第二千二百二十九話 ログナーの激闘(一)
ログナー島三者同盟が加わったからといって、事態が好転することはなかった。
まず、獅徒ウェゼルニルの力量が常人とは比べものにならないものであり、その時点で通常戦力である《蒼き風》の傭兵たちは、戦力から除外せざるを得なくなった。彼らは致命的な反撃を呼び込む近接攻撃を諦め、弓による支援に移ったが、当たったところで傷さえつけられないのだから意味がない。そもそも当たらないのだが。
《蒼き風》の中でただひとり戦力となり得たのがシルグド=フォリアーだ。彼が手にした召喚武装グレイブストーンは、刀身が折れているのにも関わらず、全盛期に近い力を発揮しており、そのおかげもあって辛くもウェゼルニルに食らいつくことができていた。しかし、それでもウェゼルニルと対等に戦うことすら困難であり、終始押されっぱなしだった。
ログノールの兵士など、端から当てにはしていない。精鋭ではあるのだろう。屈強な戦士ばかりだ。だが、ウェゼルニルに挑みかかったところで無造作にあしらわれるか、一蹴されるだけのことだ。ミリュウはシグルドを通して彼らの近接戦闘を遠慮願っている。彼らの戦闘がミリュウたちの支援になるならばまだしも、邪魔になるだけでは意味がない。
では、コフバンサールの魔王軍はというと、これは大いに戦力となった。強靱な肉体と生命力を誇るレスベルの戦士たちに、リュウディースの魔法使いたちは、ウェゼルニルとある程度の戦闘を繰り広げることができたからだ。皇魔は、身体能力においては人間を大きく上回るのだ。ウェゼルニルが手加減している以上、役に立つ。
そうなのだ。
ウェゼルニルは、開戦当初から本気ではなかった。
極めて実感を持った幻像を生み出し、十体になったのも、本気などではなかった。ただ、戦いを楽しむための要素でしかなく、ミリュウはその事実に気づきながらも、彼のお遊びに付き合うことにした。
ミリュウたちの現有戦力では、ウェゼルニルは撃破できない。ダルクスの重力攻撃もミリュウの擬似魔法も、ウェゼルニルに決定的な痛撃を与えるに至らないのだ。どれだけ苛烈に攻撃を叩き込み、傷を負わせることができたところで、神が現れ、立ち所に回復してしまうからだ。
攻撃は、通る。
少なくとも、擬似魔法はウェゼルニルの強固な肉体を貫き、彼の表情を歪ませることには成功した。
しかし、それだけだ。
先もいったように、どれだけ傷を負わせたところで敵の神が現れ、即座に回復してしまうのだから、意味がない。
十人のウェゼルニルは、いまも健在だ。しかも、ウェゼルニルは本気でミリュウたちを斃すつもりではない。その証に、十人のウェゼルニルのうち、積極的に動いたのは、二、三人ばかりだった。残る半数以上が待機し、戦況を眺めていた。
馬鹿にしているのではない。戦力過多になり、圧倒するのを恐れているのだ。それでは、戦闘が楽しめないからだろう。
ウェゼルニルは、戦いを楽しんでいる。それも、自分が敵を圧倒することを楽しんでいるのではない。圧倒的な力を持つ自分が少しでも追い詰められることこそを愉しみにしている節がある。
(それこそ、馬鹿にしているっていうんだけど)
ミリュウは、ラヴァーソウルの柄を握りしめながら、左手で額の汗を拭った。擬似魔法の連発は、多大な消耗となって彼女に負担をかけていた。簡単な魔法ならばともかく、強力無比な魔法を連続で発動するとなれば、相応に消耗するのは当然の話だ。かといって、軽い魔法でお茶を濁すといったことはできない。手を抜けば、ウェゼルニルに負ける。ミリュウたちが敗れ去っていないのは、ウェゼルニルがこの戦いを愉しんでいるからだ。愉しんでいる以上、早々に終わらせようとはすまい。しかし、飽きればどうか。彼ほどの力の持ち主ならば、本気を出せば、ミリュウたちを一掃することも難しくないのではないか。
