがより一層秀麗なものになっていた。これでは、ニナが心安まるときがないのではないか、というくらいの美丈夫だ。
ただ、体格は、二年前のほうががっしりしていただろう。大軍団長にまで上り詰めながら、戦場を駆け回る場面を想定し、日々の鍛錬を怠らなかった二年前とは異なり、いまは鍛錬に費やす時間さえ惜しいほど、政務にいそしんでいるのかもしれない。総統という立場上仕方のないことだ。痩せて、礼服がよく似合う体格になったのは皮肉なのかどうか。
「まずは、互いの無事を喜び合いましょう。ログノール総統ドルカ=フォーム様。いや、閣下、と、お呼びしたほうがよろしいですか?」
セツナが恭しく挨拶をすると、ドルカは、ぎょっとしたように身を強ばらせた。そして、愛想笑いを浮かべてくる。
「ははは……なんていうか、その……それにはいろいろと訳がありましてね。こっちも大変だったんですよ、セツナ様」
彼の言葉のひとつひとつに込められた実感には、彼がこの二年余り、セツナには想像のつかないような苦労があったことを感じさせた。最終戦争末期、ログナー方面はヴァシュタリア軍によって蹂躙され、制圧されたのだ。”大破壊”によって大陸がばらばらになったからといって、ヴァシュタリア軍残党による支配は終わらなかったという。そこからログナー方面のひとびとをまとめ上げ、ひとつの国を作り上げるなど、簡単なことではない。血の滲むような努力があってこそのものだろう。
「……そりゃあ大変でしょう。”大破壊”以降、混乱した状況を収束させ、ひとつの統治機構を作り上げ、安定させるだなんて。並大抵の努力じゃあできない」
「ひとりの人間の手でも、ね。俺は、ただ担ぎ上げられただけでね。ほかのことは、将軍や参謀を始めとする皆に任せっきりで」
「またまた冗談ばっかり」
エインが口を挟むと、ドルカが心外そうな顔をした。彼は、半ば本気でそう想って、発言したのだろう。
「そんなことはないだろう?」
「いやいや。総統閣下があったればこそのログノールですよ。ねえ、将軍閣下?」
「参謀殿のいうとおりです、総統閣下。あなたがいなければ、ログノールがこうも早くひとつに纏まることはなかった。それは、だれもが認めること。卑下なさるな」
「……まあ、そういってもらえるのは嬉しいことだし、声を大にして認めたいところだが、実際のところ、俺ひとりじゃあなにもできなかったのも事実なんでね。ここは、みんなのおかげ、ということにしようじゃないか」
「ははーっ、閣下の仰せのままに」
エインが冗談めかしくお辞儀をすると、さすがのドルカも苦笑せざるを得なかったようだ。そんな彼とエインのやり取りを微笑みながら見ているニナの様子もまた、大きな変化のように想える。ニナといえば、鉄面皮が代名詞だった。公的な場で彼女が笑ったところを見たことがないくらい、彼女は表情を隠し続けた。そんな彼女が普通に笑っていられるのだから、ログノール政府の現状がいかに素晴らしいものであるかを端的に示しているような気がした。
(なんていうか、本当、国家元首みたいね)
(みたい、ではなく、国家元首でございますよ、ミリュウ様)
(そうだけど、なんていうか、以外っていうかさ)
ミリュウとレムの小声でのやり取りを聞きながら、セツナも、ドルカの指導者としての振る舞いの立派さには感心していた。ドルカは、軍団長時代から配下の軍人たちにはとにかく好かれ、慕われる傾向にあった。それは彼の生まれ持った人心掌握術によるものであり、彼が特別なにかをしたわけではないということは知っている。それを総統になったいまも続けていて、ログノール政府の役人や軍人たちも、自然に掌握していったに違いない。
互いの無事を確認し合い、喜び合ったのも束の間、セツナたちは、なぜこの場にいるのかを説明するため、場所を移すことを提案した。大広間では、ゆっくりと話し合うには少々不釣り合いに思えたからだ。ドルカはセツナの提案を了承すると、セツナたちを応接室に案内してくれた。
応接室には、ドルカ、エイン、アスタル、ニナ以外の政府高官、軍将校は同席しなかった。
「あまり親しくない人間がいると、気を使いますからね。席を外してもらいました」
とは、ドルカの談。総統みずからの気遣いに恐縮しつつも、セツナたちはその判断を有り難がった。政府高官たちにとっては噴飯物かもしれないが、セツナたちとしてみれば、あまりよく知らない人物の前で寛ぐことはできないのだ。
皆、いまも疲れ切っている。こうして足を運んだのだって、無理をしてのことなのだ。それをエインはわかりきっているから、ドルカに皆に席を外させるよう提案したようだ。そしてドルカは、セツナたちに思う存分寛いで欲しい、とまでいってくれている。話など二の次でいい、と。
