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第二百二十二話 土牢の闇

 ナーレス=ラグナホルンは、困っていた。

 いや、心底困っているわけではない。ナーレスはこれまでの人生で困ったと思ったことはなかったし、これからも困るようなことは起きないだろうというような変な確信がある。なにがあっても動じず、なにが起きても冷静でいられる限り、困るということはありえない。あらゆる状況を想定して行動していれば、冷静さは失わないものだ。

 しかし、あらゆる状況を想定するためには、様々な情報が必要だった。無数の情報を集積し分析し可能性を導き出す。それによって彼は不変の冷静さを手に入れているといってもよく、情報の入手が困難となった現在では、いつまで冷静な思考を保っていられるのかもわからなかった。

 牢を移されたのだ。

 彼とメリルの接触を嫌ったものの判断なのだろうが、ナーレスは、光も届かない土牢に移送され、外部から完全に遮断されてしまった。メリルにもどうすることもできないということは、ミレルバスの意思によるものではないらしい。彼は愛娘には甘く、投獄後のナーレスとの接触も黙認していた節がある。おかげで、ナーレスは牢を移される直前までは、情報収集に苦労しなかった。

 メリルは、聡明な女性だ。ナーレスがどんな情報を必要としているのかを察し、不要な話に時間を費やすということをしなかった。状況予測に必要な情報だけが、彼女の口から語られた。

 ナーレスが得たのは、ミレルバスのかねてからの希望通り、魔龍窟から武装召喚師が出されたということだ。ジナーヴィ=ライバーンを筆頭とする五人の武装召喚師は、ザルワーンの戦力を大きく引き上げるのは間違いなかった。ナーレスという楔から解き放たれたザルワーンは、巨大な龍としてその存在感を小国家群に顕示するのだろう。と思ったのも束の間、ガンディアによってナグラシアが制圧されたという話が、多少の興奮をもってメリルの口から聞かされた。

 ガンディアによるザルワーン侵攻は、ナーレスの想像を遥かに上回る速度で行われたのだが、冷静に考えてみれば実に納得のできる行動ではあったのだ。

 ガンディアはログナーを飲み込んだことで、以前の倍程の戦力を得ていた。さらにルシオンとミオンという同盟国が、ガンディアのザルワーン侵攻に力を貸さないわけがない。ザルワーンは南進を掲げており、ガンディアのつぎはミオン、ルシオンが標的になりうるからだ。それにガンディアの肥大は、自分たちの安全の拡大に繋がる。

 レマニフラから同盟を申し込まれてもいた。レマニフラは、姫君を使者にするほどの力の入れようであり、政略結婚による同盟の強化すら見越していた。ナーレスは、レマニフラとの同盟には賛同していたし、レオンガンドがレマニフラの姫君と結婚することも賛成している。レマニフラは小国家群南部の都市国家であり、南方の同盟の盟主なのだ。盟を結んでおいて損はない。

 レマニフラの姫君は、手土産に五百人程度の部隊を連れてきており、それも戦力に数えることは可能だろう。

 総兵力は優に一万を越えているはずで、ザルワーンともある程度は戦えるだろう。上手く立ち回れば、そこそこの戦果を上げることも可能に違いない。

 しかし、ザルワーンは小国家群の中でも大国であり、強国だ。総兵力は一万八千に及び、ガンディアの倍近くもある。まともにぶつかり合えば、負けるのは自明の理だ。正面切って戦うべきではない。策を弄し、神算鬼謀の限りを尽くし、勝てる戦をしなければならない。

 そのために、ナーレスは何年もの間ザルワーンに潜み、猛毒を振り撒いた。内乱を誘発し、戦力の分散を行い、文官を翼将に、武官を中央の官僚に据えた。才能にうるさいミレルバスの目を掻い潜るのは至難の技だったが、ミレルバスが才能信奉者であったことが幸いし、長らく露見しなかった。ミレルバスは、ナーレスの才能を愛しすぎていたのだ。

 ナーレスは、ミレルバスのために確かな辣腕を振るった。ミレルバスの改革を後押しする政策を何度となく献策し、採用された。ミレルバスの方針通り有能な人材の登用を行い、五竜氏族の権力を弱めるために尽力した。ミレルバスの信頼を勝ち取るために。

 ザルワーンを打倒するガンディアのために。

 結果、ザルワーンの戦力は各地に分散し、纏まった戦力といえば龍府と五方防護陣の約七千だけでしかなくなった。このまま推移しているのならば、ガンディアが保有する戦力でも、いくつかの都市を落とすくらいならばできるだろう。

 そして、グレイ=バルゼルグの離反。

 ザルワーン最強と名高い彼の軍勢がまるごと敵に回ったのは、ミレルバスにとって大きな痛手だったに違いない。三千人もの兵士が敵になったのだ。ザルワーンの総兵力の六分の一といえば、どれほどのものかわかるだろう。

 メリスオールの実情を知れば、彼は裏切るに違いない。

 ナーレスはおろか、ミレルバスでさえそう思っていたはずだ。グレイは、ザルワーンやミレルバスに忠誠を誓っていたのではない。メリスオールの王家と国民を人質に取られたから、ザルワーンに付き従っていたのだ。人質がいないのなら、従う道理はない。さらにいえば、人質を故意に殺したのであれば、敵対する以外の道を取りようがない。グレイ=バルゼルグのような人物ならばなおさらだ。