それ故、ミリュウは、常に本気の攻撃を仕掛けなければならなかった。
獅徒ウェゼルニルは、皇魔や神人とは次元が違う相手だった。
どれだけ凶悪な皇魔であっても、どれだけ強度の高い神人であっても、ここまで苦戦することはなかったのだ。擬似魔法の一撃が決まれば、勝利は決まったも同然だった。それが、ほとんど通用しない。いや、通用しても、無効化される。無意味になる。これでは、勝利など覚束ない。
見れば、エリナも肩で息をしていた。エリナにかかる負担は、戦闘要員が増加したことで大幅に膨れあがっていた。彼女が自身の召喚武装フォースフェザーの能力を、シグルドたちにも使用し、戦場全体を支援しているからだ。ミリュウとダルクスだけならばまだしも、数十人ともなれば、その負担たるや想像を絶するものがある。それでも泣き言一ついわないのは、さすがは自分の弟子だとミリュウは想った。
ダルクスはというと、普段と変わらない様子だ。常に召喚武装を展開している彼のことだ。本当に疲労していないのかもしれないし、ただ強がっているだけなのかもしれない。いずれにせよ、頼もしいことこの上ない。
シグルドたちも、攻撃の手を休めていた。皇魔たちもだ。いずれも、ウェゼルニルの幻像との戦いだけで疲れ果てているといった様子だ。たとえ攻撃が当たり、傷つけることができたとしても、瞬く間に癒やされ、元に戻るのだから、勝てる気配がないというのも大きいだろう。奮戦が徒労に終われば、疲労も激増するものだ。
「どうした? まさかこれで終わりじゃあねえだろうな?」
「はっ、なにいってんだか」
ウェゼルニルの興味を失わせないよう、ミリュウは強がりをいってみせた。無論、すべてがすべて虚勢というわけではない。時間を稼がなければならないのだから、この程度でへこたれていてはいけない。
「まだまだこれからよ!」
《その意気だ、ミリュウ》
脳裏の響いたのは、女神の聲だ。その聲が聞こえただけで身も心も軽くなる。
(マユリん?)
《もうしばらく持ち堪えろ。セツナが戻った》
(なにいってんの?)
ミリュウは、マユリの言葉の意味がわからず、きょとんとした。セツナならば、ずっとザルワーンで戦っているはずではないか。戻った、とはどういう意味なのか。
《レムもな》
「だから!」
思わず声に出して叫ぶと、ウェゼルニルたちが怪訝な顔をした。十人が十人、同じような表情をするものだから、奇妙というほかない。
「わたくしのことを置いて戦闘を始めるだなんて、そんなご無体なことがあってよいのでございますか。ご主人様にいいつけますよ、本当にもう」
戦場にそぐわない雰囲気を持ち込んできた声の主を振り返れば、いつもの格好のレムがこちらに向かって歩いてきていた。手には巨大な鎌が握られていて、臨戦態勢は整っている。戦力の足りなさを嘆いているときに彼女の参戦は、頼もしいにもほどがある。のだが。
「レム! あんたが勝手にいなくなってたんでしょ!?」
「はい?」
ミリュウの発言に対し、レムは困惑を隠せない様子だった。
「勝手にいなくなっていたのは、皆様では……?」
「なにいってんのよ?」
それこそ、ミリュウも当惑するしかない。
「わたくしにも、さっぱり」
《詳しい話は後で説明してやる。いまは戦いに集中しろ。時間稼ぎにな》
「ということだそうでございますが」
「ああもう、わかったわ。マユリんが事情を知ってるみたいだし、もういいわ。さっさと参加しなさい」
「それでは、遠慮なく」
レムが恭しく告げて、一足飛びにミリュウの前に移動した。レムの身体能力は、召喚武装を手にした人間並みか、それ以上だ。
