第二千二百二十八話 龍神
「な、なによ、あれ!?」
「な、なんだ!? 巨人か!?」
「大佐殿、後ろへ!」
「あ、ああ……!」
ファリアとエリルアルムはただ驚愕し、レングは、シリルの警告に従い彼女の背後に隠れるようにした。同盟軍将兵の間にも驚きや動揺が広がっている。当然だろう。ネア・ガンディアとの戦いが終わったと想った矢先、異形の巨人が大地を揺らしながら接近してきたのだ。その巨躯は山の如くであり、背から生えた八つの龍の首や、神々しい輝きを帯びた銀髪、金色の双眸は、一目見て常人に敵う相手ではないと想わせた。警戒し、陣形を取るように命令する部隊長の声にさえ、覇気がなかった。
セツナは、巨人についてはミズトリスたちとの戦闘中に見て、認識している。激戦の最中であっても、シーラの戦況から目を離すわけもない。セツナの五感は、ほかのだれよりも冴え渡り、遠く離れた戦場の様子さえも手に取るように把握できたのだ。故にセツナは、シーラが激闘の末、龍神ハサカラウから勝利と呼べるものを掴み取ったことを知り、自分の戦いに専念することができたというわけだ。
「あれは、ハサカラウと名乗る龍神だよ」
「ハサカラウ……? 龍神?」
「あの龍の首が龍の神様だったってことか?」
「どうもそうらしい」
ハサカラウの自称だけではないということは、彼とシーラの死闘を見れば一目瞭然だ。神でもない存在が、白毛九尾と化したシーラに敵うとは到底考えられない。実際、あの状態のシーラは、神にも匹敵する力を発揮していたのだ。故に、ネア・ガンディア軍は、クルセルク方面を制圧しながら、ザルワーン方面に手出ししてこなかった。神に匹敵する白毛九尾がザルワーンの守護神となっていたがためにだ。
そんな白毛九尾化したシーラと激戦を繰り広げた末、白毛九尾を上回る力を見せたのが、ハサカラウだ。彼が神と自称するのであれば、それが事実なのだろう。
「龍神ハサカラウ……か」
つまり、ミリュウの父親オリアス=リヴァイアは、結果的に二柱の神を召喚した、ということになる。
オリアス=リヴァイアの擬似召喚魔法は、擬似というだけあって聖皇のような完璧なものではなかった。そのため、クルセルク戦争中に召喚されたマユラ・マユリ神は、巨大な鬼の姿となって現れ、セツナが鬼の肉体を破壊した結果、解き放たれ、現在に至る。それと同じようなことが龍神にも起こった可能性は決して低くはない。
龍もまた、セツナが黒き矛の力によって粉砕したのだ。そして、それならばマユラ・マユリ神同様、肉体を破壊しただけで、神そのものを滅ぼせていなかったということで納得も行く。
その龍神は、セツナたちの至近距離まで歩み寄ってくると、その場に屈み込んだ。肩に乗せていたシーラを手に乗り移らせ、振り落とさないように慎重に地上に運ぶ。そのさいの龍神のシーラに対するまなざしは穏やかなものであり、龍神が本気でシーラを神子にしたがっているということが伝わってくるかのようだった。セツナは、シーラと龍神のやりとりをはっきりと聞いている。
当然、シーラの熱い想いも、届いている。
「よっ、と」
シーラが龍神の手から飛び降りると、多少ふらつきながら駆け寄ってきた。負傷こそ見当たらないが、彼女が消耗しきっているのはそのこけた頬や、ふらつく足取りからもよくわかる。ハートオブビースト・ナインテイルの真価を発揮し、激闘を繰り広げたのだ。消耗し尽くして当たり前だ。
「ネア・ガンディアは去ったみたいだな。こっちも、終わったぜ」
「ああ、わかってる。よくやってくれたな」
