第二千二百十七話 ザルワーンの破壊龍
「ザルワーン戦争のときに見たな、あれ」
シーラがハートオブビーストを軽く素振りして、いった。
戦場は、まさに混沌としていた。方舟の残骸の解体作業が終わり、頭上からは粉塵となった残骸が霧のように降り注いだかと想えば、どこからともなく吹き荒れた圧力がそれらを吹き飛ばし、九つの龍の首がザルワーンを包囲するようにして聳え立ったのだ。それらが同盟軍に味方するものではないことは、どう見ても明らかであり、一向に好転しない戦況に折れかけていた同盟軍将兵の心根に絶望を突きつける代物だった。だが、だからといって逃げ出すこともできない。なぜならば、九つの龍の首はザルワーンを包囲しており、マルウェール近郊にもひとつ、巨大な龍の首が聳えているからだ。どこへ逃げようとも龍の首の攻撃範囲から抜け出すことはできないだろうし、できたとして、そのあとが続くまい。
そんな状況下で、冷静でいられるのはネア・ガンディア軍の将兵とセツナたち一部の人間くらいだろう。いや、セツナたちでさえ、冷静といっていいものかどうか。
「確か、セツナがクオンとふたりがかりで倒したんだよな?」
「ああ」
「そのときは、五つの龍の首で、最終的にはひとつになったのよね」
「そうだ。そして、ひとつになった奴は手強いなんてもんじゃなかった。クオンの助けがなけりゃあ倒せなかっただろうよ」
ザルワーンの守護龍は、まるで召喚武装・幻龍卿のように触れた召喚武装を再現して見せた。セツナの黒き矛も、クオンのシールドオブメサイアもだ。そのため、さらに倒しにくくなったことは確かだが、クオンのおかげでガンディア軍が無事守護龍の攻撃範囲を逃れることができたのは紛れもない事実だ。それに、クオンがいなければ苦戦どころかまともに戦えなかったかもしれないのが、当時のセツナだった。
黒き矛に秘められた力のほとんどを引き出せていなかったのだ。単独で戦っていれば、黒き矛を再現した守護龍に打ちのめされていただろう。
「そうか」
「シーラ、あなたいったいなにを考えてるの?」
ファリアが不安げに問いかけたのは、シーラがなにかを含むように龍の首を見上げていたからだろう。長い白髪と九つの尾が風に揺れる様は、美しいというほかない。その後ろ姿にみる気高さは、彼女の本質そのものといっていいのだろう。
「九つの首の龍を相手にするってんなら、俺以外のだれがいるって話だぜ、ファリア」
「シーラ……あなたまさか」
「そのまさかさ」
シーラが、ファリアを一瞥して、にやりとした。セツナが呼び止める暇もなく、地を蹴る。
「行くぜ、白毛九尾! セツナのために!」
シーラが吼え、九つの尾が爆発的に膨張し、縦横無尽に乱れ舞った。シーラの姿が九つの白き尾の中に掻き消えていく中、ミズトリスと女神が動くのが気配でわかる。シーラの目論見に悪い予感を覚えたのか、阻止しようと動いたに違いない。そう察したときには、セツナも動いている。多少は回復したはずのメイルオブドーターの翅を広げ、飛ぶ。
「エリルアルムは同盟軍の指揮を! ファリアは少し休んでいてくれよ!」
「任せろ」
「わたしも戦うわよ!」
「ああ、無理はするなよ!」
ファリアの想いを否定することなく受け入れ、加速する。女神が手の先から背後から、無数の光線を発射し、九尾に包まれたシーラを攻撃しようとするが、セツナの伸ばした”闇撫”がそれらをさらうようにしてかき消す。間に合ったのだ。ミズトリスが”闇撫”を足場に跳躍し、シーラへ肉薄するが、これもメイルオブドーターの翅で叩き落とし、事なきを得る。しかし、それで止まる敵の攻勢ではない。
龍の首が、動き始めている。
シーラを包み込む九尾は、爆発的な勢いで膨大化しており、そこに龍の首から放たれた火球や雷撃、氷塊が殺到したのだ。それらを処理しようとしたセツナだったが、龍の攻撃のすべてを捌ききることはかなわず、つぎつぎとシーラを包み込む尾に突き刺さり、力の爆発を起こした。
「シーラ!」
「心配すんなって。こんなの痛くもかゆくもねえ……!」
シーラの勇ましくも凜とした声が、いかにも頼もしい。確かに、心配は無用のようだった。九つの尾が作り出した白い球体は、龍の攻撃を受け、損傷したように見えたが、それらの傷は増大する一方の体毛によって瞬く間に塞がれていくからだ。