 ミレルバスがなぜメリスオールの民を見殺しにしたのかは、ナーレスにも不可解なところだった。グレイ軍という圧倒的な戦力が敵に回りかねないという可能性を考慮した上で、それでも必要なことだったのだろうか。メリスオールにおいて、オリアン=リバイエンがなんらかの実験を行ったというところまでは彼も掴んでいたのだが、実験の実像に迫る前に、ナーレスの策謀が露見してしまった。もう少し時間があれば、オリアンとミレルバスがメリスオールでなにをしたのかがわかったのだが。

 ともかく、ザルワーン国内に生まれた敵対勢力の存在は、ガンディアにとって付け入る隙となったのだ。 グレイ軍の動向を注視しなければならない以上、ミレルバスは軍を動かすのに細心の注意が必要だった。慎重な行動は、ときに命取りになりうる。

 だが、ザルワーンの戦力がガンディアを上回っているのは現状でも変わっておらず、依然、予断を許さない。レオンガンドが判断を誤れば、ガンディア軍は容易く瓦解し、撤退を強いられるだろう。いや、撤退だけならばいい。レオンガンドが落命すれば、それこそガンディアという国そのものが終わりかねない。

 もっとも、レオンガンド本人がザルワーンに現れたという話は聞いておらず、彼がログナー地方マイラム辺りで指揮を取ってくれているのが、ナーレスとしては理想なのだが、そういってもいられないだろう。ザルワーンほどの大国を相手に、王が本国でふんぞり返ってはいられないのだ。


 土牢には、光は一切入ってこない。当然、魔晶灯の類があるわけもない。狭い空間であり、立ち上がることはできなかった。寝転び、手足を伸ばせる広さがあるだけましだろう。

 出入り口と呼べるものは鉄の扉で塞がれたひとつだけしかなく、当然、ナーレスの腕力でどうにかできる代物ではない。できたとして、その先の監視を突破することはできないだろう。鉄の扉には、空気を取り込むためか申し訳程度の穴が開けられている。その穴を覗いても、見えるのは闇だ。風が入り込んでくるということは、密閉された空間ではないということだが、そんなものはなんの慰めにもならない。

 食事は日に一度だったが、それだけはちゃんとしたものだった。なぜかは、ナーレスにもわからない。食事を運んでくれる兵士に話しかけても答えはなく、推測の材料すら得られないという有り様だった。だが、人並みの食事にありつけるというだけで生きていく力が湧いてくるのはなんとも現金なものだ。なにものかが彼を生かそうとしてくれているのかもしれない、とも考えた。無論、希望的観測にすぎない。ミレルバスの手前もあって、せめて活かしておこうというだけのことかもしれないし、その可能性のほうが高い。

 とはいえ、便意を催しても厠に行けるはずもない。そうなると牢の中で済ませるしかなく、数日も経てば、土牢内はおよそ人間の生活するような空間ではなくなっていった。狭さと異臭が、ナーレスの生きる希望すらも奪っていく。食事担当すら近づくのを嫌がるほどだった。

 如何にミレルバスの指示による投獄が緩く、温情に満ちたものであったのかがよくわかるというものだ。ミレルバスは、ガンディアを打倒したのち、再度、ナーレスの才能を使うつもりだったのだ。

 ナーレスも、ガンディアが滅びたのならそれも仕方がないと考えている。ガンディアがザルワーンに敗れ、仕えるべき王家が滅び去ったのならば、彼の魂を縛るものはなくなる。シウスクラウドとの約束は空虚なものとなる。

 しかし、このままでは、ザルワーンがガンディアを打倒する前にナーレスの身も心も萎えてしまうに違いない。萎えるだけならばまだしも、使い物にならなくなるかもしれない。ナーレスはそれを恐れた。ここから抜け出すことができたとして、そのとき、自分は自分でいられるのだろうか。

 ガンディアがザルワーンを打ち倒す可能性もあるにはあるが、多大な幸運がガンディアを味方しない限り、それも夢のまた夢だ。

 ナグラシアやスマアダを支配下に置くだけでも十分な戦果なのだ。制圧出来るだけ制圧したら、さっさと軍を引き、ザルワーンとの国境の防備を固めておくのも手だろう。

 ガンディアは、ザルワーンよりもアザークやベレルを取り込み、戦力を増強するべきなのだ。ザルワーンとの決戦はまだ早い。戦力差を埋め合わせる手段があるというわけでもあるまい。

 黒き矛のセツナは、話を聞く限り、ナーレスの想像を絶する力を持っているのだろう。レオンガンドが、ナーレスに対して誇張して伝えてくるはずもない。彼はナーレスを盲目的に信じていて、あらゆることを包み隠さず話してくれる。年の離れた弟のように感じることもあるほどに、明け透けなのだ。そんな男が、セツナのことだけを偽るとは思えない。

 セツナ=カミヤ。いまはセツナ・ゼノン=カミヤだったか。レオンガンドが拾った異世界の少年。アズマリア=アルテマックスによって召喚された彼は、いまやガンディアの英雄だった。彼のもたらした戦果は、確かにガンディアを救い、ガンディアを戦乱の舞台に押し上げたのだ。

 彼は、ガンディアとザルワーンの戦力差を埋め合わせることができるのか。

 できるとすれば、今後、戦略も戦術も不要になるのではないか。

 土牢の闇の中で、彼は膝を抱えて、虚空を見据えていた。

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