第二千ニ百三十六話 再会のログナー
「へぁっ!?」
方舟に戻って早々、出入り口代わりの搬入口で待ち受けていた人物は、セツナの顔を見るなり、驚きのあまり素っ頓狂な声を発した。彼は、絶句したまま、セツナたちが近づいてくるのを見ていることしかできず、彼の頭の中が真っ白になっているらしいことが窺い知れて、セツナは内心苦笑するしかなかった。
セツナが驚かなかったのは、シグルドたちからエインが船で待っているという話を聞いていたからにせよ、エインの驚き方は、異様というほかない。いや、彼が多少なりとも驚くだろうことは想像していたし、どれくらい驚くのだろうとミリュウたちと話し合ったりもしたのだが、彼の驚きようは、セツナたちの想像を遙かに超えたものだった。
「いくらなんでも驚きすぎだろ、エイン」
エインは、相変わらずの童顔であり、背格好はあのころとほとんど変わっていなかった。二年前より多少痩せているように見えるが、誤差の範囲かもしれない。いや、違う。彼の童顔は、二年前よりもさらに磨きがかかっているようだった。年を取っているはずなのに、むしろ若返っているのだ。十代前半といっても通用する童顔には、セツナも胸中で驚くしかない。
「そうよ、あたしたちがきたんだから、セツナが来ることくらい、予想できるでしょ。軍師様ならね」
「……はっ」
「どうした?」
「これは、夢なんかじゃあないですよね?」
エインが駆け寄ってくるなり、セツナの手を掴んだ。それから、まるでセツナの実体を確かめるようにべたべたと触りまくってくるエインに対し、ミリュウがむっとしたように睨み付けたが、エインにはまったく効果がない。
ちなみに、だが、レムはぼろぼろになった女給服をマユリ神の神業によって修繕され、だれに見られても恥ずかしくない状態になっている。でなければ、いくらレムでも歩き回れたものではないからであり、マユリ神の気遣いぶりには頭が下がった。
「は? なにいってんだか」
「いやだって、セツナ様ですよ!? セツナ様がなんでここに……」
「なんでって、そりゃあ、ログナーが大変そうだからだな」
セツナがエインの手の握力に辟易していると、ミリュウが隣で半眼になった。
「そういうこと、最初に説明したわよね」
「はい。ミリュウ様に似合わず、丁寧に説明されたこと、このレム、しっかりと聞き、記憶しております」
レムが慇懃無礼にもほどのある言い方をすると、さすがのミリュウも聞き逃せなかったのだろう。目線をエインに集中させたまま、鋭くいった。
「レム」
「はい」
「なにかいいわけは?」
「なにがでございましょう?」
「あたしに似合わず丁寧ってどういうことなのかなあ?」
「それはもちろん、褒め言葉にございます」
「へえ? どこがあたしを褒め称えているのかしら」
「いつもならば説明なんてまどろっこしいことは省略するであろうミリュウ様が、御主人様のためとあらばすっ飛ばすこともなく懇切丁寧に説明されたことをお喜び申し上げ……」
「てい」
「ああん」
レムは、ミリュウに頭を軽く小突かれながらも、どこか満足げな声を発した。ふたりがただじゃれ合っているだけなのは、だれの目にも明らかだ。エリナも心配するどころか、「むしろふたりの気の置けない関係性をうらやましげに眺めていた。
「これくらいで勘弁してあげる」
「なんとお優しい……」
「そこで感動するのか……」
「そこ、感心するところか?」
目を潤ませるレムを見つめるマユリの反応に、セツナはなんともいえない気持ちになった。ミリュウとレムのじゃれ合いそのものは見慣れていることだし、特にいうこともないのだが、そんなふたりのやり取りを大真面目に受け取るマユリの存在は注目に値するというべきか。
「いやでも、だからって、セツナ様がみずから出向いてくださるだなんて想わないじゃないですか! 俺の読みが浅かったとか、そういうことではないでしょう!?」
「なにを力説してるのか知らんが、奥に行くぞ。話はそこでしよう」