シーラのにこやかな笑顔に応えるべく、セツナも笑い返した。シーラもまた、やるべきことをやり抜いたのだ。そんな彼女の働きを無碍にするような対応はしたくなかった。ファリアもエリルアルムもシーラに駆け寄り、その健闘を称えた。シーラがどことなくばつの悪そうな表情を覗かせたが、セツナは彼女の健闘があればこそのハサカラウの反応だと確信しているから、彼女をただただ賞賛した。すると、シーラは顔を真っ赤にして照れくさそうに笑った。
ひとしきり褒め称えたあと、ファリアが龍神を見やり、シーラに囁くように尋ねた。
「ところで……だ、だいじょうぶなの?」
「……敵ではないのか?」
「敵だったが、和解したんだよ。な?」
セツナがシーラの代わりに答えると、彼女はきょとんとした。セツナがなぜ事情を理解しているのか、まったくわからないといった表情だった。
「え……? あ、ああ、そういうことになる……かな?」
「かな? とはなんだ、かな? とは」
龍神ハサカラウは、シーラの自信のなさげな態度に不満らしく、立ち上がると腕組みをした。至近距離で対峙すると、その巨大さには圧倒されるしかない。龍の首だけだったときよりもいささか小さくなっているものの、人間に比べると数十倍はあろうという体積は、天を衝くほどの巨人としか映らず、その異形も併せて威圧感たっぷりだった。ところどころ龍の鱗に覆われた上半身に装飾も派手な装束を纏う下半身、背中から生えた八つの龍の首は、セツナたちを値踏みするかのように見つめてきている。
「我がここまで汝を運んできたことが和解のなによりの証であろう。でなければ、我は汝を消し滅ぼしていたぞ」
「いやまあ、それはそうなんだけどさ……」
「なにを戸惑うことがある。汝は我の神子として生きると約束したではないか」
「だれがそんな約束したんだよ! 俺はセツナの家臣だっての!」
「むう……引っかからぬか」
「そんな手に引っかかる奴がどこの世界にいるんだよ」
シーラは、痛恨の表情を見せるハサカラウを見て、あきれ果てたように首を振った。
「本当だよ……」
「本当に神様なのかしら」
「どうだろうな」
訝しげに首を捻るファリアに、エリルアルムが肩を竦める。彼女たちが疑問に想うのも無理はない。神ともあろうものが、先ほどのような小賢しい手を用いるとは考えがたい。敵を倒すためならば騙し討ちくらいするだろうが、するにしたって、アシュトラのような大がかりな策を用いてもらいたいものだ、というのは、神に対する偏見だろうか。
いずれにせよ、龍神サハカラウは、少々人間くさすぎるきらいがあった。
「もしや、信用しておらんな!?」
「いや、あんたが神様だってのは信じるさ」
「セツナ=カミヤ……か」
「あんたは全力のシーラを上回ったんだ。それだけで、信用に値する。実力においては、だがな」
「ふむ……」
龍神は、なにやら感慨深げに目を細めると、右手に握っていた剣を天に翳した。龍を模した剣は、まばゆい光を発すると、無数の粒子となって散った。さながら召喚武装の送還の光景だが、決して同じではあるまい。剣を消し去ったということがどういう意味を持つのか、セツナとて、理解できないわけではない。
警戒心を完全に解いた、ということだろう。
「セツナ=カミヤ。我が宿敵よ。数々の因縁、数多の死闘を乗り越え、今日に至った我らの間には、もはや言葉はいらぬと見える」
「……は?」
セツナは、サハカラウが告げてきた言葉の意味がほとんどまったく理解できず、当惑した。言葉そのものの意味はわかる。だが、なぜサハカラウがそのような発言をしたのか、それで理解されると想ったのか、まったくもってわからないのだ。
(数々の因縁? 数多の死闘……?)
