第二千二百三十七話 再会のログナー(ニ)
方舟がログノール首都マイラムの正門前に着陸すると、ログノールの軍隊が重武装でもって出迎えてくれた。
もちろん、セツナたちを受け入れるための出迎えなどではない。万全たる迎撃態勢であり、方舟を敵として、ネア・ガンディア所属のものとして認識している故の反応だった。
方舟は、セツナたちが乗っているとはいえ、ネア・ガンディアの方舟となんら変わらない代物なのだ。マイラムからはこの方舟とネア・ガンディアの方舟がぶつかり合った様子もよくわからなかっただろうし、ネア・ガンディアの連中が引き上げたことも知る由もない以上、迎え撃とうとするのは当然のことだった。
「まあ、勝てる要素はないんですけどね」
エインが卑屈になるでもなく告げてきたのは、厳然たる事実だからだ。
「この船に乗り込んだのだって、勝算があったわけじゃありませんし」
「おいおい軍師殿、そいつぁ本当かよ」
「ほかに方法がなかったから、あんな博打に出るしかなかった。博打だから、極めて勝算が薄いから、俺も同行した。まあ、結果はご存じの通り。なにもかも想像以上に上手くいったのですから、なにもいうことはありませんよね」
「そりゃあ……まあ、な」
「味方の損害は皆無。驚くべき戦果ではありますな」
ジン=クレールが苦い顔をしたのは、エインに皮肉のひとつもいいたかったからだろう。実際には、三者同盟は彼に皮肉もいえないほどの大勝利を納めている。もちろん、その勝利はミリュウたちの活躍があってこそのものであり、三者同盟の戦力だけでは返り討ちに遭うのが関の山だったのは紛れもない事実だ。たとえ、彼らが乗り込んだこの船がネア・ガンディアのものだったとして、神を動力とする船をこれだけの戦力で落とせるはずもない。まず、乗り込めたものかどうか。
エインたちが方舟に乗り込めたのは、リュスカの空間転移魔法のおかげではなく、マユリ神が彼らを招き入れたからなのだ。でなければ、彼らは空間転移に失敗し、方舟内への侵入さえ果たすことができなかっただろう。なぜマユリ神が彼らを受け入れたかといえば、利用価値がありそうだったからだ、そうだ。実際に利用価値はあったのだから、なにもいうことはない。彼らの協力がなければ、ミリュウたちは時間稼ぎもできないまま、ウェゼルニルに押し負けた可能性がある。
もっとも、ウェゼルニルは終始力試しをしていたようであり、セツナの到来を待ちわびていたということもあり、案外、シグルドたちの協力がなくともなんとかなったのではないか、という話もある。
搬入口から夕日に照らされたマイラムの町並みを見やり、マイラムと方舟の間に横たわる荒野に並び立った軍隊に視線を移す。重装備の兵士たちは、方舟の巨大さに威圧され、戦々恐々としている様子だった。人間ばかりの軍勢に皇魔の姿はない。リュスカの話によれば、彼女たち皇魔がマイラムに身を潜めているのは、どうやら極秘事項であるらしい。いまも、リュスカたちは搬入口の奥に身を隠している。リュスカたちコフバンサールの皇魔がエイン主導の極秘任務に同行したとあれば、大問題になりうるからだ。
三者同盟の絆というのは、深いようで浅いらしい。ちょっとしたことが問題となり、せっかく結びついた絆を破りかねないということで、エインたちも気遣わずにはいられないのだ。
「では、俺が先に行って、話をつけてきましょう」
「ああ、よろしく頼む」
エインはログノールの兵士たちだけを引き連れ、搬入口から降りていった。大盾を構え、あるいは弓に矢を番えた兵士たちが船から降りてきた人間の姿を確認するなり緊張を走らせていくのが遠目にもわかったが、その先頭を進む人物がエイン=ラナディースであり、ログノールの軍人たちが同行していることがわかると、つぎつぎと武器を下ろしていった。ほっとした安堵の息が、遠く離れたセツナの耳にも聞こえるほどだった。
