第二千二百三十三話 魔法遣いの意地
視界を塗り潰したのは、白。
純然たる白が閃光となって視界を染め上げ、網膜を一瞬にして白く焼き付けていった。白以外、ほかの色彩はなく、世界そのものが白く終わったのではないかと想うほどの光だった。激しく、苛烈に荒れ狂い、暴走し、咲き乱れ、震撼させる。天が揺れ、地が踊った。大気が燃え上がり、見境なく吹き荒れた衝撃波は術者自身をも吹き飛ばす。リュウディースが魔法で保護してくれなければどこかで頭を打ち付け、気を失ってしまったのではないか、と確信するほどの反動。
ウェゼルニルの防御力を突破するべく、威力だけにすべてを注ぎ込んだ結果、制御がおざなりになったという事実から目を背けることはできない。が、その分、威力は折り紙付きだ。これまで、ミリュウが行使したあらゆる擬似魔法と比べるべくもないほどの破壊力を誇っている。また、威力を底上げするために効果範囲も絞っている。ダルクスが作り上げた重力渦の中心部にすべての力が集中するように術式を構築した。そのため、たとえ制御が不確かでも、効果範囲外への影響は最小限度に収まっている。ミリュウたちが吹き飛ばされる程度で済んだのそのためだ。
音は、聞こえなかった。
超絶的な爆発が起こったはずだし、そのことは連鎖的な衝撃波の乱舞でもわかったのだが、音だけは、耳に届かなかった。耳が音と認識するのを拒むかのような轟音が鳴り響いたのかもしれず、あるいは鼓膜が潰れたのではないか。そんな不安は、つぎの瞬間に消し飛んだ。
「だいじょうぶですか? ミリュウ=リヴァイア殿」
ミリュウを受け止めてくれたらしいリュスカが話しかけてきたからだ。
「え、ええ……」
未だ真っ白に染まった視界が静かにゆっくりと正常化していく中、鼓膜が破れていなかったという事実に安心し、ほっと息をつく。それから手足の感覚を確かめ、手にラヴァーソウルが握られている事実を認める。だいじょうぶ。なんの問題もない。
「師匠、レムさん、だいじょうぶなのかな?」
エリナが疑問を発してきたことで、彼女の安否もわかる。どうやらリュスカはミリュウだけでなく、エリナも庇ってくれたようだ。無論、ミリュウは最初からリュスカたちを当てにしていて、だからこそ、威力にすべてを注ぎ込んだ擬似魔法の発動などという賭けにでることができたのだが。発動後の保証もなく、賭けにでることなどできない。
「レムが死ぬわけないでしょ」
とはいいながらも、内心ではレムの安否が気にかかって仕方がなかった。
圧倒的な戦力を誇るウェゼルニルを相手に戦う上で重要なのは、いかに強力無比な擬似魔法を正確に叩き込むかだ。だれかが囮役となってウェゼルニルたちの注意を引きつける必要があるのだが、ウェゼルニルたちの戦闘力の関係上、ミリュウたちのうちだれも囮として機能しようがなかった。擬似魔法の要であるミリュウは無論のこと、ダルクスだって、シグルドだって、レスベルたち、リュウディースたちだって力不足だ。思惑に気づかれた瞬間、一蹴されかねない。
レムがあのとき、黒き矛と眷属に似た力を発現させなければ、レムと”死神”たちでさえ不足だったかもしれない。それくらい、ウェゼルニルは強敵だった。故に、レムの出番でもあったのだ。レムは、死なない。不老不滅の存在だ。たとえウェゼルニルに致命的な一撃を叩き込まれたとしても、セツナがいるかぎり死ぬことがない。彼女ほど囮役に最適な人選はなく、その上、ウェゼルニルたちを相手に大立ち回りを演じることができるというのであればいうことがない。実際、レムと”死神”たちによる大混戦がダルクスの重力渦を完成させ、ミリュウの擬似大魔法の発動へと漕ぎ着けさせたのだ。