セツナは、そんな彼らの気遣いに感謝しつつも、まずは、先ほど終わったばかりの戦いについての話すこととした。ネア・ガンディア軍の獅徒ウェゼルニルと神ハストスを撃退することに成功し、ログナー島からネア・ガンディア軍が撤退したこと。また、同日、ザルワーン島においても、ネア・ガンディア軍を蹴散らし、撤退せしめたという事実も話した。
当然、ドルカたちは大いに驚いた。
ネア・ガンディアなる軍勢が本当のところなにものなのか、ということについては、ドルカたちもなにも知らなかったのだ。ただ、突如として現れ、ネア・ガンディアを名乗るとともに宣戦布告をしてきたものだから、ログノール政府は、対策に追われていたらしい。しかし、対策を練っている間にログナー島の各地が落とされ、ついにマイラムが狙われるかもしれないとなったとき、起死回生の策として三者同盟の特攻部隊が結成された。その特攻部隊が乗り込んだのが、まさかのミリュウたちの方舟であり、そこでエインたちはミリュウたちから様々な話を聞いたとのことだ。
エインは、そのとき、ドルカに相談しなかったのではなく、できなかったのだ、と弁明した。エインたちが方舟に乗り込んだ直後、エンジュールの敵方舟が動き出している。相談する時間も、報告する時間もなかった、とは、ミリュウの弁。ドルカも、結果的にエインの判断が正しかったのだから問題はない、と明言した。特攻作戦に関してはエインに一任している以上、現場での判断はエインが下すべきであり、いちいち確認を取る必要はない、とも。
獅徒ウェゼルニルの正体が、傭兵集団《白き盾》幹部ウォルド=マスティアだということをセツナが知ったのは、ミリュウが発言したからだ。もっとも、ミリュウがそのことを知ったのは、シグルドたちから聞いたからだそうだ。ミリュウは、ウォルドと面識がないか、あっても覚えていないとのことだ。
「獅徒ウェゼルニルの正体がウォルド=マスティア……か」
「あまり驚いてないわね?」
「ミズトリスの正体がイリスだったのを確認したからな」
「イリス?」
「《白き盾》団長クオン=カミヤの懐刀と呼ばれた方でございますね。確か、アーリア様、ウル様の姉妹だったかと」
レムの記憶力の良さに驚きつつ、セツナは肯定した。そして、ネア・ガンディア軍において指揮官のような立ち位置にいるらしい獅徒たちが、もしかすると、かつてクオンが率いた傭兵集団《白き盾》の幹部ばかりなのではないか、という推論を述べた。
その推論はまずひとつの仮定から成り立っている、という危うい代物だが、セツナは確信に近いものを感じていた。その仮定というのは、ミズトリスやウェゼルニルら、ネア・ガンディア軍において指揮官級であるらしい純白の甲冑を纏ったものたちが、獅徒と呼ばれるものたちだという仮定だ。その仮定の根拠といえば、白甲冑を纏っていたミズトリスもウェゼルニルも獅徒と名乗っているという程度のものに過ぎないが、推論自体、それほどたいしたものではないのだから、構いはしないだろう。
その仮定の上で、獅徒が《白き盾》幹部なのではないか、という推論に至ったのは、単純な理由からだ。
第二次リョハン防衛戦にて遭遇した、獅徒の長と思しき人物がクオンだったからにほかならない。
そして、クオンにもヴィシュタルという獅徒としての名前があった。
「クオン率いる《白き盾》は、最終戦争においてはヴァシュタリア軍とともに行動していた。しかし、その目的は、ヴァシュタリアの神である至高神ヴァシュタラのものとは大きくかけ離れていた。クオンは、ヴァシュタラの、いや、すべての神々の思惑を止めるため、世界の破滅を食い止めるために秘密裏に行動を起こした。それは、ヴァシュタラへの裏切り行為であり、ヴァシュタリアへの背信行為にほかならない」
神々を出し抜くのは、簡単なことではなかったはずだ。しかし、絶対無敵の盾シールドオブメサイアがそれを可能としたのだろう。神々の目をも欺くには、シールドオブメサイアが必要不可欠だったともいえる。だからこそ、クオンだったのだ。クオンでなければならなかったのだ。
「それでも、クオンはやり遂げたんだ。だから、神々の悲願たる聖皇復活はならなかったんだ。だから、世界は滅びなかった。だから、俺たちはここにいる」
ドルカたちはわけがわからないといった表情を隠さなかったが、セツナは構わなかった。推論自体、自己完結しているようなものだ。
「だったらなぜ、クオンはいま、ヴィシュタルなんて名乗ってる?」
疑問ばかりだ。
答えの出ない疑問ばかりが、セツナの頭の中を渦巻いて、混乱させた。