第二千二百二十五話 獅徒ミズトリス
女神モナナと合一を果たしたミズトリスは、明確に強化されていた。それもただ強くなっただけではない。ミズトリスとモナナ、両者の力をひとつに統合しただけではなさそうなのだ。二倍どころか三倍、四倍にも強くなっているような印象が、セツナの中にはあった。
ただの斬撃が空間を切り裂き、そのまま地平の果て、水平の果てまで両断してしまうのではないかという勢いと威力があった。受け損ねたとき、その斬撃は数多の被害を生み、数え切れない死傷者を生み出すことになる。故にセツナは、ミズトリスの攻撃を常に受け止め、斬撃を処理しなければならなかった。
しかし、二対一のときのような防戦一方とは、違う。
確かにミズトリスの力は上がった。少なくとも、二対一のときの両者を合わせた以上の力を発揮しているのは間違いなく、その超絶的に強化された身体能力は、複数の召喚武装を同時併用したセツナを上回るほどのものだ。ときに速度が追いつけず、見失うこともあった。そんなことは、これまでの神との戦闘においてもなかったことであり、セツナは、女神とひとつになったミズトリスの戦闘能力には舌を巻くしかなかった。
だが、それだけだ。
圧倒的な力、驚異的な速度、超絶的な技量――なにもかもが飛び抜けたものであり、普通ならば対処などできるはずもない。見切ろうとしたときには切り裂かれ、物言わぬ肉塊に成り果てていることだろう。並の武装召喚師ならば、軽く触れ合っただけで即死できると言い切れる。それほどだ。
それでも、セツナは食い下がっている。
ミズトリスの大剣が唸りを上げるたび、その斬撃を受け止め、破壊する。できなければ、セツナが切断されるか、ほかの多数のだれかが切り裂かれることになるだろう。空間そのものを切り裂く斬撃は、なんとしてでも阻止しなければならない。そして、その処理はいまのところ、すべて成功している。失敗したのは、最初だけだ。
つまり、ミズトリスの圧倒的な力にも、驚異的な速度にも、超絶的な技量にも、ついていけているということだ。
しかも、二対一のときとは違い、セツナが攻撃を差し込む隙があった。モナナとミズトリスを同時に相手にしていたときは、隙を見いだすのも至難の業だったが、それが一体になれば、さもありなん。どれだけ速度があり、技量があろうと、一対一ならば話は別なのだ。そして、その明確な隙に差し込んだセツナの攻撃は、尽くミズトリスに直撃した。黒き矛の”破壊光線”も、ロッドオブエンヴィーの”闇撫”も、アックスオブアンビションやランスオブデザイアの攻撃も、ミズトリスの隙を突いた。
とはいえ、相手は女神と融合したミズトリスだ。
生半可な攻撃では、傷つけることもままならない。”破壊光線”では装甲に裂傷を走らせただけだったし、”闇撫”も肉体を傷つけられなかった。アックスオブアンビションで地面に埋め込もうが、ランスオブデザイアで貫こうが、関係がない。瞬く間に修復し、元に戻ってみせてくるのだから、厄介極まりない相手だった。
「こんなものか? セツナ=カミヤ!」
そしてなにより厄介なのは、戦闘時間が長期化するに連れ、ミズトリスの勢いが増しているということだった。
物凄まじい熱量でもって迫り来るミズトリスの連続攻撃を捌きながら、空間斬撃を処理しつつ隙を見つけては攻撃を叩き込む。そんな戦闘を繰り返しながら、時折、同盟軍の援護も行う。すると、ミズトリスは激昂し、セツナに殺到した。それがセツナの狙いだ。ミズトリスとの戦闘に集中していないと思わせ、戦いに熱中する彼女の神経を逆撫でにする。そうすれば、ミズトリスの攻撃は、威力こそ激増すれ、単調なものへと変わる。
「わたしを見くびるとはいい度胸だな!」
(とはいえ……だ)
大剣の一振りが天を断ち割り、そのまま大地に巨大な亀裂を刻みつけたのを目の当たりにして、セツナは、憮然とした。女神の力を得たミズトリスは、かつてセツナがクルセルクに見たマユラ神以上に凶暴な天災の化身の如くであり、あまり長く戦ってはいられないと判断した。戦いが長引けば長引くほど、ザルワーンの被害は大きくなる。
「見くびってはいないさ」
「ならば、わたしと本気で戦え!」
「戦っている」
「どこがだ!」
怒号は、ミズトリスの本音のようだった。ミズトリスがかつてのイリスだということは、その素顔を見れば明らかだが、その彼女がなぜ、ここまでセツナとの戦闘に拘るのかは疑問の生まれるところだ。セツナとイリスの間には、なんのしがらみもないはずだからだ。しかし、その疑問は、すぐに氷解する。
猛然と突っ込んできたミズトリスが、大剣を水平に薙ぎながら叫んだ。
「わたしがおまえを斃せば、ヴィシュタルもきっと……!」
「ヴィシュタル?」
「そうだ! ヴィシュタルはおまえが……!」
「俺がなんだってんだ?」
「うおおおおお!」
「会話放棄かよ!」
