第二百二十一話 祈り
レオンガンドがゼオルに入って、丸一日が経過しようとしている。
先の戦いで負傷した兵士たちも、無傷で戦いを終えた兵士たちも、つぎの戦いに備えている。戦場に立てないであろう重傷者は、当然、この街に置いていくことになる。後方、ナグラシアに戻してもいいのだが、ここゼオルで治療に専念したほうが良いだろう。死者は川辺に葬った。
戦力は減った。ゼオルを発つとき、さらに減ることになる。監視のための部隊を置かなければならないからだ。いくらザルワーン軍がいないとはいえ、ゼオルを放置することはできない。いまは従順なゴードン=フェネックも、ガンディア軍の兵士がひとりもいなくなれば、態度を豹変させるかもしれない。そればかりはレオンガンドにだってわからない。彼がどのような人物なのか、完全には把握していないのだ。ナグラシアの妻が心配といっても、状況が突き動かすこともある。監視は必要だ。そのための戦力が五百名というのは少々心許ないともいえるが、ザルワーンの首都攻撃を考えると、五百人割くというだけでも多すぎるくらいだ。ケリウスとマーシェスが上手く立ち回ってくれることを願うよりほかない。
ゴードンが麾下の兵士を統制してくれさえすれば、なんの問題もないのだが。
ゼフィルの役人たちは、ガンディア軍に歯向かう気力もないといった有り様だ。ガンディア軍先発隊のナグラシア制圧に前後してゼオルに入ったジナーヴィ=ワイバーンは、力による統治を行っていたらしい。ジナーヴィに反抗的なものは容赦なく殺していき、庁舎の行政機能を麻痺寸前まで追いやっていた。レオンガンドたちガンディア軍の到来は歓迎こそしなかったものの、ジナーヴィよりはましだろうというのが大方の反応だった。
役人どもを制したあとは、市民が無駄な抵抗をしないことを祈るだけだった。軍規が厳しく、市民に害をなすことを堅く禁じているとはいえ、敵国の軍が乗り込んできたのだ。反発するのが普通であり、人心を慰撫することこそ、もっとも時間のかかることだというのは、よく聞かされてきたことだ。ナグラシアは出来過ぎなくらいに出来過ぎていたが。
そんなことを思い出しながら、レオンガンドはゼフィルの顔を見ている。常に口髭の整った紳士は、レオンガンドの四友の中でも特に働き者だった。もっとも年若いスレイン=ストールよりも活発で能動的であり、一体どこにそんな体力があるのかと皆にあきれられるほどだ。彼は、そういう友人たちをこそ不思議そうに見ている節がある。
彼は、独自の判断でジナーヴィ=ワイバーンの召喚武装を回収しており、その調査を《白き盾》の武装召喚師に依頼していた。回収の現場に居合わせたジル=バラムも、調査に立ち会っていたらしい。ジルといえばアルガザードの副将であり、将来のガンディア軍を背負って立つ女だ。彼女が立ち会うことに問題はない。
「使えない、か」
レオンガンドは、ゼフィルの言葉を反芻するようにつぶやいた。
ジナーヴィが嵐を発生させた召喚武装が使うことができれば、ガンディア軍の戦力は大きく増強されたに違いない。戦場を蹂躙した嵐の記憶は、思い出すだけでぞっとしない。なにもかもすべてを天高く舞い上げ、星々のまばゆい夜空を黒く染め上げてしまった。あれだけの力を気兼ねなく行使することができたなら、さぞや気持ちのいいことだろうと彼は思う。
実際のところは、そうはいかない。自軍への被害も考えなくてはならないのだ。暴風が敵だけを巻き上げてくれるというのなら構わないが、そんなはずもない。そうすると、たとえ使えたとしてもあれほどの嵐を起こすことはできないだろう。ジナーヴィのように敵陣に特攻してから使うのなら話は別だが、その後のことを考えると現実的な話ではない。嵐の後、射落とされるに違いない。
それでも、彼の鎧が使えたのなら、戦力の向上に繋がったのは間違いない事実だ。もっとも、使えるのと、使いこなせるのとではわけが違うのだが。
「ウォルド=マスティア殿の調査によれば、ですが」
「彼が虚偽の報告をする理由はあるまい」
レオンガンドは、《白き盾》の武装召喚師を思い浮かべながらいった。
ウォルド=マスティア。クオン=カミヤを主君と仰ぐ筋骨隆々の大男だ。一見すると、筋肉だけが取り柄なのではないかと思うのだが、そういうことではない。召喚武装の制御に必要なだけの筋肉を身につけるのは、武装召喚師としては当たり前なのだ。頭には、武装召喚術に関する知識や技術で詰まっている。それが武装召喚師だ。
そして、武装召喚師がそんな人間だからこそ、虚偽の報告をしてくるとも思えない。
「武装召喚師の立場が危ぶまれると、考えたのかもしれません」
「そういうこともあるか」
ケリウス=マグナートの言い方にレオンガンドは笑いを噛み殺した。彼は疑うことから始めるところがある。四友の中でセツナの存在をもっとも疑い、信用しなかったのは彼だった。いまも、心から信用しているわけではないらしい。実績は認めているし、ガンディアにとって必要不可欠な存在であるということもわかってはいるようだが。
対して、セツナのことをもっとも信頼しているのは、スレイン=ストールだ。若輩者の彼には、セツナ少年の置かれた立場が痛いほどわかるという。スレインは血気盛んでもあり、戦場で活躍するセツナを羨ましくも思っているようだ。
四友は、一枚岩ではない。地位も立場も大きく違う四人だ。考え方も、思想も、理想も、同じもののほうが少ないだろう。マルダールの鍛冶師を父に持つバレット、兄が太后派に属していることで疑われたこともゼフィル、下級貴族出身故に苦悩するケリウス、幼少から王宮で遊んでいたスレイン。
レオンガンドは、彼ら四友が自分に対し盲目的ではないということに安堵を覚えている。ときには考え方を異にし、意見を戦わせることもある。だが、だからこそ、レオンガンドは彼らを側に置くのだ。ひとりの頭では考えられることは多くない。視界は狭くなりがちで、飛び込んでくる情報も必ずしも多くはない。そこから導き出される答えが偏向的なものになるという可能性も、少なくはないだろう。
彼らのような主義主張の異なる人間が側にいるということは、レオンガンド自身が様々な視野を持ちうるということだ。彼らの話を聞くことで、視野は広がり、さまざまな道を見出すことができる。世界が広がるということだ。
ナーレスにいわれたことでもある。
『ひとりで抱え込んではいけませんよ。あなたは、それほど優れた人間ではないのですから』
王子に対して酷い言い様ではあったが、忌憚のない意見を求めたのはレオンガンドだった。そして、この暴言は、ナーレスがガンディアを去る直接の原因ともなったのだ。彼はうつけものの王子を面罵したことで、ガンディアでの居場所がなくなり、国を去るしかなくなったのだ。そうして、彼はザルワーンに流れ着き、ミレルバスに拾い上げられた。
予定通りに。
彼は五年以上、この国にいた。この国の主に才能を愛され、要職についていた。立場としては軍師だったようだが、彼は国の運営そのものに口を出すことが許されていた。ミレルバスからそれほどの信頼を勝ち取ることができたのは、ナーレスの実力なのだろう。彼には才能があり、才能を活かすだけの実力があった。
だが。
(ナーレス。我々は勝っている。どうか、最後まで見届けてくれ)
レオンガンドは、もはや命脈を絶たれたであろうナーレスの顔を脳裏に浮かべ、強く祈った。