第二千二百十話 ログナー島の激戦(二)
突如乱入してきたのは、シグルドひとりではなかった。
「まったくだ。人間の国などどうでもいいが、我らの森を焼き尽くした罪、その死で贖ってもらうぞ!」
ルニアとかいうリュウディースがシグルドに続いて参戦すると、手の先に作り出した雷球を地面に叩きつけて大爆発を起こした。直前、ウェゼルニルたちが一斉に飛び退いたのは、爆発の威力を恐れたからではないだろうが。
戦況に変化が生まれた。
ダルクスに殺到していたウェゼルニルたちも突然の乱入者に対応するためか、距離を取って布陣した。ダルクスは、五人のウェゼルニルを相手に危うく殺されるところだったに違いないが、彼の様子に大きな変化はない。いつも通り沈着冷静で、なにを考えているかわからないといった有様だ。表情もわからなければ言葉も発さない以上、彼の感情を知ることは至難の業だった。ただ、乱入者のおかげで仕切り直しになったことには感謝しているようではある。屈強なレスベルたちと数名のリュウディースがダルクスの周囲に集まっている。
一方、ミリュウは空中に浮いたまま固定されており、じたばたと手足を動かしてもどうにもならなかった。
「ルニアったら、本当素直じゃないんだから」
不意に耳元で聞こえてきた声は、嬉しそうに弾んでいて、状況にそぐわないものだった。リュウディースの女王にして魔王の妃たるリュスカの声だということは、すぐに理解したが、なにをもって彼女が喜んだのかは見当もつかない。
「なにがですか!」
「うふふ、いいのよ、別に」
「リュスカ様!」
ルニアが憤然と叫ぶのをリュスカはにこやかな表情で受け止めたのだが、魔王妃のそんな表情をミリュウが見ることが可能だったのは、リュスカがミリュウを抱きかかえるようにしたからだ。そして、そのまま地上へと降下していく。どうやらミリュウはリュスカの魔法に救われ、そのまま空中に隔離されていたらしい。
「あ、ありがとうございます」
ミリュウは、リュスカの腕から解放されるなり、すぐさま感謝の意を示した。皇魔に感謝する日が訪れるのがこんなに早いとは想像もしていなかったものの、決して悪い気分ではない。それもこれも、アガタラのウィレドたちとの交流があったればこそのものだろうが。
「いいのですよ。あなたたちは、我々の国土を取り戻すために戦おうとしてくれているのですから、協力を惜しむわけにはいきません」
リュウディースの女王の優しげな声は、人間と皇魔の隔たりを感じさせないものであり、彼女がどれだけ人間に対して心を開いているものか、瞬時にわかるだけの説得力があった。もっともそれは、ミリュウの中で人間と皇魔は理解し合えないという前提が失われているということが関係あるのだろう。アガタラのウィレドと知り合い、深く関わったいま、皇魔の中にも人間と共存可能な種がいるという確信が持てている。故に、人間と結婚し、子を成したという女王の存在は、受け入れやすいのだ。
「でも、どうやってここに?」
「それは……」
《わたしから説明しよう》
「マユリん!?」
突如脳内に聞こえた女神の聲にミリュウは驚きを隠せなかった。もちろん、マユリ神が関与していたからではない。マユリ神の力によって護られた方舟の中から抜け出すには、マユリ神の力を借りる以外にはないのだ。ミリュウが驚いたのは、単純にマユリ神が会話できるだけの状態にあるらしいということにだった。マユリは、ミリュウたちの視界から完全に消え失せている。ネア・ガンディアの神との戦闘にミリュウたちを巻き込まないように、だろう。
「そっちはどうなの?」
《問題はない。ただ、神々の戦いは互いに決定力を持たない不毛なものだ。戦果を期待してもらっては困る》
「マユリんが無事ならなんでもいいのよ」
《そうか……》
マユリ神は、なにかいいたげな風だったが、ミリュウは実際問題、マユリの無事だけが心配だった。マユリ神の実力を信じていないわけではない。ただ、神々の戦いとなると、人間には想像のできない領域のものであり、ミリュウも不安を抱かずにはいられなかったのだ。その不安は、マユリのいつもどおりの調子を知れば払拭されている。
《……彼らのことだが、ミリュウの提案した通り、船の中に待機しておいてもらっていたのだが……どうも外の様子を見たものがいたらしくてな》
「はい。しっかりと見させていただきましたわ」
リュスカが、マユリ神のなんともいえないような口調に対し、満面の笑みを浮かべた。おそらく、魔法を用いて船外の様子を見ていたのだろう。方舟が敵船に突っ込み、神威砲を叩き込んだ瞬間も見ていたのかもしれない。そのときの興奮ぶりは、想像に難くない。
