第二千二百三十二話 死神の献身
ウェゼルニルなる男の立場を理解していない発言への怒りに燃える最中、体中を駆け抜けた感覚は、甘美かつ官能的なものであり、彼女は、全身の血液が沸騰し、体温が急激に上昇していくのを認めざるを得なかった。それは、先ほど感じた、セツナとの同調のさらに上を行くものであり、魂の繋がりを再認識させるに足るものでもあった。
故にレムはいったのだ。
「もう、なんのも問題もございませぬ」
と、告げたときには、手にした大鎌が闇の矛へと変容し、背後に現れたウェゼルニルの腹を貫いていた。ウェゼルニルが呆然としながら飛び離れる直前に振り向きざまに斬りつけ、腕を斬り飛ばす。ウェゼルニルの驚愕に満ちた表情を網膜に焼き付けることができたことに満足した彼女は、禍々しい闇色の矛を振り回し、敵に向き直る。
甘美なる衝動は、いまも彼女の体内を駆け巡っていて、それが動悸を激しく、体温を高くし続けているのだが、しかし、その熱に浮かされたような感覚こそが彼女が欲して止まなかったものだ。一体感とでもいうべきか。ともかく、レムはいま、セツナの体温を感じていた。体温、というのは少々語弊があるだろう。彼はここにはいないのだ。だが、確かな温もりを感じている。それは、セツナに触れているときのような、セツナに優しく撫でられているときのような感覚に似ていて、だから彼女は体温と表現せざるを得ない。セツナの体温。それこそが、レムに戦う力を与えてくれる。
「レム……それって……まさか」
「黒き矛……カオスブリンガーか!」
「いいえ」
レムは、闇色の矛を構え直すと、胸の高鳴りに目を細めた。まるで恋する乙女のようだ、と想わなくはないが、それもいい。決して、悪くはない。少なくとも、セツナを愛しているのは本当のことだ。恥じることではない。ただ、少しばかり場所と状況を弁えるべきだと想わなくもなかった。
「これが黒き矛ならば、あの方が生きているはずがありませんよ」
「それも……そうね」
「確かに、黒き矛なわきゃあねえよな!」
などといいながらもウェゼルニルが狂暴な笑みを浮かべたのは、戦い甲斐のある相手だと認識してくれたからなのか、どうか。
「ですが、ミリュウ様。いまこそ好機です。わたくしどもが、埒を明けてごらんになりましょう」
「好機だと? そんなものがあんたたちにあるとでも思ってるのかよ」
「ありますよ」
レムは、怒濤の如く押し寄せてきたウェゼルニルの一体目に”死神”参号をぶつけると、参号が手にした闇の大槍でもってウェゼルニルが振りかぶった右腕を吹き飛ばすのを確認するよりも早く、二番手に”死神”伍号を割り当てた。小柄な伍号が手にしているのは、闇の双刃。ウェゼルニルの懐に潜り込み、高速の連撃を叩き込む。二番手の頭上を飛び越えた三番手には、弐号が飛びかからせている。闇の軽鎧を身につけた弐号は、闇の翅を羽ばたかせることで加速し、ウェゼルニルの巨躯を上空高くまで打ち上げていった。四番手と五番手には、陸号が闇の大斧を地に叩きつけて対処した。闇の大斧が引き起こした大規模破壊が局所的な地盤沈下を引き起こし、四番手と五番手のウェゼルニルを移動不能としたのだ。六番手には、闇の杖を棍棒のように振り回す肆号が相手となった。猛然と突っ込んできた六番手を闇の杖から伸びた巨大な手のひらで掴み上げ、地面に叩きつけて見せたのだ。
レムは、闇の矛を掲げると、戦場でいつもの如く見る光景を真似して見せた。つまり、闇の矛の切っ先から放たれる極大光線によって、七番手以降のウェゼルニルたちを纏めて攻撃したのだ。破壊の力の奔流が光芒となって虚空を突き抜け、ウェゼルニルたちを飲み込み、炸裂する。
(ああ……御主人様……)