咆哮とともに振り下ろされた大剣をすべての武器で受け止めて、セツナは、ミズトリスの力が爆発的に拡散していく様を目の当たりにしていた。セツナへの怒りとも嫉みともとれる感情が内在する力を呼び起こし、大剣に大いなる力を与えている。受け止めなければ、その斬撃はセツナの後方、ザルワーンの大地に巨大な爪痕を残したことだろう。しかし、受け止めたからといって、処理のしようもない。増大し続ける力は、いまやセツナの全力を上回りつつある。そんな状況下で、セツナの脳裏には、彼女が叫んだ名前がよぎっていた。
(ヴィシュタルってのが、クオンのいまの名前か)
ミズトリスことイリスは、クオンの懐刀と呼ばれていただけでなく、クオンを信奉していたことはセツナもよく知っている。そんな彼女がクオンから別人に鞍替えするというのは、少々考えにくい。イリスがミズトリスと名乗っているように、クオンもヴィシュタルと名乗っているのだとすれば、辻褄が合う。そして、そんなヴィシュタルに認められたいとセツナから勝利をもぎ取ろうというのは、わからない話ではなかった。クオンのことだ。《白き盾》時代、セツナのことを彼女に語って聞かせたこともあるのではないか。それが彼女の嫉妬心を生んだとしても、なんら不思議ではない。
クオンは、セツナが少々気味悪くなるくらい、セツナに執着していた時代がある。そういう時代の話を聞かせたのであれば、クオン信者のイリスが不愉快に思うのも無理はないのではないか。
(だからって、あんたの我が儘に付き合ってやる道理はねえんだよ)
セツナは胸中で吐き捨てると、メイルオブドーターの翅で虚空を叩いた。一気に上空へと飛び上がると、ミズトリスは、振り下ろそうとしていた大剣を切り返し、上空のセツナに向かって斬撃を飛ばした。セツナ以外だれもいない上空ならば、いくら切り刻まれても問題はない。そういう判断だった。
飛来した斬撃を大きくかわし、立て続けに振り回される大剣の軌道から逸れるように飛翔する。すぐに無駄だと気づいたミズトリスが、空に浮かび上がってくるまでたいした時間はかからなかった。元より時間稼ぎなどできないことはわかっている。だが、地上戦よりは空中戦のほうが遙かに安全であることは、疑いようがない。位置取りを気をつけるにしても、地上よりはやりやすい。
もっとも、空中における移動速度、姿勢制御はミズトリスのほうが一枚も二枚も上手であり、その事実に直面したとき、セツナは閉口せざるを得なかった。
上空に浮かび上がってきたミズトリスが、大剣を振るうでなく、背に負った光輪から発射した神威の光線の数々で、メイルオブドーターの翅だけを狙い撃ちにしてきたのだ。誘導追尾してくる無数の光線をかわし続けるのは困難であり、すべてを叩き落とすのも不可能だった。一発が翅を貫けば、二発目が翅を打ち砕き、セツナは急転直下、地上へと真っ逆さまになって墜落した。
ミズトリスがその瞬間を逃すはずもない。彼女は虚空を蹴り、猪突猛進、一直線にセツナの落下地点へと先回りした。こちらを見上げ、大剣を振り上げる。斬撃が飛ぶ。空間を切り裂く極大の斬撃。セツナは、口早に呪文を唱えながら、矛と斧と槍と杖で斬撃を受け止め、そのままなんとか押し切って打ち砕いた。しかし、ミズトリスの攻撃がそこで終わるわけもなく、立て続けに斬撃が飛んでくる。そのときには呪文は唱え終わっている。エッジオブサーストの再召喚に成功するとともにマスクオブデザイアの闇の手を増やし、掴み取る。
これにより、黒き矛と六眷属をすべて召喚したことになる。負担は増大したが、同時にその瞬間セツナはさらなる力を得た。完全武装とセツナが命名した状態になったことで、彼は勝利を確信した。充溢する力のままに迫り来る斬撃の数々を斧の一振り、槍の一撃で粉砕し、エッジオブサーストを前方に翳す。エッジオブサーストから無数の光弾を撃ち出すとともに黒き矛からは”破壊光線”を、ロッドオブエンヴィーの髑髏の目からも光線を発射する。遠距離攻撃の雨霰は、ミズトリスをして防御を固めさせることとなる。”破壊光線”を前面に展開した光輪で受け止めると、つぎつぎと降り注ぐ光弾も、ロッドオブエンヴィーの眼光も受けきってみせた。さすがの防御力に感心しながら、セツナは地上に降り立っている。飛行能力は失った。ならば、地上戦に移行するしかない。味方を巻き込まないように。
降り立ったのは、ミズトリスの眼前。
ミズトリスが光輪を背後に戻すのと、セツナが地上に着地するのはほとんど同時だった。瞬間、ミズトリスが大剣を横薙ぎに振るってきたが、セツナはその見え透いた斬撃を斧の腹で受け止めて見せた。
完全武装状態とは、黒き矛と六眷属の全能力解放といってもいい。
あらゆる能力が飛躍的に向上しており、不完全状態とは比較しようもないほどの力が眷属から放出されていた。故に消耗は激しく、維持するだけでも凄まじい負担となってセツナを襲う。この状態を維持する時間を増やしていくことこそ、セツナのいまの課題だった。そして、この状態になれば、負ける気はしない。