《それで、彼らが黙ってはいられない、と、方舟を内部から破壊する勢いになってしまったものだから、仕方がなかったのだ。おまえたちとの旅には方舟は必要不可欠だろう》
「それはそうだけど……でも……」
「わたくしたちでは戦力になりえませんか?」
「いえ、決してそういうわけでは……」
ミリュウが言葉を濁したのは、彼らを頼りたくないという想いがあったからにほかならない。自分たちだけでウェゼルニルを抑え、時間を稼ごうとしていたのだから、そこにこの島の住民を巻き込むのは本意ではない。これでは、大見得を切った自分を許せなくなる。
「はっきりいってやるべきだぜ、ミリュウ=リヴァイア」
煽るような口調で大声を発してきたのは、当然、ウェゼルニルだ。十人のウェゼルニルのうち、ひとりだけが口を開いていた。それが本体だろう。とはいえ、本体を叩けばそれで終わりなのか、偽者と本体に能力差があるのか、といったことはまだわからない。
「あんたたちでは、俺の相手にはならねえ――ってな」
「それはどうかな!」
「我らを余り見くびってくれるな!」
ウェゼルニルの挑発に即座に反応したのは、シグルドとルニアだ。ふたりは、ほぼ同時に飛びかかっている。息の合った連携攻撃にはウェゼルニルも目を細めた。
「そういううの、嫌いじゃあないが」
しかし、ウェゼルニルのひとりがシグルドの剣とルニアの拳を受け止め、その勢いを利用して後方に投げ捨ててみせる。シグルドもルニアも空中で身を翻し、着地に成功する。そんなふたりを見て、ウェゼルニルはせせら笑った。
「だったら死ぬ気でこいよ。でなきゃ、俺も飽きて本気を出さざるを得なくなる」
「そんな余裕、いつまで持つかな!」
「持つさ。いつまでだってな」
ウェゼルニルの挑発は、続く。
力量差は、明らかだ。
故にミリュウは、彼らの参戦には反対だったのだ。無論、彼らが参戦してくれなければミリュウが危うかったのは事実だが、だからといってシグルドたちの命の危険性が増えただけで状況に大きな変化がないのもまた、事実なのだ。
「皆……」
「大丈夫ですよ、ミリュウさん。この戦いがどれほど困難で厳しいものであるか、皆も知っていることです。死は元より覚悟の上。それでも戦わずにはいられないから、皆、ここにいるのです」
「リュスカ様……」
「もちろん、わたくしとしては、彼らをむざむざ死なせる気はありませんし、あのものどもの好き放題にさせるつもりもありませんよ」
リュスカは、艶然と微笑むと、両手を軽く持ち上げた。青白い手の先に魔力と思しき光が集中していく。皇魔リュウディースは、魔法を使う。ミリュウの擬似魔法とは根本から異なる代物であり、リュウディースの生まれ持っての能力であるそれは、威力はともかくとして精度において擬似魔法とは比べ物になるまい。
そもそも、長大で繊細かつ複雑怪奇な術式の構築が必要な擬似魔法と、リュウディースが呼吸するほどの気楽さで発動する魔法とでは、比較のしようもないのだが。
ミリュウは、リュスカを見、それからエリナ、ダルクスを一瞥した。エリナはフォースフェザーの能力をシグルドたちにも作用させようとし、ダルクスは、皇魔たちとともにウェゼルニルに立ち向かっていっていた。
ミリュウも覚悟を決めた。ラヴァーソウルを握りしめ、術式の構築を始める。ばらばらになった刀身の砕片、そのひとつひとつを磁力によって結びつけ、呪文を紡ぎ、詠唱させていくのだ。そうすることでこの世界から失われた魔法を再現し、現代に蘇らせる。それがミリュウとラヴァーソウルの擬似魔法だ。
その一方で、こうも想う。
(レム……あなたはどこにいったの?)
彼女の失踪は、ミリュウの心に大きな穴を空けていた。それが彼女の失踪だけが原因ではないこともわかっているのだが、なぜなのか、根本的なところはわからない。心に空いた大きな穴は、ただただ不安を増幅させており、そんな状況で命のやり取りなどするべきではないという警告が身を竦めさせるのだ。
なにかがおかしい。
なにもかもが、おかしい。
それはどうやらエリナも同じらしく、彼女は、開戦前からずっと青白い顔をしていた。まるで心の拠り所を失ったようなエリナの表情は、鏡を見ているかのようであって、ミリュウはいたたまれない気持ちになるのだが、だからといって彼女を頼らざるをえないという事実を否定できず、いまに至っている。
戦闘の真っ只中。
不安など振り払い、戦闘に専念するべきだ。
でなければ、セツナに申し訳が立たない。




