第二千二百十五話 女神の挑戦
「ちぃっ!」
セツナは、咄嗟にロッドオヴエンヴィーの”闇撫”でモナナを拘束すると、右手の黒き矛を眼下に向けた。落下している残骸の中でも特に大きなものに向けて”破壊光線”を発射し、立て続けに別の残骸に矛先を向け、”破壊光線”で無数の残骸を薙ぎ払う。しかし、それでもすべての残骸を吹き飛ばすことなどできるわけもなく、闇の掌に包み込まれた女神の嘲笑が聞こえてくるかのようだった。
シーラとエリルアルムが奔走するが、落下を止めきることはできそうにない。ファリアの雷光の網の再構築に望みを託そうにも、ファリアの姿が見えなかった。
(ファリアはっ・・・・・・!?)
セツナは、”破壊光線”を撃ち続けながら、地上を嘗め回すように見た。すると、ミズトリスの落下地点がファリアの居た場所に極めて近いことがわかり、背筋が凍った。瞬時に地上へ滑空し、その最中にメイルオブドーターの翼を最大限に広げ、せめて範囲内の味方だけでも残骸から護ろうとする。方舟は、戦場上空の大半を覆うほどの巨大さを誇っているといっても過言ではなかった。そんなものを破壊したのだ。残骸が降り注ぐだけでも戦場全体が壊滅的な被害を受けることはだれの目にも明らかだ。故にファリアたちがなんとしてでも残骸を細分化しようとしたのだが、それが失敗した。メイルオブドーターの翼だけでは戦場を覆いきることはできない。
ファリアは、ミズトリスに掴み上げられていた。白く発光する兜がこちらを見る。挑発しているのだ。
神人が眼前に迫っても雷光網の維持に全神経を集中させていたファリアも、さすがに直接手を出されれば、そういうわけにもいかない。いや、ファリアが雷光網の再構築をあきらめたのは、オーロラストームを失っていたからだということが彼女の足下に転がる弓を見て明らかになる。あきらめざるを得なかったのだ。苦悶の表情を浮かべながらも、ミズトリスを睨み付けるファリアの気丈さには唸るほかないが、唸っている場合ではないということもわかりきっている。シーラやエリルアルムには期待できないし、周囲の武装召喚師たちを当てにもできない。ミズトリスから溢れ出る白い光は、神威とは異なるものでありながらも絶大な力であることは間違いなく、爆発的な熱量がふたりへの接近を阻んでいた。
ミズトリスに接近できるとすれば、それはセツナただひとりだけであり、故に彼は躊躇することもなく飛んだ。翼を天蓋のように広げ、降り注ぐ残骸から同盟軍将兵を護りながら、ファリアの元へと駆け寄る。ミズトリスの左の剣が虚空を薙ぎ払うようにして、セツナを迎え撃たんとしたが、セツナは剣の腹を踏みつけ、跳躍、加速した。一瞬にして間合いがなくなる。瞬間、ミズトリスの全身が凄まじい光を発し、セツナは咄嗟にミズトリスを闇の翼で包み込んだ。翼の天蓋がなくなったことで残骸が降り注ぎ始めようとする中、翼の障壁が吹き飛ぶほどの爆発が起きた。その威力の凄まじさたるやエッジオブサーストで強化したはずの翼が消し飛び、翼の源であるメイルオブドーターまでもが損傷するほどだった。メイルオブドーターの悲鳴が聞こえるようだが、いまは謝ることもできない。
さらに損傷したメイルオブドーターでは、まともに翼を広げることもできない状態であり、セツナは、降り注ぎ始めた残骸の雨を仰ぐと、すかさず”闇撫”で捕らえた女神を遙か彼方に投げ捨てた。メイルオブドーターからエッジオブサーストを取り出し、ロッドオブエンヴィーと同化させる。エッジオブサーストの同化能力は、なにもメイルオブドーター専用というわけではないのだ。
そして、強化されたロッドオブエンヴィーの”闇撫”を発動する。通常よりも何倍も巨大化した異形の手のひらを最大限に広げ、頭上を薙ぎ払う。降りしきる方舟の残骸を吹き飛ばし、弾き返し、粉砕する。シーラとエリルアルムの三人がかりで同盟軍への被害を最小限に抑えていく。
すると、しばらくして無数の結晶体が虚空に散らばり、雷光の網が再構築された。網の隙間を流れる膨大な量の雷光が粉塵さえも見逃さず、上空に押しとどめる。見れば、ミズトリスから解放されたファリアが、オーロラストームを構え直していた。
セツナは安堵するとともに”闇撫”を解き、周囲を見回した。
方舟の残骸のうち、地上に降り注いだものは決して少なくはない。しかし、いまだ大きな質量のものはシーラが空中に押しとどめていたこともあり、味方に被害が出た様子はなかった。敵にもだ。戦場のど真ん中に落下した残骸の直撃を受けても、神人たちには動揺ひとつ見受けられなかった。
戦況は決して芳しくない。
そもそも、この戦いの勝算はただひとつ、セツナがネア・ガンディア軍指揮官を討つところにあるのだ。戦いが長引けば、それだけ同盟軍が不利だということは、開戦前からわかりきっていた。火を見るより明らかなのだ。勝つためには、敵軍の根幹である指揮官を撃退する以外にはなく、それができるのはおそらくセツナを除いてはいない。
だが、それが即座に実行できなかったがために、同盟軍は甚大な被害を受けていた。とてつもない数の死傷者を出していることは、戦場の様子を見れば一目瞭然だ。戦線は乱れに乱れ、将兵の多くが傷つき、死者も数えきれぬほどに出ている。