リュスカたちは無論のこと、シグルドたちもついていかなかったのには、事情があるとのことだ。
「ログノール……か」
「どうした?」
「ここはもう、ガンディアとは完全に離れちゃったのね」
「……まあ、そういうもんだろう」
ザルワーンは、仮政府を中心に、ガンディア本国への帰属、あるいはガンディアという国の再興を掲げていた。が、それは、ザルワーンの中心都市である龍府にガンディア王家の人間がおり、太后グレイシア・レイア=ガンディア、王妃ナージュ・レア=ガンディアを筆頭にガンディアへの帰属意識の強いひとびとが指導者として先頭に立っていたからだ。それにザルワーン人の大半が、五竜氏族時代よりもガンディアによるザルワーン統治時代を支持しているという事実があり、五竜氏族がザルワーン再興を掲げたところで、どうにもならなかったというのがある。
その点、ログナーは違った。
元々、ガンディアの隣国であり、ガンディアと長らく敵対し、直接やり合ってきたログナーには、ガンディア統治時代にも反ガンディア精神を持ったひとびとが多くいた。ログナー解放同盟などの反政府組織が壊滅した後も、地下に潜って熱烈に活動していたものたちが、ガンディアから解放されたといってもいい現状を喜ばないわけがなかった。もちろん、ログナー人全員がガンディアを否定していたわけではない。大半は、ザルワーンのようにガンディアの統治時代を肯定していたし、ガンディア国民としての自分を受け入れてはいた。しかし、ガンディア本国との連絡が取れなくなれば、話は変わる。もはやガンディア本国の庇護を受けられないとなれば、ログナー人としての価値観を取り戻すのも無理からぬことだ。
しかも、先頭に立っているのがガンディアにおいて大軍団長にまで上り詰めたドルカ=フォームに、かつてログナーにおいて国民の圧倒的支持を得ていた飛翔将軍アスタル=ラナディースとなれば、ログナーのひとびとが新たな統治機構に興奮するのも必至だった。
そうして設立されたログナー島最大の勢力であるログノールと、一地方都市に過ぎないはずのエンジュールが対等に渡り合っているという事実には、さすがのセツナも困惑を隠せなかったものだが。
しかも、エンジュールは、いまもなお、セツナを領伯と仰いでいるというのだから驚きだ。マイラムやバッハリアがガンディア本国との決別を決断し、新たな統治機構を組織したのとは真逆といっていい。それはまさに時代を逆行する動きであり、セツナは、シグルドたちの話しぶりに目を細めたものだ。そこには、あるふたりの人物の意向が強く働いている。
エンジュールは、司政官ゴードン=フェネックと“守護”エレニア=ディフォンを頂点とする一時政府によって運営されているというのだ。もちろん、ゴードンのことはよく覚えているし、いまもなお健在で、エンジュールのことをよく見ているという話には感動すら覚えた。エレニアが“守護”という聞き慣れない立場なのは、彼女がエンジュールを最終戦争から守り抜いたからであり、エンジュールのだれもが彼女のことを守護者や守護神と敬っているとのことだ。かつてはセツナの暗殺未遂事件の実行者であり、エンジュールのひとびとにも忌み嫌われていた彼女が、いまやエンジュールの代表的な立場になっているというのは、不思議というほかなかった。
いずれ、エンジュールにも顔を出し、ゴードンとエレニアに逢いたいものだが、いまは目先のことに意識を向けなければならなかった。
ログノールの軍隊が迎撃態勢を解き始めたことから、エインが軍隊の指揮官に話を通したことが窺い知れた。
やがて、馬車がやってきたかと思うと、エインが飛び降りてきて、セツナたちに乗車するように急かした。無論、リュスカたちもだ。