そんなものがあろうはずもない。
龍神の記憶力に問題があるのではないか。
「ふふふ。そう照れるでない。神に宿敵と定められる人間なぞ、そういるものではないのだ。喜びが溢れ、魂が打ち震えるのも無理からぬことだが、汝は真、強きものよ。我の宿敵に相応しい」
「ええと……」
「しかし、我は汝との戦いに決着をつけるわけにはいかぬ。残念なことよ」
「……あんたは、シーラを神子にしたいんだったな」
セツナは、ある種のあきらめとともに話題を変えた。彼には、なにをどういったところで無駄なのかもしれない、と、決めつけにも似た妄想を聞かされて把握したのだ。そこは、神らしいといえば、神らしい部分かもしれない。
神とは、押しつけがましいものだ。
ミヴューラ神だって、マユリ神だって、マリク神ですら、そうだろう。ミヴューラは救いを、マユリは希望を、マリクはリョハンの守護を、押しつけている。拒んでも、意味がないのだ。神々には、ある種の強引さが備わっていて、そればかりはどうしようもないものなのだろう。
「したいのではない。もはやシーラは我が神子同然なのだ。あとはシーラが認めるだけのこと」
「なにいってんだよ! 絶対に認めねえぞ」
「まったく、なにを照れておるのやら」
「だれがだ!」
シーラがどれだけ否定してもへこたれもしないところを見れば、彼が神であるという自称にも納得がいく。これまで遭遇してきた神々は、いずれも、自己主張が激しく、己の考えを曲げようとはしなかった。マウアウ神だって、元々、黒き矛の使い手たるセツナを全否定していたわけではなかったが故、話し合いに応じてくれたのだ。もし、最初から敵対すると決めていたのであれば、交渉の余地はなかった。それくらい、神というのは頑なだ。
故に、シーラが断固として認めなくとも、構わないのだろう。シーラの身になって考えれば鬱陶しいことこの上ないし、シーラには可哀想ではあるが、龍神を利用する上ではこれ以上にない状況ではある。
「……シーラに認められたいのなら、俺に力を貸せ」
「なんだと?」
「お、おい、セツナ……」
「そうすれば、頑ななシーラだってあんたのことを見直すだろうさ」
セツナは、たじろぐシーラに片目を瞑って見せた。心配ない、俺を信じろ、との想いを込めて。すると、彼女は察してくれたらしく、龍神を仰ぎ、首を縦に振った。
「お、おう、セツナのいうとおりだぜ」
「ふむ……そうか。汝に協力すれば、シーラが我が神子となるか。よかろう、なんなりというがよい」
龍神の早とちりにシーラが慌てふためくのを尻目に、セツナは、内心ほくそ笑んだ。神というのは頑なだが、頑なであるが故に利用しやすいものかもしれない。マユリ神も、似たようなものといえば似たようなものだ。無論、セツナは、マユリ神に関していえば利用しているという感覚はない。協力してもらっている、と想っている。マユリ神がみずからそう申し出てくれたからだ。
その点、嫌がるシーラをなんとしてでも神子にしたがっている龍神に対しては、容赦しようとも想わなかった。シーラを尊重してくれてはいるようだが、しかし、諦めていないどころか、なにがなんでも神子にしたいと考えているのだ。利用するくらいでちょうどいい。
「じゃあ、さっそく俺をログナー島に運んでくれ」
「セツナ!」
「お、おい、大丈夫なのか?」
「休んでる暇なんてねえよ」
セツナは、心配するファリアシーラには悪いが、この戦後の時間さえもったいないと思っていた。ミリュウたちは、いま、ログナー島で戦っているのだ。ミリュウたちには、確かにマユリ神がついており、死ぬようなことはないと確信している。しかし、相手にも神がついているはずである以上、なにが起こるのかわからないのも事実なのだ。
セツナのように、因果律から消されることだってあり得る。
「よかろう。しかし、ログナー島とやらの場所、わかっておるのだろうな?」
「ああ、任せろ」
力強くうなずき、セツナは龍神の差し出した手のひらのうえに飛び乗った。