それもこれも、セツナが敵の神の攻撃を回避できず、復帰までに長い時間を要したからにほかならない。
(全部俺のせいだ)
ミズトリスを瞬時に斃し、女神をも撃退できていれば、このような惨状にはならなかっただろうことは、疑いようもない。しかし、それができなかった。
歯噛みして、後悔してももう遅い。
失われた命は、戻っては来ない。
ミズトリスは前方、敵陣まっただ中に佇んでいる。無傷だ。ついさっき爆発したのは、ミズトリス本人ではなく、別のなにかなのだろう。幻像とか、そういうものに違いない。背後には、当然のように女神の姿があった。神は空間転移なり高速移動なりできるのだから、投げ飛ばしたところで時間稼ぎにもならない。
セツナは、静かに呼吸を整えると、ロッドオブエンヴィーとエッジオブサーストの同化を解き、エッジオブサーストのみを送還した。飛行能力が使えない以上、メイルオブドーターと同化させる意味もない。その上負担が大きいとなれば、召喚し続ける意味がない。メイルオブドーターそのものは有用であり、装備しておく意味はあるが、現状、手の数に限りがある以上、武器を複数召喚することに意味はない。
(マスクオブディスペアがあるが)
そう考えて、セツナは胸中で前言を撤回した。空かさず武装召喚術を唱え、マスクオブディスペアを呼び出し、頭の上に装着する。闇黒の仮面は、必ずしも顔面を覆う必要はない。そして、その能力を用いて闇人形の腕だけを生成し、その手に再召喚したランスオブデザイアと立て続けに召喚したアックスオブアンビションを握らせる。都合四本の腕にそれぞれ召喚武装を握りしめている状態となった。その結果、セツナの感覚は凄まじく肥大し、鋭敏化している。
ミズトリスと女神の囁きがはっきりと聞こえるほどに。
「ふふふ・・・・・・息巻いた割りには、たいした成果も上がりませんでしたね、ミズトリス」
「そうだな」
「おやおや、みずからの失態を認めますか」
「わたしは己の失敗を認められぬほど愚かではないよ」
ミズトリスの表情こそわからないものの、女神モナナの美しい容貌ははっきりとわかった。それ以外――たとえば、ネア・ガンディア軍全体の動きも手に取るようにわかったし、それに対応する同盟軍の動きもはっきりと把握できている。戦場全体を完璧に近く理解できるのも、複数の召喚武装を手にしていることの影響だ。場合によっては、弊害といってもいいだろう。不要な情報の取得は、ときに判断を鈍らせる。
「そう・・・・・・でしたね。では、そんな指揮官殿には、わたくしが協力して差し上げましょう」
「なにを企んでいる」
「企むだなどと・・・・・・わたしはただ、神皇陛下に忠誠を誓うのみ。なれば、勅命を果たさんがため、協力するのは当然のこと。信用できませんか?」
「信用できなければ、最初から従属神として同行させんよ」
「うふふ。ならば、ご期待にお応えいたしましょう・・・・・・」
女神とミズトリスのやりとりが終わろうとしたときには、セツナは、モナナに飛びかかっていた。作戦目標はミズトリスだが、ミズトリスを討つための最大の障害は、女神モナナだ。まずは、女神を討たなければ、状況は改善しようがない。
「させるか!」
黒き矛と漆黒の大槍、紫黒の大斧による目にも止まらぬ連続攻撃は、女神が生み出した障壁を破壊するに止まり、女神本体にはまったく届かなかった。それどころか、女神の生み出した障壁がセツナを女神自身から引き離し、間にミズトリスが割って入ってくる。
「いいえ、させていただきます。といって、あなたにわたくしがなにをするのか、想像もできませんでしょうが」
「おまえの相手はわたしだ、セツナ=カミヤ」
ミズトリスの両手の剣がまばゆい光を放ちながらセツナを襲う。斧と槍で受け止め、セツナは告げた。
「そうさ、俺はあんたを斃す!」
「最初からわたしが狙いか!」
「そういってんだろ!」
突き出した黒き矛の切っ先がミズトリスの首元に刺さった瞬間を逃すセツナではない。切っ先が甲冑を砕き、皮膚に掠った瞬間、”破壊光線”を放ち、ミズトリスを破壊の奔流で飲み込み、吹き飛ばす。決定打となりうる一撃。手応えは十分過ぎるほどにあった。しかし、ミズトリスが消滅したわけではないのは、”破壊光線”の光の中に確かに彼女の生命反応が存在していることからもはっきりと伝わってくる。
「ですが、それもここまで」
声の方向を見れば、遠く離れた戦場のまっただ中に降臨した女神が、神々しくも膨大な光を放ちながら、救いの手を差し伸べるが如き柔らかさで大地に触れていた。光が大地にしみこむようにして波紋を広げていく。急速に。セツナは嫌な予感がして、女神に”破壊光線”を撃ち込み、その場を飛び離れるも、”破壊光線”はぼろぼろの鎧を纏ったミズトリスに受け止められてしまう。それでも死ぬことのないミズトリスの頑丈さには、セツナも舌を巻かざるを得ない。
女神モナナは、”破壊光線”に吹き飛ばされたミズトリスを抱き留めると、その傷を瞬く間に癒やして見せながら、悠然と告げてきた。
「さあ、あなたにどれだけの命が護れますか?」
神威の光の波紋は、戦場を駆け抜け、ザルワーン全土を包み込んだ。