手応えはあった。
音は聞こえず、ウェゼルニルの断末魔もレムの悲鳴も聞こえなかったが、確かに擬似魔法が起こした大破壊は、あの場にいた全員を飲み込み、徹底的に破壊し尽くしたはずだ。その結果、レムはこの上ない苦痛を受けたことだろうし、死んだ方がましに思ったくらいかもしれない。だが、レムのおかげでウェゼルニルたちを一網打尽にできたのは、間違いなかった。
視界が正常化すると、最大威力の破壊魔法によって粉々に打ち砕かれた大地から濛々と立ちこめる白煙の中、その場に座り込んだレムの姿が見えてきた。
「師匠、あ、あれ……!」
「ええ……レムね」
「ウェゼルニルたちは、いないようですね」
レムの周囲にだれひとりいないことを確認すると、リュスカが感嘆の声を上げた。魔法の巻き添えとなった”死神”たちの姿もなければ、十体のウェゼルニルは一体たりとも見当たらなかった。周辺は徹底的に破壊されている。擬似魔法によって引き起こった破壊の連鎖がなにもかもを壊し尽くしている。結果、レムの”死神”たちも粉々に打ち砕かれて消え去り、レム自身もお気に入りの衣服をぼろぼろにされてしまったが、彼女はけろりとした様子でこちらを向き、手を振ってきていた。
そのあまりにもあっけらかんとした反応には、ミリュウも思わず笑ってしまいそうになったが、そんな場合でもないことはミリュウが一番よく知っている。ミリュウは、エリナを連れて駆け出すと、シグルドたちが勝ちどきを上げるのを背中で聞いた。敵の姿はどこにも見当たらない。勝利を確信するのは当然のことだ。
「レム! 痛かったでしょ? 手加減できなかったの。本当にごめんね」
「なにを謝ることがあるのでございます? ミリュウ様はなすべきことをなされた。ただそれだけのことでございましょう。わたくしは、不老不滅。ならば、わたくしみずからが囮となるのは必然であり、それを利用するのもまた当然のことでございます」
「それは……そうだけど」
確かに、彼女のいうとおりだ。ウェゼルニルを一網打尽にするには、レムを囮に大魔法をぶつける以外の良策はなかった。たとえば囮もなしにダルクスの重力渦で捕らえたところで逃げ回られるだけであり、そこにリュスカらの魔法を加えたとしても、擬似魔法が炸裂するまでの時間稼ぎはできない。レムと”死神”たちがウェゼルニルたちを引き込んでおいてくれたからこそ、ミリュウの必殺魔法が見事直撃し、ウェゼルニルを一網打尽にすることができたのだ。
だが、ぼろぼろになったレムのほぼ半裸に近い状態を見ると、頭では理解できても、感情では納得できない部分も大いにあるのもまた、事実なのだ。セツナならば決して取らない方策だ。セツナは、レムの不死性を利用することを極端に嫌った。レムがみずから進んでそれを申し出ても、だ。レムは確かに不老不滅だが、痛覚がないわけではない。想像を絶する激痛を感じたに違いなく、そんな様子をまったく見せないレムの気丈さには、ミリュウも頭が下がる想いだった。
「レムお姉ちゃん……」
「エリナ様、ありがとうございます。エリナ様のおかげで痛みが薄れているのがわかりますわ」
レムは、エリナが翳した手に触れると、そういって優しく微笑んだ。自分のことはさておいてエリナを気遣うのが、いかにもレムらしいといえばレムらしい振る舞いといえる。エリナがそんなレムを慕うのは必然といっていいだろう。昔から、レムはエリナのことを妹のように可愛がり、エリナも姉のように彼女について回ったものだ。ミリュウは、エリナの師匠に過ぎない。レムとは違い、師弟としての距離というものを維持しなければならず、そういう意味においても、エリナにはレムのような相手が必要なのだ。