「これでもう少しくらいは楽しめるのかい?」
ウェゼルニルたちが拳を構えた。
「そうね。あんたが後悔するくらいは」
「いってくれるじゃねえか。あんまり俺を失望させてくれるなよ?」
「もし万が一失望させるようなことがございましたら、いかがなさるつもりなのでございます?」
「あんたらを殲滅し、この島を制圧するだけのこった」
「そうはさせるもんですか! レム!」
「はい!」
レムが威勢のいい返事とともに虚空を駆けていく。まるで宙を滑るように移動しているのは、彼女がみずからの影の中から”死神”を呼び出し、その背に足を乗せているからだった。影の中から浮上した”死神”が、レムを背に乗せたまま中空を滑走し、最前列のウェゼルニルへと殺到する。
「”死神”使いか。噂には聞いているぜ」
ウェゼルニルのひとりが拳を突き上げ、レムを運ぶ”死神”の胴体を貫く。”死神”の漆黒の体が泥水のようになって四散したが、レムは、動じることもなく宙返りしてみせた。
「ガンディアの英雄セツナ=カミヤの懐刀!」
「そのように認識していただいていること、心より光栄に想いますですわ」
拳によるウェゼルニルの追撃を大鎌で殴りつけて対処したレムは、飛び離れながら自身の影からつぎつぎと”死神”を出現させ、ウェゼルニルに飛びかからせた。直後、ダルクスが動いた。”死神”に対応するウェゼルニルに隙を見出したのだろう。重力球がウェゼルニルの頭上に発生し、一瞬、その動きを止めた。重力球から照射される重力の波がウェゼルニルを捉えたのだ。だが、それは一瞬に過ぎない。これまでも同じことをやって、動きを鈍らせることができたのはほんの一瞬に過ぎなかった。その一瞬をレムは逃さない。”死神”たちを殺到させ、ウェゼルニルをずたずたに切り裂き、血しぶきの中で痛撃を叩き込む。そこへ、皇魔の魔法が集中し、大爆発が起こった。
天地を震わすほどの爆発は、大音響と衝撃波を吹き荒れさせ、後方のウェゼルニルたちを飛び退かせるに至る。そのうちの一体へ、シグルドたちが攻勢を仕掛けた。レスベルがそれに続き、傭兵や戦士たちが弓射による援護を行う。無論、リュウディースの魔法攻撃もだ。
爆発に飲まれたかと思われたレムは、ミリュウが擬似魔法による防御障壁を展開していたこともあり、無事だ。爆煙の中から”死神”たちとともに飛び出してくると、戦闘中のウェゼルニルではなく、別のウェゼルニルたち五人に五体の”死神”を割り当てた。みずからも別のウェゼルニルを担当することで、ウェゼルニルたちの連携を封じようというのだろうが、さすがに見込みが甘すぎる。
ミリュウは透かさずレムにラヴァーソウルの刃片を飛ばし、ウェゼルニルの拳がレムを捕捉するより早く弾き飛ばした。拳が空を切り、風圧が衝撃波となって吹き抜け、大地に爪痕を残す。
「ミリュウ様!?」
「敵を甘くみない!」
「はい?」
レムは、ミリュウの警告の意味がわからなかったのだろう。訝しげな表情のまま、”死神”たちが一撃の元に粉砕されていく様を見届け、得心したようにその場を飛び離れた。シグルドたちの大攻勢も、失敗に終わっている。シグルドは天高く吹き飛ばされたところをリュウディースのルニアに庇われ、リュスカの魔法が追撃を阻んだ。
「あら……結構、お強いのでございますね」
「強くなかったら……あれくらいで斃せるのなら、とっくに斃しきってるっての!」
ミリュウは後方に下がりながら”死神”を再度出現させるレムを見やりながら、強くいった。レムが最初に攻撃し、痛撃を叩き込んだはずのウェゼルニルも、爆煙の中から無事な姿を見せていた。十体のウェゼルニルは、未だひとりとして欠けていない。