第二千二百十九話 九尾の狐対九頭の龍(二)
シーラの移動に合わせ、龍たちの攻撃目標も移動することを確認しながら、彼女は天を舞った。
白毛九尾の体は、とにかく巨大だ。丸まれば山となるほどの巨大さであり、その大きさは、かつてアバードで白毛九尾化したときとも比べものにならないほどだった。その分、力も大きくなっているし、体も妙に軽かった。力が満ちている。充溢した力が軽く地を蹴るだけでその巨躯を空中高く浮かび上がらせ、龍の攻撃の数々を上空に集中させる。雷撃、火球、氷塊、風弾、岩石、光波――九龍の攻撃は、それぞれの首が象徴する性質に基づくものであるらしいことは、すぐにわかった。
(見ればわかること)
《だが、気をつけよ。あやつら、あれが本気ではなかろう》
(ああ、わかってるさ)
シーラは、心の中に響いた白毛九尾の聲に感謝しつつ、ザルワーンの中心に向かった。龍たちが首を伸ばし、シーラへの攻撃を加熱させる。雷撃が稲妻そのものとなり、火球は炎の渦となる。水流に竜巻が迫れば、光の奔流が押し寄せた。それらの攻撃も白毛九尾のすべての尾を振り回せば立ち所に消えて失せ、シーラはなんの痛痒も感じない。
万能感がある。
白毛九尾そのものとなったという実感が、シーラに余裕と勝利の確信を持たせるのだ。実際、このまま戦いが長引いたとして、九龍がシーラを斃す術はない。どれだけ激しく攻撃してきたところで、シーラには効果がないのだ。これでは、ただの時間稼ぎにしかならない。セツナを苦しめようとした女神の思惑は、その時点で失敗に終わったといえる。
その事実に龍たちも気がついたのだろう。
長い首をことさら長く伸ばし、シーラに接近してきたのだ。
遠距離攻撃が無意味としって、直接噛みついてくるつもりなのかもしれない。龍の頭部は巨大だ。その頑丈極まりなさそうな顎で噛みつかれれば、さすがの白毛九尾もたまったものではないだろう。
シーラは、物凄まじい速度で九方向から迫ってきた龍の首に対し、その場に伏せて腰を上げ、九つの尾を最大限に展開することで対処した。つまり、九つの首それぞれに九つの尾のひとつひとつを割り当てたのだ。
火の玉の如く燃え上がりながら突っ込んできた赤き龍の頭も、濁流そのものとなって迫り来る青き龍の頭も、稲妻のように鋭角的に蛇行しながら殺到した龍の頭も、ほかの龍の頭もすべて、九つの尾で叩き落とし、地面に打ち据える。凄まじい打撃によって大地に深々と埋め込まれた龍たちが、怒気に満ちた悲鳴を発した。
(効いたか)
《打撃も通るようじゃな》
(なら、問題はなさそうだ)
シーラは、地中から顔を出そうとした龍たちに尾による執拗なまでの追い打ちを叩き込みながら、遠方、マルウェールの戦場を見やった。戦場は、そろそろネア・ガンディアの神人や将兵が復帰する頃合いだったが、戦況は大きく変わっている。ネア・ガンディアの人間兵は、シーラの攻撃によって大半が戦闘不能状態に陥ったはずであり、女神が回復でもしなければ、戦力は激減しているはずだ。問題となるのは神人だが、それについてはファリアやエリルアルムに頼るしかない。
それと、セツナだ。
セツナが敵指揮官を討てば、それでこの戦いは終わる。
少なくとも、ネア・ガンディア軍の指揮系統は乱れに乱れるだろう。あるいは、神が後を引き継ぐかもしれないが、そのときは、セツナが神を討ってくれるはずだ。討たずとも、致命傷を与えることはできよう。
黒き矛は、神をも滅ぼす魔の杖だという。
女神と対等以上に戦えるセツナならば、きっと、やり遂げてくれる。
シーラは、セツナの負担を少しでも減らすべく、九龍を抑えつけておけばいいのだ。
《シーラ!》
白毛九尾の警告にはっとしたときには、遅かった。