「セツナは俺に構わず目的を果たしてくれ!」
「ああ!」
力強くうなずき、目標を定める。シーラへの攻撃が着弾することによる爆音の連鎖にも、不安はない。シーラを信じたのだ。あとのことは彼女に任せればいい。問題は、目的を果たせるかどうかだ。
「目的? わたしを斃すということか!」
ミズトリスが飛びかかってくるなり超速の連続攻撃を繰り出してきたが、セツナの目にははっきりと捕捉できていた。すべての斬撃を受け流しきり、”闇撫”でミズトリスを掴む。巨大な闇の手は、発光するミズトリスの胴体をがっしりと掴み、離さない。
「そうとも!」
そのまま引き寄せ、黒き矛で胸を貫こうとしたが、”闇撫”を貫通する光の槍によって破壊され、未遂に終わる。闇の手から解放されたミズトリスがおもむろに投げつけてきた剣を大斧で叩き落とし、左に飛ぶ。光の槍がセツナの立っていた空間を貫いた。モナナだ。
「ふふ、ミズトリスを斃したところで、わたくしがいますよ?」
「あんたにもこの戦場から退場してもらうさ」
振り向けば、無数の光の槍が女神の周囲に浮かんでいた。それらの切っ先がセツナに向いている。
「できますか? いまのいままで、わたくしに手も足も出なかったあなたに」
「そのことば、そっくりそのまま返してやるよ」
つぎつぎと飛来する光の槍を四本の武器で切り落とし、受け止め、捌き、弾き返しながら、、ミズトリスの接近にも対応する。猛烈な突進からの突きを体を捌いてかわし、脇腹を蹴りつけて吹き飛ばす。さらに”破壊光線”の追撃を放ち、ついで女神に大斧を投げつける。”破壊光線”が着弾し爆発を起こすのとほぼ同時に女神が翻り、大斧をかわす。が、すぐさま前に飛んでくる。女神の背後、大斧を手にした闇人形が空を切っている。闇人形はもちろん、マスクオブディスペアの能力だ。
「二対一で、俺に手も足も出てねえじゃねえか!」
セツナは、女神とミズトリスを煽りながら、戦場の状況を把握して目を細めた。
戦況は、同盟軍にとって最悪といってよかった。
開戦当初兵数において圧倒していた同盟軍だが、開戦とほぼ同時期にセツナが女神によって消されたことが、大きな痛手となった。同盟軍は、当初の目論見とはまったく異なる戦いを強いられたからだ。目論見通りならば、開戦直後、セツナが敵指揮官を撃破することでネア・ガンディア軍の指揮系統に混乱を生じさせ、戦況を有利に運び、勝利をもたらすはずだったのだ。だが、セツナが女神の思惑通り、この世界そのものから消え失せたために、目論見は外れた。
兵力差を覆すほどの戦力差が、同盟軍を襲った。
幸いにも、ネア・ガンディア軍の指揮官と女神が手出ししてこなかったため、セツナの帰還までに全滅は免れていたものの、手放しで喜べることではなかった。同盟軍は将兵の多くを失い、ネア・ガンディア軍は勢いに乗っている。方舟を破壊したことでネア・ガンディア軍の戦意に多少なりとも悪い影響を与えることはできたようだが、女神と指揮官が健在だと主張するような戦いを続けた結果、ネア・ガンディア軍は勢いを取り戻しつつあった。
同盟軍はというと、低下した士気を辛くも維持することで戦線を保持しており、これ以上の戦意の低下が起きれば、戦線は崩壊し、敗北の一途を辿るだろうことは明白だった。
敵の指揮官が倒れるどころか、地上に落ちてきて戦場を掻き乱すような激戦を繰り広げた上、九つの龍の首が出現したのだ。その威容たるや、戦意喪失してもおかしくはなかったし、実際、同盟軍兵士の中には戦闘の継続をあきらめるものの姿もあった。
このままでは、同盟軍に勝ち目はない。
いやそもそも、唯一の勝ち筋が、敵指揮官の撃破しかないのだから、セツナが初手で敵指揮官を撃破できなかった時点でこうなることはわかりきっていたのだ。最初から無理難題だったとはいえ、自分の不甲斐なさに腹が立つ。そのせいで、多くの同盟軍兵士が命を落としているのだ。すべての責任は、この無謀な戦いを推し進めたセツナにこそあるだろう。セツナが女神の策に引っかからなければ、このような羽目にはならなかった。
セツナは、闇人形に追い立てられ、こちらに向かってきた女神に向かって飛びかかりざま黒き矛を斬りつけた。