「あ、は、はい……!」
「なんで感極まってんの」
「エイン様は、御主人様の熱狂的な信奉者でございましょう? ミリュウ様と競い合うほどの」
「……まあ、ね」
懐かしい話だ。
エインがどういうわけがセツナの熱狂的信者として、セツナの目の前に現れたのは、ミリュウと交戦するよりずっと前のことだ。ザルワーン戦争開戦直後、制圧後のナグラシアで彼と出会ったことを覚えている。ログナー人である彼がなぜ、憎き敵国の、それもログナー人にとってもっとも忌み嫌うべき存在であるはずのセツナを熱烈に支持し、信者と成り果てたのかについては、理由を知ったいまもよくわかってはいない。同僚を造作もなく殺していく敵を目の当たりにして、憎悪ではなく、崇拝の対象を見出すなど、普通の精神構造ではないだろう。
確かに、彼のような人間は、普通の精神構造をしていれば生まれようのない人間かもしれない。軍師の才覚というのは、極めて希有であり、得難いものだというのだ。性格面や、精神面に異常性があって当然なのかもしれなかった。
方舟内の大広間へ向かう最中、エインから驚くべき話を聞いた。それは、彼が結婚し、ラナディース姓を名乗っているということだ。つまり、アスタル=ラナディースと結婚しただけでなく、ラナディース家の婿養子となったという事実には、さすがのセツナも驚きを禁じ得ない。二年以上が経過し、ますます童顔に磨きがかかっている彼が結婚することもそうだが、その相手がまさかのアスタル=ラナディースだったのだから、セツナでなくとも仰天するだろう。
ログノールでも、国家設立以来の一大事件として世間を騒がせたものだという。
ログノール。
このログナー島における最大の勢力であり、かつてのログナーの再興を掲げ、ログナー人を中心に作り上げられた国家だという。ログナーの名残をたぶんに匂わせる国名からも想像がつくことではあるが。
ログノールが誕生したのは、無論、”大破壊”によってガンディア本国と連絡が取れなくなった上、マルスールよりログナー島全域の支配を目論んでいたヴァシュタリア残党と対抗するためには、ひとつの強力な組織を作り上げる必要に迫られたからのようだ。ガンディア本国との連絡が取れない以上、ガンディアの威光に頼ることも、本国の救援を頼みにすることもできなくなったひとびとは、ガンディアに代わる統治機構としてログノールの設立に踏み切った。そのとき、先頭に立ったのがドルカ=フォームだというのだから、人間というものはわからないものだ。
ガンディアの一軍団長時代のドルカについてはよく知っているし、責任感もあり、野心的な人物だということは把握していたが、まさか”大破壊”後の混乱(これについてはセツナは話でしか知らないことだが)の中で率先してひとびとを纏め上げ、新たな統治機構を立ち上げる指導者的立ち位置に納まる人物だとは想いも寄らなかった。
シグルドやリュスカ曰く、ドルカはログノールになくてはならない人物であり、彼がいなければいまのログナー島はなかっただろうというほど、高く評価されていた。ドルカとは、それなりに親しくしていたこともあり、彼が評価されていることには感動すら覚えるのだが、不思議な気持ちもあった。
もっとも、シグルドは、エンジュールに所属しているといい、リュスカは魔王ユベルを頂点とする皇魔集団コフバンサールに属しているということであり、彼らが行動をともにしているのは、ドルカが中心となって作り上げた三者同盟のためだということだった。
エインは、三者同盟軍の軍師として、この度のネア・ガンディア軍撃退作戦を立案、作戦責任者として従軍した結果、この方舟内に取り残されることになったのだ。
セツナたちは、疲れ切った体を広間の長椅子に埋め込み、エインたちとの再会を喜び、時間の許す限り話し込んだ。限りない消耗も疲労も、懐かしい顔触れとの再会の喜びによって掻き消されたといってよく、セツナは、その心地いい喜びの嵐の中で笑顔を絶やさなかった。