九龍が一斉に咆哮したかと思うと、爆発的な熱量を発し、九つの尾の制圧下から抜け出したのだ。そして、警戒し、態勢を整えたシーラを尻目に、天高く首を持ち上げていく。そのまま、大地の大穴から首のすべてが抜け出たかと思うと、シーラの遙か頭上で九つの首が絡まり合い、莫大な量の光を拡散した。凄まじい威圧感に白毛九尾の体が震える。シーラ自身、強烈な圧力に足を踏ん張らなければならないほどだった。
圧力が収まるのと同時に光の拡散も静まり、威圧感も少なくなった。が、状況が良化したわけではないことは、その威圧感の源に起きた変化からも明らかだ。閃光が空を灼いたかと思うと、稲妻となって降り注ぎ、シーラの前方、丘陵地帯を破壊するようにして降臨する。
《あれが……》
(九龍の真の姿か)
それはまさに九頭龍というに相応しい姿、といっていいのだろうか。
九つの龍の首が、ひとつの体に収まっていた。そのひとつの体というのは、極めて人間の男性に酷似している。といっても、大きさが段違いだ。人間の成人男性の数十倍はあるだろう巨躯は、巨人といったほうが近い。シーラの知っている巨人の末裔は、その男よりも随分と小さいが。
その男は、鋼のような肉体の上半身を曝け出しており、その露わになった素肌には龍の鱗が絡みつき、見たこともない紋様が浮かんでいた。厳めしい顔立ちも人間によく似ている。風に揺れるぼさぼさの髪は銀色で、双眸には金色の瞳が輝いている。手には、龍が絡みついたような長剣が握られていた。男の身の丈ほどもある剣は、一振りで山のひとつを切り裂くくらいはできそうだった。
龍の首はというと、八つが、男の背後から生えていた。つまり、龍の首のひとつが男になった、ということだろうか。そこらへんの真実はわからないが、ほかには考えようがない。しかし、八つの龍の首は、男が出現する前よりも随分小さくなっていた。二分の一という次元ではない。そうしなければ男の背に収まらなかったというのもあるだろうが、力の多くが男に注がれたということも考えられた。
八色八種の龍の首を光背のように負う男の姿は、さながら神のようであり、その神々しさを併せ持つ威圧感は、さっきまでの龍たちからは感じられなかったものだ。
「予期せぬこともあるものだ」
威厳に満ちた男の声が、朗々と響き渡る。
「我はかのものとの再戦を所望しているのだが……あの女、我に汝の相手をせよという。故に汝を片付け、そののちにかのものに挑もうと考えたのだが、どうやら汝には生半可な状態では太刀打ちできぬと見た」
八龍の首がシーラに叩きつけられたことの怒りを露わにするように威嚇してくるが、恐ろしいのは、その龍たちよりも男のほうだ。厳かで静かな佇まいにこそ、畏怖は生まれ得るものなのだ。
シーラは、白毛九尾の姿になってはじめて、畏れを感じていた。
「故に我は真の姿をここに示現したのだ。さあ、異界の獣神よ。獣の女神よ。我と正々堂々勝負をしてもらおうではないか」
龍の剣の切っ先をこちらに向けて、男はいった。龍たちが吼え、大気が震撼する。莫大な力の一端を見せつけられて、彼女は目を細めた。龍の首だったときよりも、力の密度が違うのがわかる。当然だ。九つに分かれていたものがひとつに融合したのだ。それが本来の形、真の姿だというのだから、いままでよりもより強大な存在となったのは間違いなかった。
《こしゃくなことを。よかろう、シーラ。相手をしてやるがよい。そしてそなたの、わらわの力を見せつけてやるのじゃ》
(いわれずとも)
シーラは、白毛九尾の怒りを感じながら、胸中で肯定した。いわれるまでもないことだ。なんとしてでも九龍を斃さなければならなかったのだ。龍が巨人の形を取ったところで、シーラのやるべき事に変わりはない。
「我はセツナ=カミヤが一の家臣シーラ!」
シーラは、大音声でもって名乗って見せた。
「いざ、尋常に勝負!」
シーラが吼え、龍が唸り、天地が震撼した。