闇の矛を握りしめながら、レムは、”死神”たちの圧倒的ともいえる大攻勢にうっとりとした。せざるを得まい。レムにせよ、”死神”たちにせよ、扱っている武器は、彼女の敬愛する主の召喚武装群そのものではないか。レムの手にはカオスブリンガーそっくりの闇の矛が、弐号はメイルオブドーターの如き軽鎧を纏い、参号はランスオブデザイアにも似た回転機構付きの槍を、肆号はロッドオブエンヴィーそのままの杖を振り回している。伍号の手にはエッジオブサーストそのものといってもいいような双刃が握られ、陸号はアックスオブアンビションの影とでもいうべき大斧を叩きつけている。
そして、自分を含め、”死神”たちは、マスクオブディスペアの能力によって存在している。
まるで、セツナが愛用する召喚武装の集大成のような自分たちの有様を目の当たりにして、興奮せずにはいられなかった。
ウェゼルニルも、決して漫然と攻撃を受け続けたわけではない。それぞれの”死神”にすぐさま対応し、レムと”死神”たちの大攻勢は瞬く間に翻らんとした。しかし、レムの狙いは、なにも自分だけでの勝利などではない。
レムは、彼女率いる”死神”が掻き乱した戦場の中心に歪みが生じるのを目の当たりにしていた。その歪みは、瞬く間に膨張し、昏い力を拡散させるのではなく、むしろ爆発的な速度で収縮していく。そしてそれは、ウェゼルニルたちと”死神”たちを歪みの中心へと引き寄せていくのだ。それは、ダルクスが作り上げた巨大な重力の渦だ。それも、ただの重力の渦ではない。味方を巻き込むことも辞さない威力と精度、範囲を誇る、おそらく彼が作りうる最大級の重力渦であり、ウェゼルニルが苦い顔をしたことからも、その威力がわかる。いまのいままでどうしてそれができなかったのか。簡単なことだ。味方を巻き込む可能性を考慮すれば、おいそれと発動できるものではない。
攻撃対象であるウェゼルニルの周囲にレムと”死神”たちだけしかいないからこそ、ダルクスも決断できたのだ。レムならば巻き込んだとしても、なんの問題もない。ダルクスも、レムの不死性については知っている。
ウェゼルニルたちが重力渦から逃れようとしたところで、レムと”死神”たちがそれを許さない。黒き矛と六眷属を模した闇の武器による攻撃は、さすがのウェゼルニルも看過することはできないのだ。重力渦を脱しようとしてレムたちに背を向ければ、後ろからばっさりだ。さらに、リュスカらリュウディースの魔法が重力渦を巨大な障壁で囲い込んでいる。決して、ウェゼルニルたちを逃がすまいという決意の包囲網だ。
「死神レムがここまで自己犠牲的だとは知らなかったぜ」
「死神ほど献身的な存在はありませんのですよ、ウェゼルニル様」
「そういうもんかね」
「ええ。死神とは生と死を司るもの。生きとし生けるものの始まりから終わりまで見届けるものでございますもの。献身的でなければ、やっていけないのでございます」
ウェゼルニルは、苦笑交じりにいって肩を竦めた。もはや脱出不可能だと諦めたのだろうが、それにしても余裕が見て取れるのが甚だ不可解だった。ウェゼルニルは、決して無敵の存在ではなさそうなのだ。神の横槍がなければ回復することもできないのであれば、この状況下で致命的な攻撃を叩き込まれれば、死ぬはずだ。
そして、その準備は整っている。
ミリュウがレムを見ていた。
その碧い瞳に逡巡はない。
レムは、ラヴァーソウルを掲げるミリュウの覚悟の決まった顔がとてもこの世のものではないくらいに美しく見えた。セツナがたびたび彼女に見惚れるのも当然だと想わされるほどだった。
擬似魔法が発動する。
それも、これまでミリュウが使ってきた擬似魔法と比較するまでもなく最大最強の破壊魔法が。