ちなみに、だが。
龍神ハサカラウは、一足先にザルワーン島に戻っている。シーラの評価が気になる龍神には、ログナー島が無事ネア・ガンディアから解放されたことを知らせる伝令役を買って出てもらったのだ。シーラが喜ぶだろうといえば、ハサカラウは喜び勇んで空を飛んでいった。
扱いやすい神もいるものだ、と、セツナたちにしてみれば扱いやすい女神が肩を竦める様を、セツナたちはなんともいえない顔で見守ったりした。
マイラムの中心に聳えるかつての王城は、現在、ログノールの政府官邸として利用されており、セツナたちを乗せた馬車が一直線に向かったのもその政府官邸だった。”大破壊”の影響がいまも散見される都市の真っ只中を通り過ぎ、マイラム城の修復中の外観に懐かしさと妙な安心感を覚えた。マイラムは、ログナー方面を通過する場合、宿として利用することが多く、セツナのような立場の人間は城に寝泊まりすることも少なくなかったのだ。
城は、先もいったようにログノール政府の所有物であり、ログノール政府の役人やログノール軍の軍人たちによって支配されている。もはやガンディア王国とはなんの関わりもなくなってしまったといってよく、セツナは、納得し、理解したとはいえ、少しばかり複雑な心境になった。
エインに誘われるままに馬車を降りたセツナたちは、ログノールの軍人たちに見守られる中、城内に向かった。リュスカたちは、いない。城に至る前、城外の離れにある殿舎の前でを秘密裏に馬車から降ろしたからだ。リュスカたち皇魔を城内に迎え入れれば大騒ぎになるだけでなく、ドルカの責任問題にまで発展しかねないというのだ。三者同盟が聞いて呆れる、とはシグルドの意見だが、ログノールのひとびとの心情を刺激したくないというリュスカの意見には、彼も押し黙らざるを得なかった。ルニアというリュウディースが、シグルドに微笑みかけたのが印象的だった。
仕方のないことだ。
人間と皇魔はわかり合えるものではない、と、だれもが信じている。それは染みついた信仰以上に根深く、遺伝子の奥底に刻みつけられているといってもいいほどのものなのだ。皇魔と遭遇すれば、潜在的な恐怖が喚起され、神経を逆撫でにされるような感覚に襲われる、というのもそれだ。この世界に生きるひとびとにとって、皇魔とは恐怖の象徴であり、天敵そのものなのだ。
魔王ユベルのような特異な能力に目覚めでもしない限り、そう簡単には受け入れることはできないだろう。
セツナたちは、皇魔に多少の免疫がある。特に皇魔と長い時間を過ごしたミリュウやエリナは、皇魔の中にも人間と共存できるものたちがいると確信すらしているほどだ。故にシグルドの意見もわかるのだが。しかし、シグルドがなぜそこまで皇魔に肩入れするのかは、わからない。
シグルドたちも、獅子殿で降りている。彼らもドルカの独断によって匿われている身分であり、あまり人目につくのは歓迎されないからだ。
そうして、セツナたちだけがログノール政府官邸たるマイラム城に入っていった。
かつて謁見の間として利用されていた大広間に、ドルカ=フォームたちは待っていた。ドルカだけではない。ドルカの副官として常に側にいたニナ=セントールの姿もあれば、アスタル=ラナディースもいた。ガンディア時代、ログナー方面の司政官だったものたちも、ログノール政府の高官としての立場を明確にするかのように、そこにいる。顔こそ記憶にあるが、名前はほとんど覚えていない。
ドルカは、エインに率いられるセツナたちを目の当たりにしてか、目をぱちくりとさせた。驚きのあまり、言葉も失っているといった風情だ。もしかすると、エインはドルカを驚かせるため、報告をしなかったのではないか。ふと、エインを見れば、彼はにこにこしていて、セツナの推測が正しかったことを伝えてくるかのようだった。